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二階幹事長の「小池都知事への全面協力」発言は自民党のあさましさの表れ

自由民主党の二階幹事長が・・・
「東京都知事選挙に小池知事が出馬をいただくということになれば、全面的に協力するのは当たり前。実績を見てわかるじゃないですか」
と述べたそうだ。

どこに小池都知事の実績があるんだい???

さんざん拙ブログでも申し上げてきたが、築地から豊洲に移転するのは問題なく、移転時期を遅らせて「いまさら」議論するなどいらないということを、小池都知事が証明しただけのこと。

小池都知事、ポケットに手を入れて表彰式へ
ふざけるな小池都知事!

おかげで東京オリンピックに向けたインフラ整備は間に合わず、ただただ遅らせただけのことであって、どこに実績なるものがあるのか全く以て不明である。

二階氏というのはそもそも問題がある人だと前々から申し上げているが、この発言はひどすぎる。

よくもまあこんなのが国会議員やら自民党での役をもらっているもんだと思う。

だから自由民主党を信用しきれないんだよ。

で、安倍総理がこれらの発言をうけて本当に発言したのかは知らんが・・・

都民ファーストで自由民主党と対峙した自民党にも所属した大臣経験者をいまさら担ぐなんてのは、自民党のあさましさでしかない。

そもそもすでに小池都知事は大部分の都民からの信頼などなくしてしまっているのは肌感覚である。

その意味では民衆もぬるいわけで、50%程度の投票率で決定の先送りしかできない人をまたしても都知事に選ぶなんざ、ふざけた所業だと思うわけで、残りの半分近くは黙って承認することになる。

政治こそ最も庶民に近いものであり、生活や仕事に影響を与えるもの。

だからこそ一票が大切になるのだ。

まずは一票を投じるところから始めるべし。

ただなあ・・・自民党が小池都知事を担ぐとなりゃ、自民党から対抗馬はでないんだろうなと・・・

こういう時に役立てよ、公明党・・・って、公明党は小池都知事を推したんだったか。

ウェブサイトやECサイト(ネットショップ)を制作依頼する時のご注意

ウェブサイトやECサイトを作るのに、全く知識のない方向けに書いておりますので、プロフェッショナルの方は読み飛ばしてください。

そういう方には当たり前のことしか書いていないのでつまらないエントリーです(苦笑)

しかし、ウェブサイトやECサイトを作ることができない特に「個人事業主」の皆さんに、注意喚起のためにこのエントリーを記述します。

※ホームページ=ウェブサイト、ネットショップ=ECサイトと読んでください

そもそもネットショップを作るとして、いくらくらいかかると思いますか?

ウェブサイトを作ったことがある人であれば、実は簡単に設定はできるようになります。

CSSというページデザインに関連するところを変更するのは難しいと思いますが、例えば「カラーミーショップ」というところで作ってしまえば、月額1,332円~で運営ができるようになります。

ちなみにこちらのショップでは当然のごとくメールでのサポート設けられますので、利用方法がわからなくなったら問い合わせることができます。

そしてショップモール「カラメル」に登録しても、商品代金の3.5%の手数料がかかるだけです。

さらには当然のごとく「カート」を使うことができ、決済に関してもカラーミーペイメントという手数料がかかりますが、コンビニ決済やクレジット決済が可能な決済方法を用意してくれていますので、合計で手数料は10%程度を覚悟すれば運営することは可能になります。

さて、今回問題にしたいのはそういうことができない人に対して、電話で「ネットショップを作りませんか?」と勧誘し、特商法の対象外となる個人事業主や小規模店舗・・・つまりは売り上げや利益がそう多くはない人たちに、さもよさそうな「月々3万円程度」「一日1000円」という誘い文句にうっかり乗ってしまうような営業をする業者がいるということです。

プロの人に月の粗利が20万円個人事業で、そのECサイト(ネットショップ)運営に「3年で150万円かかる。月々2.8万円」と言ってみてください。
(実は契約は3年なのに、割賦期間[支払期間]は8年なのです)

そういう商売なら自分もやりたいなあとか、高すぎるというのが多くの反応だと思います。

まして、そのネットショップで夢のように稼ぐことができるなんて言われたとしたら・・・ありえないと感じるでしょう。

しかし、全く知らない人というのは、ネットショップの実態や、運営における費用がどれくらいなのかは想像がつかないのです。

そして、この業者の問題点はクレジット会社を通して先に自分たちは利益を得るということなのです。

ちなみに私が会社を経営していたときは、そんなものを使わずに、月々の料金をお支払いいただいていました。

なぜそうしたかというと、クレジットの代金受け取りを普通の方は知らないからで、サービスをするかどうかの責任を無視して、お金だけを先に得ようとする考え方がおかしいと思うからです。

資産としてのリースは別として(ソフトウエアを組み込んで販売することはありましたが、当然運営込みなので契約書は分厚くなりますが)、クレジットでしかも利息をお客様にかけさせたうえでECサイトを作ってただサーバーに組み込むだけで3年で150万円の売り上げを得るなどというのは、悪魔の所業と言っていいでしょう。

ということで、どうしてお金を先に得ることができるかを図解してみました。

クレジットでお金を払うというのはこういうことだというのを理解して、通常の買い物でもこういう流れなのだと思ってください。

そのうえでこの図で気になる部分を赤で示してあります。

そしてクレジット会社もですが、こういう悪徳会社に対してクレジット契約を認めて、さらにお客からのキャンセルを受け付けません。

例えば真っ当ではない商売だとして(今回がそうだと言っているわけではないですよ~念のため)も、その売り上げは翌月に売った人にお金が入る仕組みになっていて、クレジット会社はエンドユーザーからどんなことをしてでもお金をもらえば損をしないのです。

たしかに商品を受け取ってクレジットのみをキャンセルなんてことになれば、クレジット会社は損害を被るかもしれませんが、サービスという数年得られる役務を含めたものに対してまで、キャンセルを受け付けないというのは「騙されてもクレジット会社は知りません」と言っているのと同様です。

こういう契約をする際には、ぜひ詳しいと思われる友人などに相談しましょう。

契約をしてしまってからでは遅い場合があります。

なぜなら事業に係る訪問販売、電話勧誘販売に対しては、特商法の範囲外となるからです。

個人事業主であればクーリングオフしろよ!とも思いますが、それを悪用する事業者もいるからこそ事業であれば範囲外としているのでしょうが、役務に対してのクレジット販売を特商法の範囲で販売した場合には、除外されるなどのことを考えるべきです。

でもさあ、業者さん・・・8年分割のことをきちんと話していないようですし、セールストークにいくつか嘘がありますねえ。

キャンセルを認めなければ、訴えますよ~

常識としての国旗・国歌

先日あるブログで「天皇陛下が『強制になるということでないことが望ましいですね』と言ったのだから、国旗・国家の強制はするべきではないし、右派は天皇を引き合いにしなくなった」なんて書いてあるのでなんだかなあと思った次第です。

そもそも国旗、国歌がきちんと規定されておらず、ましてや反日といえる日本人や、特定のアジア諸国がグタグタいうもので決めたという(外国に関しては全く無視かもしれませんが)ことであって、まして太平洋戦争の流れなどで反対すること自体が無茶だと思っていますので、私は日の丸と君が代については当たり前のことだと思っているので、賛成をしています。

そして天皇陛下がおっしゃったのは、強制じゃなくて普通に思ってくれるといいのではないかということであって、強制という形が望ましくないという意味ではないだろうかと思っている。

ことあるごとに今上陛下の言葉の一部だけをとらえてほら天皇(ちゃんと陛下をつけんかい!)も言ってるじゃないかという人がいますが、言葉の意味をちゃんと理解できない人もしくはわざとミスリードする人がでているのが残念でなりません。

まあ、どうしても日本人と太平洋戦争およびそこに対しての流れのすべてを否定したいんだろうなあと思うわけですが、私は日本人を信じていますからあの敗戦だけですべてが悪いとは思っていません。
帝国の時代はどこも悪いことをなにかしらしていたわけで、それは日本も否定できるものではないと思っていますが、収奪だけを繰り返した欧州各国の王政のようなことはありえないと考えています。

まして「植民地化」なんてことはなく、同じ国家として併合したものであるのは、当時の国家予算から考えて信じられないほどの予算投下をして近代化をした(近代化の全てがいいとは言いませんが)わけですから、収奪目的ではないと考えます。

まあ、朝鮮半島を併合したのは大日本帝国最大の過ちであるかもしれませんがね(苦笑)

伊方1号機5月に廃炉・・・歓迎すべきニュース

伊方1号機5月に廃炉 四国電、愛媛知事に報告
2016/3/25 11:29日本経済新聞 電子版

伊方原発1号機の廃炉を愛媛県の中村知事(右)に伝える四国電力の佐伯社長(25日、愛媛県庁)
伊方原発1号機の廃炉を愛媛県の中村知事(右)に伝える四国電力の佐伯社長(25日、愛媛県庁)

四国電力は25日、運転開始から40年近い伊方原子力発電所1号機(愛媛県)を5月10日に廃炉にすると正式に表明した。佐伯勇人社長が25日午前、愛媛県庁で中村時広知事と面談して報告した。四国電は今後、法令に基づき1号機の廃止措置の計画をまとめ、国に認可を申請する。

佐伯社長は面談で「供給力確保、安全対策の技術的評価や費用、運転できる期間など総合的に勘案し、運転延長の認可申請は行わず廃止することにした」などと説明した。これに対し中村知事は「何もかも再稼働ありきではない」と述べ、廃炉決断を評価した。

国は原発の運転期間を原則40年と定めているが、原子力規制委員会が運転延長を認めれば最長60年まで稼働させることができる。四国電は1号機の再稼働を目指したが、電源ケーブルの難燃加工などの安全対策に「3号機の1700億円を上回る費用がかかる」(佐伯社長)ことが判明。さらに工事に4~5年かかり、運転期間が実質20年を割り込むことなどから「投資回収が成り立たない」(同)として、25日の取締役会で廃止を決めた。

佐伯社長は廃炉にあたり、国や地元機関に呼びかけて技術課題を抽出する検討会を設立する考えも明らかにした。一方、伊方3号機については同日午後に使用前検査を申請、7月下旬の再稼働を目指すと表明した。

運転開始40年前後の原発では、九州電力玄海1号機(佐賀県)など全国で5基がすでに廃炉を決めている。

運転開始40年を経る、もしくは現在稼働しておらず40年近い原子核反応炉は廃炉にするべきだとずっと言ってきた私にとって、これは歓迎するべきニュース。

それ以外の炉に関しては、消極的廃炉派であるため使いながら40年を待つべきだと思っている。

そうすれば、少なくとも40年後には原子核反応炉が日本からなくなるということ。

それに代替する発電手法が安価で可能であるとしたなら、順次早期の廃炉をしていただきたいと願う次第。

3月10日に思ふこと

1945-3-10-2

昭和20年3月10日0時7分、東京で空襲が始まった。

実に300機以上もの戦闘機が、東京に雨あられのような焼夷弾を降り注いだ。

そして8万人以上の直接の死者を出した・・・

今では、たった一回の民間人への誤爆で大問題となるのに、民間人をターゲットにした虐殺であるにもかかわらず、米国は謝ることさえしない。

それは数十万人を虐殺した、広島と長崎における原子爆弾投下に対しても、自分たちは正義だという名の下に正当化されている。

何年前だったろうか、エノラゲイの搭乗員だったかがテレビ朝日のニュースワイドに出て、リメンバーパールハーバーなる言葉で日本人に対しての差別的な発言を続けたが、彼らはこうした大量虐殺に対して正義を前面に出して反省する様子はない。

これらを繰り返してはならないのは当たり前で、それを阻止するためにはどうするか、意見は分かれてしまうのはやむを得ない。

勝つことのできる国を作る?なんてのは私は理解できない。

他国に勝っても負けてもそれぞれ遺恨は残るからだ。

だが、負けない国にするという備えは必要だと考えている。

いわゆる中国の軍拡に対してアライアンスを組んで守ることも必要であるし、自国の防衛をするのも当然のことと考える。

日本国民の中に「殺させない」という言葉で防衛などに対する軍備に対して反論を述べるものがいるが、それ以前に「殺されない」という予防をして初めて「人を殺す場所にさせない」ということができるのだと申し上げたい。

今の連合国による統治への協力にしても、日本は戦闘地域ではなくなったところに行っている。

私はそれでいいと思っているし、それが国際貢献の一つであると考える。

だからこそ米国との対等同盟を理解し、集団的自衛権を認める必要がある。

ただし、米国は虐殺の歴史を持っている国であるし、今のシリアの前の湾岸戦争時においても、彼らのいう正義はあたらないと感じているので、彼らが「一緒に攻め込もうぜ」というのにはきっぱりNoをつきつけ、しかし彼らが日本近海等において日本にも敵国にあたるであろう国家に無条件に攻撃された場合には助けるために動くということをし、まずは「殺させない」を徹底するべきだと考える。

憲法第九条が日本を守ってきたわけではない。

米国に保護されてきたから戦いにでる必要がなかっただけの話だ。

米軍基地がなかったとしたなら、米国の守りがなかったとしたなら、日本は日本たることはなかったと考える。

個人的には自主防衛ができなければならないと考えているが、残念ながら戦後70年を過ぎてもその議論さえさせないようにしようという情けない人たちがいる。

自分の身は自分で守るのが普通だし、それが当たり前であると思う。

一日も早く、日本が普通の国として成り立つよう、みんなが議論をし行動をするべきだと思う。

3月11日と10日のエントリーを逆にしてみたのは、わざとです。

3月10日という私が生まれる前にあったことも、私が5年前に経験したこともどちらも重要でかつ残念なことです。