戦わないけれど戦う準備

私達が申し上げているのは、戦争をしないためにどう守備を固めるのかということです。

武器を持って武器を制する以外に現実としてできないのはたいへんに残念なことですが、今ある危機としていわゆる中国と北朝鮮の脅威はまさしく「軍事力」に他なりません。

右側にいる人が「日本も核を持てばいいのだ」とか中立であっても「核保有の議論はするべきだ」ということに対して、多くの日本人は左側に立っていますので・・・というか、核保有=広島・長崎の悲惨さという頭の中での連携ができてしまい、議論ができなくなってしまいます。
しかし現実として北朝鮮と言う小国が、米国という世界最大の軍事国家から攻撃もされず、対等に話ができているのは数発の核兵器を持っているからにほかなりません。
それが現実なのです。

もちろん私だって武器がなくなり、世界のどこにも争い事がない世界を願っていますが、残念ながら今のところは「絶対に」兵器がなくなることはありません。
そして残念なことに拡大を狙う、覇権を狙う国家ほど軍事力に力を入れているのです。

それでは今の日本が置かれている状況を冷静に考えてみましょう。

西側には核保有国であるロシア、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国というのが控えています。
またそれらの国は日本と友好と言える国家ではありませんし、平和条約のようなものも結んでいません。

さらに現在では大韓民国という本来は日本と友好であるはずの国家がありますが、慰安婦に賠償しろなどの言いがかりを元にした外交の停滞があり、非友好国家となりつつあります。

東側には大きな海があり、その先にアメリカ合衆国という軍事的にも経済的にも比較的友好な国があり、安全保障条約において守られるというなんとも情けない状況にあります。
(なぜなら日本は日本が守るべきであると考えるからです)

いま議論されている安全保障における集団的自衛権について議論されているわけですが、本来国が交戦権を持たないということがおかしいわけですし、それをわざわざ憲法に書くことが非常識であることを知らねばなりません。

なぜなら、日本が攻撃された時に交戦権を主張する必要があるからでもあります。

太平洋戦争後70年間「平和だった」と思い込んでいる人たちは、この憲法が異常であるということに気がつこうとしません。

「戦争ができる国にするな」と言いますが、戦争ができる国じゃなければ国を守ることはできません。

ですがはっきり再度書きますが、私は「戦争反対」ですし、絶対にこちらから戦争を仕掛けるべきではないと考えています。

そうしたものを今まで解釈を変えて使っていたのですが、そこに無理が生じているのは事実です。

いわゆる中国は現在においても東トルキスタンとチベットを事実上軍事占領しています。

この70年間においても内戦だけではなく、ベトナム、インド、ロシア(当時ソビエト)、大韓民国、アメリカ合衆国と交戦しています。

言ってみれば好戦的な国ということになります。

まして昨今は南沙諸島、西沙諸島で他国と衝突寸前まで行っており、東南アジアでの海洋覇権に力を入れています。

少なくとも現在はこの国家からまずは国家を守る必要があるのと、東南アジア地域の自治独立を守るべきだと考えるわけです。

有事の際、日本だけがそっぽを向いて金を出しているだけで戦闘をしないで済んだ時代は過去のものにするべきです。

エコノミックアニマルと蔑まれ、軍は出さないが金だけは出すとなめられるべきではありません。

やる力はあるけれど、うちらは肝心な時までは一切動きません、やるっていうなら覚悟を決めてね!という姿勢こそが、争いを起こさないものになると考えています。