それでもダメだったら・・・、また信じてみればいいじゃないと思う。
一度切れてしまった縁は仕方がない。
一度切れてしまった人を追いかけない。
一度切れてしまった人を気にしない。
そこは振り返らない。
でも、その人がまた来たのであれば、事実を見て信じられる時は信じてみればいいじゃない。
いつまでも過去ばかりにとらわれて、前に進むことを忘れることの方が損だよ。
自戒をこめて・・・
それでもダメだったら・・・、また信じてみればいいじゃないと思う。
一度切れてしまった縁は仕方がない。
一度切れてしまった人を追いかけない。
一度切れてしまった人を気にしない。
そこは振り返らない。
でも、その人がまた来たのであれば、事実を見て信じられる時は信じてみればいいじゃない。
いつまでも過去ばかりにとらわれて、前に進むことを忘れることの方が損だよ。
自戒をこめて・・・
私は20年docomoの携帯をヘビーに使ってきたユーザーです。
Wi-fiルーターも5年ほど利用していましたが、残念ながらこちらは解約することとしました。
その内容をここに記憶として残しておきます。
2月に入り、ルーターの利用量がリセットされます。
そのため2月2日段階での利用量が230MBほどだったのを確認していました。
しかし、本日2月4日にふとルーターをみると、なんと6.34GBとなっているのです。
さて、何があったのかとdocomoの問い合わせ先に電話をしました。
151の料金センターというところになります。
そこでわかったのは2月3日に5.9GBのデータ利用がされているとのことでした。
昨日接続していたのはPCに60分程度と、スマートフォンに12時間ほど接続していたのですが、どちらとも変わった様子はありませんでした。
ところがWi-fiのデータ利用のカウンタは上がってしまっているわけで、あと600MBちょいで2500円を支払い、2GBの利用分を追加しなければならなくなります。
※7GBを超えると128kbpsとなってしまうため使い物にならなくなるため
納得ができないので調査する方法はないのかというと、方法は結果としてないということになりました。
それまでにdocomo新橋店へ行き、お客様相談センター(こちらはナビダイヤルのため「有料」サービスです)に電話をして、クレームだと伝えてもなお解決の手段はなく、7GBを超えたら2GB分を2500円で買ってくれというものでした。
通常、月間で最大4GBしか使わない人間が一日で5.9GB使うわけもなく、当然ながら納得ができませんので解約をせざるを得ません。
その理由としては、Wi-fiに接続したユーザーについてチェックする術がdocomo(だけではなくどのキャリアもでしょうが)にはなく、また接続先に対するログも一日分しか取っていないため、結果として他の人にパケットを盗まれたとしても、ユーザーは泣き寝入りをしなければならないというのです。
また今回の話の途中で、窓口の方が一人、お客様相談センターで一人、言葉と対処を間違えるということをしたために、クレームをあげざるを得ませんでした。
もっと言えばお客様相談センターのオペレーターは、クレームを上げている顧客に対して喧嘩腰となってしまったのですからあきれ果てるほかありません。
20年の信頼はなくなりました。
◇
では技術的にどうやってこれを納得のいくものにするのか、簡単に対処するならということで考えてみます。
キャリア側でWi-fiルーターへの接続する端末を管理することは不可能であるため、ルーター側で接続端末のログを取得します。
またWi-fiルーターに対してリクエストのあった通信先サーバーへのログ(データ量共)を取得します。
その際Wi-fiルーターにSDカード(もしくは内臓メモリ)などを設置し、そこに一か月分程度のログを残すことができるようにしておきます。
こうしておかなければ、通信料上限のあるWi-fiルーターを扱うキャリアは、ユーザーに利用量に対しての説明がつかないことになるのです。
お客様相談センターで最後に対処した方は、電気メーターと同じで電気メーターから先はどの機械がどれくらい使ったかわからないのと同じように、ルーターもどの機械がどのくらい使ったかわからないのです・・・などという説明をしましたが、到底理解ができませんし、電気会社(実は水道、ガスもやってくれます)は極端に増えた場合、きちんと調査をしてくれ結果を出してくれます。
その上でおかしいことがあった場合には、請求をしないことさえあります。
docomoは残念ながらそういう部分をサボタージュしたわけで、残念ながら繰り返しますが20年の信頼はなくなりました。
少なくとも今後は上限設定のないWi-fiルーターに変更します。
日本人がずれているなあと感じたのは、ISILに対してあまりにも無関心なのと、何もしなければ何もされないと思っていること。
遅かれ早かれ彼らは日本人の人質に対して要求をするのは間違いがなかった。
なぜなら「金か他の要求材料になる」からであって、ISILは人質と金もしくは収監者との交換を要求してくる。
安倍総理がイスラエルで声明を発表する前から彼らは誘拐されていたわけで、すでに要求はされていたわけだ。
それに対してテロリズムに屈しない、他国と連携するというのは当たり前の話。
武器を持っての戦闘だけではなく、このように非道な犯罪は当然ながら許すことはできない。
「日本は中東と問題を起こさないからテロの対象にはならない」などと言う人がいるが、それは彼らにとってメリットがないからであって、メリットが発生するのであれば標的にするのは今回ではっきりしたわけだ。
後藤氏らに対しての要求が彼らにとって「メリットになる」と考えたからこそ当初は金で、次は収監者との交換を解放条件としてきた。
少し考えてみればわかるはずなのだが、ISILに憲法第九条などなんの足しにもならない。
平和を望んでいるといいながら、人質を殺害するなどというのは欺瞞でしかなく、武器を用意して相手に攻撃をさせないというのも一つの手である。
これは中立国を見るとわかるのであるが、スイスは国家の水準からすれば軍事大国であるし、国民全てが武器の使用方法を知っていていつでも戦うことができる。
そして中立国で勘違いしてはいけないのが、中立国はどこの味方にもならないという「前提」の元にいるだけのことであって、国家の存亡がかかればどこの支援であろうと「受け入れて戦う」というものだ。
ただ政治的に中立なのであって、それは国家として生き残るために「どちらにも与しない」といっているのであって、平和へのアプローチの違いである。
日本は日本としてのどうアイデンティティーを持つかというのが重要なのであって、平和へのアプローチはさまざまだと考える。
日本の中でさえいわゆる中国が核攻撃のターゲットにされているのだから、日本も核装備をしていわゆる中国にターゲットを向けるべきだという意見もある。
逆に核や武器を持たずに平和を説けば相手は攻撃してこないなんて意見もある。
両者とも「ごくわずか」(特に後者は本当にごくわずか)ではあるが分はあるが、現実的とはいえないものだと考える。
核を持たないことに対しては、今核をどこかの国が使えば、次の瞬間に人類が存亡の危機に立たされるため、その報復が恐いからどこも使用することができない。
だからこそ日本は持たずともいいと思うのだが、作るだけの技術を持っているため他国には「日本は準核保有国である」と思わせて置けばよい。
これは「喧嘩が強いだろう」と予想される人には喧嘩をしかけにくいのと一緒で、恐れさせておくことで相手に手出しさせないのも一つの安全を得る方法である。
その逆に平和を説けばというのは、その部分だけはわからなくはないが、現実世界はそんな甘いものではなく、どこも平和を訴えながら握手をする振りをして左手に武器を構えているのは明らかだ。
私も最終的には世界から争いがなく、国の線などなくなればいいと思っている。
だが、少なくともISILのようなテロリストや、米国やいわゆる中国、ロシアのようなエネルギーと軍事で世界を支配しようとするような国々がある限り、そんなものは望みがないと思っている。
日本が日本であるためには、原点に戻り「肌の色で差別をしない」「欧米の植民地主義に屈しない」という崇高な目標を持った時代に戻り、他国と論を戦わせていくべきではないかと思う。
子供染みた論と感情は不要であって、現実社会の中で何を成すのかが重要なのだと思う。
ブログをはじめて10年が過ぎましたが、一時期のようなアクセスはなくどちらかといえばFacebookで見ていただいているみたいな感じでいます。
NEWS ZEROで紹介された時は、一日に数万アクセスなんていう驚くようなこともありましたが、今ではほんとうに「のほほーーーん」と好きなことを欠いていたりします。
まあ、また電力のことを書いたりしたら数万アクセスきたりするんだろうなあなんて思うと、あまり書けないかな?なんて思ったりもします。
今のペースが嫌いじゃないし、目立つ必要もないと思っているもんで(笑)
これからも「のほほーーーん」とやってまいりますが、突然やめちゃうかもしれません。
さらには前のようにブログの記事を誤ってすべて消してしまうかもしれません(自爆)
ゆるゆると参ります。
後藤健二氏がビデオで「安倍のせい」と言っていることについて、私は氏を責めることはできないと考えます。
確かに旅立つ前には何があっても自分の責任でと言っているのだが、実際に監禁されている状況ということは命が危険にさらされているわけで、そのような状況時においてイスラム国と言っているテロリスト集団の台本を呼んでしまうことはやむをえないと思うからです。
自分だって同じ立場におかれれば、自信がないのです。
◇
ところがその台本読みの部分だけを切り取って、政府にどうこう言う人たちがいます。
もう一度どころか何度も書きますが、後藤氏らを誘拐して身代金要求、その後犯罪者との身柄交換を要求しているテロリスト集団が悪いのであって、政府が悪いわけではありません。
現在、政府がしなければならないのは、国民である後藤氏を救うことであって、政府にどうこう言う人たちは何を言いたいのか理解できない。
公開がなかったと言ってなんの問題があるというのか全くわかりません。
命の危険があったとき、誘拐事件で最初からその事実を公表しますか?
公開捜査をしてその結果人質が殺されたら、間違いなくあなたたちは文句を言いますよね。
秘匿したままの操作であったら、今度は秘匿して操作をして人質が殺されたことに文句を言いますよね。
つまりあなたたちの言っていることは「難癖」でしかないわけです。
◇
もし万が一、後藤氏がイスラム国にシンパシーを感じて、日本の政権を貶めようとしているのだとしても、日本政府はまず第一に国民の生命を救うことを考えるわけで、現在後藤氏がどのような信条であるか計り知れない以上、日本国政府は後藤氏を救う努力をしなければなりません。
ただし、それは超法規的措置として犯罪者と人質の交換をすること、身代金を支払って救うことではありません。
それを許してしまえば、日本はテロリストたちの財布になり続けるだけです。
生命を救うということを前提に、最善を尽くすのが政府がすべきことであるわけで、結果責任を直接問われる必要はないと考えます。
条件があるとしたなら「最善を尽くしたかどうか」であると思うのです。