SNSができてから勘違いが多いのかなあと

石原慎太郎さんならなんというのだろうか。

私は正直好きではないタレントの笑福亭鶴瓶氏であるが、スシローの宣伝から一時期消えてしまった。
それは、中居正広氏の問題となったバーベキューに参加していたからというものが発端で、結局SNSで騒がれ一部のYouTuberだのなんだのが騒いだことが、スシローの企業イメージを考えてどうせ停止したのだと思っている。

はっきりスシローの行為は「ダサい」としか言いようがない。

企業としてキャラクターが問題があるのかないのか判断することは必要であるが、たかだかバーベキューに行ってヒロミ氏が帰ろうというから帰っただけだというのに、CMキャラクターの停止をするほどのことか?と考えてしまう。

フジテレビの問題にしてもそう、週刊文春は「フジテレビA氏が誘った」→「中居正広氏が誘った」にして言い訳として「X子はA氏の会の延長だと思っていた」って、それはX子の勘違いを示しただけでしょ?

それも二度目の記者会見の直前にこそっと書き換えたわけだが、その前提が違うのであれば馬鹿なフリーランス共がギャアギャア騒ぐ材料にならなかったものがあっただろうし、10時間を超えるようなバカげた記者会見に等ならなかっただろう。

中居正広氏がなにをしたのかは知らない。

はっきりしているのは「犯罪者ではない」ということでしかないわけで、示談成立しているわけなので被害者側はすでに挙げたこぶしを引っ込めているわけだ(挙げたかどうかはわからない)。

ただし、私はもしそのX子という人が、示談をして守秘義務を守らなかったとすれば、それはそれで問題だと考える。

当たり前であるが、守秘義務を軽く考えすぎである。

もしそのX子という人が、いまメディアに出てペラペラとそれ以外のことをしゃべりながらも匂わせているようなものなら、とんでもない売名行為ではないかと考える。

誰かは知らないよ?誰かは。

だが、一方は守秘義務を会社も近辺も守っているというのに、示談したもう一方がそれを破棄するようなことは、どうやったって認められるものではない。

同情するのであれば、それは中居正広氏から受けた行為ではあるが、残念ながら示談をして守秘ということであれば墓場まで持っていくのが当たり前だ。

SNSというのもができて、匿名をいいことにデマや誹謗中傷を続けるような人が多くなったことで、世論形成されるなど馬鹿げた世の中になったものだと思う。

それほど日本人を含めた人類は劣化したとでもいうのだろうか。

法ではなく感情だけで動かされるなど、社会を不安に陥れるだけだというのに。

感情で誰かを裁いていいなどということになれば、それこそ無法地帯になるのは目に見えている。

なぜならそこらで包丁を振り回す通り魔は「感情で」人を殺めるのである。

それと大差ないことが起こるのであれば、それは無法地帯であり、カオスとしか言いようがない。

SNSの中にはフォロワーがはっきりしているものがあり、社会的に発信力が強い人たちがいる。

その人たちの中にデマを流す、噓をつく、ありもしないことを発信するなど、本当に意味のないものが紛れている。

意味のある発信をする人の方が多いはずなのだが、残念ながら目立つのはそういう人たちなのだ。

冷静になって庶民は考えてみてほしい。

情報を整理して、より正しい発信を知り、感情に大きく流されない。

それこそが今の世の中の賢い考え方ではないだろうか?

そういや先日、妻と話をしていて1990年代の「ネチケット」のことを私が出したのだが、なるほど今でも通用するわと感じた。

その画面の向こうには、生身の人がいるんだぞってね。

学業の大切さ

堀江貴文氏が中学受験に対して、また大学進学に対して持論を述べているようだが、極論でもあるわけですべての人に当てはまるわけではないため、参考にできるのは一握りなのだと感じる。

私は普通の人であれば東京都に住んでいるのならば中学受験をした方がいいと思うし、できるだけその後の可能性を広げたほうがいいと考えている。

それは「普通の人」であるからだ。

日本で起業家の割合を示す統計はないとのことなのだが、2019年での日本の開業率は4.2%であり、米英仏と比較して半分以下と低い水準であること、起業の意識調査において、関心がある人の割合は14.9%(2021年)とのことで、ほとんどの人が起業とは関係がないことがわかる。

起業家で学歴なんか関係ないなんて人は結構いるが、最近は大学時代に起業する賢い大学の人も結構多い。

堀江氏だって学生時代に起業したわけだし、しかも氏は東京大学である。

あれだけとびぬけた人であれば、そりゃなんでも言えるわけだが、ほとんどの人は普通の人に過ぎず、一生サラリーマンなんて人の方がはるかに多いということになる。

ということで、学業が大切になってくると感じるのは、普通の人が普通じゃなくなるチャンスをもらえるのが学業の成績や結果によるものなのだということ。

拙宅なんざ子供のころは貧乏で、その後普通よりチョイ下、父はサラリーマン後半でやっと人よりいい生活ができた、そんな人であった(私たち兄弟はすでに家を出ていた)。

そんな家庭環境でも、両親は学業の大切さと勉強の仕方、それから所作と言語能力を徹底的に鍛えてくれた。

おかげで弟はいまや一流企業の遊ばせてくれない(苦笑)部長となり、私はフリーランス~企業~フリーランスとなんとか人並み以上に生きていられる状態となった。

その要因はと考えると「学業の結果」というのが大きい。

最近は教育施策の失敗によって、学校外のテクニック的な学びを得ることで、より高い学力で学ぶことのできる学校を選択するようになってしまったが、私たち兄弟のころはぎりぎり詰め込み教育と呼ばれた年代である。

だが、わが父が圧倒的に違っていたのは「勉強とは考えることである」というものであった。

まあ、弟は努力家なので例えば数学の公式を覚えた後に「なるほど」と解いていくので進行が速いのだが、私は公式を解くことからスタートするのでどちらかといえば進行は遅かったが、しかし一度解いてしまえば理解度が高いため今でも忘れることはない。

たまに子供たちの中学や高校の数学や化学なんかで質問をもらっても、苦も無く答えることができたのは、父の考える能力を与えてくれた賜物だと思っている。

母は勉強していないとうるさかったが・・・(笑)

つまりは私たち兄弟は学業の結果に救われた例であり、当時の詰め込みとは違う考え方で生き延びてきたということになる。

といいながらも、弟は北海道教育大学付属札幌中学校に進学する、普通の人だったわけだがだからこそ学業はチャンスと今でも私たちは考えている。

学業の結果は誰にでも平等になるのは、数字が表してくれるからだ。

100点は100点であり、その理解力を示してくれることになる。

しかしながら、テクニックで100点を取ることも可能になるわけで、テクニックだけで生き残ってきた人は、実はその後社会で落ちこぼれる人も出てきたりする。

私がコンサルテーションを行った企業はありがたいことに一流企業が多いが、ある企業では一つの部門に100人程度の優秀と思われる人材(東京大学が95%以上、その他京都大学、慶應大学)を集めていたが、なんと20%近くが落ちこぼれてしまうのを見たことがある。

私より10歳程度若い人たちだったから、学習要領が変わっていた人たちであったが、やはり優秀な人は「考える能力が高い」ということしかなかった。

その中の5%程度はスーパーな人達であったが、彼らのその後を追いかけると、現在ではその企業の主要部門であったり、取締役候補や出向して取締役になっているような感じであり、今後は下手をすると会社を背負う人も出てくるかもしれないというもの。

その時に部門長であった取締役はその後、子会社でも大きなところの会長になったが、私が知っている範囲でも圧倒的に考える能力と、判断する能力、そして人に任せる能力が高い人で、現在まで氏を超えるような人はあまり見たことがない。

その方は慶應大学~MITという変わり種で、とにかくすごい人だったし、私を面白がってくれた人でもあった。

・・・と横にそれたが、その方の慶應は幼稚舎からの優秀な遺伝子を持って、MITへと飛んでしまったすごい人なのだが、それも学業のなせる業なのだと感じる。

そして、その部門に集められた100人は学業での勝利者なのであるから、企業としては可能性を感じるからこそ呼び寄せたのだろう。

そこに普通の人の学業の大切さがあるのだと感じる。

学業こそチャンスが平等なのであり、うちのような叩き上げの貧乏人であっても、チャンスをもらうことができるのである。

週刊文春は人の人生をなんだと思っているのだ?

週刊文春が中居正広氏、フジテレビのX子さんとのトラブルの報道に対して、重大な誤りをおかした。

誤)事件当日の会食についてX子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた

正)X子さんは「中居さんに誘われた」「A氏がセッティングしている会の”延長”と認識していた

それに対して、文春側は修正して文面での謝罪を行った。

ふざけるのも大概にしろと言いたい。

フジテレビ幹部は関係ないわけで、これに対してフジテレビジョンはたいへんなる損害を受けているし、元フジテレビ社員と示談が成立した中居正広氏は仕事を失っている。(芸能界引退=仕事をなくする)

中居正広氏がした行為は、人道的に問題があったとしても、示談が成立しているのであるから、その事実を知らない限り誰も責めることはできない。

いま氏を責めているのは憶測以外の何物でないのと、もしX子さんがリークをしたのであれば、示談の条件を無視したことになり問題である。

フジテレビに問題があるのであれば、中居正広氏からなんらかの「被害」を受けたことを会社の人間は知っていたというのに、なんの調査もしないで中居正広氏をテレビ番組に出演させ続けたことである。

これは、フジテレビにしかできなかったことであり、港社長が個人情報は・・・といいながら、退職時期を言ってしまったその被害者を、会社として守るべきことがあるのなら、それができなかった会社には大きな問題がある。

そう考えると、あの10時間以上にわたった記者会見はいったいなんだったのか?という話になる。

そもそもがA氏は今回の事件に関与していないのであるから、馬鹿みたいに粘着した記者の質問の時間は実に無駄であったと考えられる。

上記を考えるに、週刊文春の記事はあまりにも大きな影響を今回の件に与えているわけで、謝罪程度で済むような問題ではない。

フジテレビが守るべきだったのは、被害を申し立てた社員であり、テレビ番組のMCであった中居正広氏ではない。

そこはフジテレビの問題であるが、だからといってほとんどの広告主が見合わせるような事態になったのかはわからないが、少なくとも中居正広氏のなんらかの問題に対して「フジテレビ幹部が関与している人権問題」があったということでの見合わせであったのだから、文春に大きな責任がある。

さらにいえば、松本人志氏の報道は結果として松本市側の訴えの取り下げとなったわけだが、記事の正確性に信憑性がなかったからこそ取り下げとなっただけのこと。

松本氏側を懐疑的にみている人はいるが、取り下げというのは今回の裁判と同様の内容があった場合、再度訴えることができるからこそ取り下げにしたわけで、もし今回の訴訟で文春側と手打ちをするのであれば「和解」「示談」としたはずである。

そういう基本的なことを知らないで、松本人志氏側にさも問題があるように話をするのは、法治国家に認められる「推定無罪」というのを見事に無視したどっかの国家のように感情に左右された司法となってしまう。

立件され犯罪の証明がされなければ、有罪とはならない。

これも理解されていない方がいるが、刑事裁判に対して推定無罪の原則は存在しており、かつ人権として保証されているものだが、民事裁判にはこのようなものはない。

つまりは松本氏にも中居氏にも刑事被告となってもいなければ、民事での解決(取り下げおよび示談)がされているのだから、有罪などということにはならない。

それにしても今回のメディアスクラムは、フジテレビが普段自分たちがなにをやっているのか認識できたであろうから、今後自分たちの取材は人権をどのように扱うのか先頭を切って考え実行していただきたい。

日本のメディアのレベルの低さ

これだけは圧倒的に欧米よりも下だと感じる。

記者会見がそもそも10時間超って何事?と思うのは、つまり記者のレベルが低いから得たい回答(自分の思想に合った回答ではなく)を引き出すレベルに、ほとんどの記者が到達していないからこそ起こったのだろうと。

切れ切れに少しずつ見たのは(不愉快だから終わったかな?と何回かチャンネルを合わせました)、どこの記者か知りませんが自分の喋りたいことをさんざん喋ったあと「しっかりしろ!」と怒鳴るなんて、そりゃもうレベルの低さを徹底的に表してくれています。

東京新聞の望月氏に至っては、SNSでさんざん邪魔だと書かれていたようですが、彼女の質問は「いつも」質問ではなくて自分の考えを出して「こうだろ」ってやるだけですし、相手の話の途中にしょっちゅう割り込むという悪いお手本ですから、あれを良いと言ってしまうような評論家や思想家は終わっているとさえ思います。

なにが「ピリッとしまった」だ(笑)

今回の会見で、どこのメディアの記者がよかったのかとググってみましたが、圧倒的に「通販新聞」さんがよかったとなっています。

それは質問の内容ではなく、「一応、手を挙げて当たった人が質問するルールになっているので、それは守ってください。静かにしてくださいマジで」という発言に対してのことです。

当たり前のことなんですが、フリーランスの記者が「しっかりしろ!」と怒鳴った後の発言のようで、こういうのを見るとフリーランスの記者も記者会見場に入れろとか言う意見がありますが、私はこのレベルであれば不要だと感じます。

ネットメディアも変わらないんだろうなと思うわけですが、記者クラブはいらないにせよ、大手メディアと実績を認められたフリーランス、ネットメディアの記者だけが会見場に入ることができるようにした方がいいでしょう。

本当にレベルが低すぎますもの。

オールドメディア、大手メディアの記者でさえレベルが低いからこそ10時間もの会見になってしまったわけで、あの記者会見をみて「真摯に対応したフジテレビの方がまし」とか「メディアリンチ、スクラムにあってかわいそう」とか思う人が出なければいいやと感じます。

なぜならフジテレビはそのメディアリンチ、スクラムに参加していますし、大谷翔平選手のプライバシーの部分に踏み込んで謝罪さえきちんとできないような会社なのです。

こうした記者に望むのは「インテリジェンス」に他なりませんね。

賢さ、スマートさ、それが全く昨日の会見には感じられなかったわけです。

こうしてみると、石丸伸二氏(私は好きではありませんが)の記者会見でネットメディアやフリーランスの大多数を排除したのは、結果的に正しいのだと感じました。

欧米から「日本の会見は開かれていない」と言われますが、欧米の方々に申し上げたいのは、残念ながら日本のメディアにはインテリジェンスが欠けているとしか言えないので、少しでもまともな人たちのみで会見をしたいので、記者クラブが残っていますと恥をさらしながら言っていくしかありませんね。

フジテレビ問題でゴールがずらされていないか?

中居正広氏の示談が週刊誌で報道されてから、フジテレビ局員が関与している問題で、社長の会見はひどいものと感じたが、他マスコミがゴールをずらしている気がしてならないので整理してみました。

当初の問題点
・中居正広氏が女性問題において示談で解決した
・この問題に対してフジテレビ局員が女性を斡旋するなどの関与があった
・もしくは女性の被害者がフジテレビの局員および関係者であった

それがどうも変わったのは
・中居正広氏が女性問題において示談で解決したことを知っていたのに、フジテレビは一年半も出演させていた

どうしてこんなことになったのか不思議でならない。

当初の問題点から考えるに、NGは以下ではないだろうか。
・中居正広氏に対してフジテレビの局員が女性を斡旋するなどの関与があったのをフジテレビ側が知っていた
・女性の被害者がフジテレビの局員および関係者であったのをフジテレビ側が知っていた

つまりは示談があったとしても、フジテレビの局員が加害に加担をしたもしくは被害を受けたことをフジテレビ側が知っていたのであればこれは問題であるということ。

そして、変化したことでどうしても疑問に感じるのは「中居正広氏が示談で今後の活動に対して問題がない」状態であると判断するのはまあ構わないと思うのだが、もしフジテレビの局員がなんらかの形でかかわっておりフジテレビ側がそれを知っていて何もしなかったのであれば問題であると考えられる。

もしフジテレビの局員が関与をしてフジテレビ側も一年半前に知っていたのであれば、それはNG行為になるとは考えられるが、どうも信用できないのはゴールをずらしているのではないか?ということ。

ただし気になっているのは「他のマスコミ各社も中居正広氏および他の人に対して同じことをしていませんでしたか?」というものです。

TBSは調査を開始したと報道されましたが、それがどこまで行われ、どこまで正確なのか。

まあ芸能界とマスコミの腐った部分が明らかになって、正常化されることを望むわけではあるが、残念ながら今後のテレビはもっとつまらなくなるであろうと感じる。

それは結果として地上波が駆逐され、個人が見たいものだけ課金で見られる(しかもお高くなく)べきじゃないかなと思う次第。