人はいつ成長するのかはわからない

社会人として、学生を経験した身として、またサッカーのコーチとして、若者(少年少女)から年寄りまで見ているわけですが、人間が成長するのはいつかというのは全くわからないと思っています。

例えば身体的な成長としては、私の場合は小学校では順調に大きくなりましたが、小学校6年生くらいから高校1年生のごく初期まではほとんど成長しませんでしたが、高校1年の4月後半から7月後半のたった3か月で身長が17cm伸びるという経験、その後体重が40kg台から68kgまで増えて筋肉増大する経験をしています。

そのため中学時代を知っている人たちは、私が高校以降で出会ったときにその大きさに驚くわけですが、身体の成長が人それぞれであるからこそ驚きが出るのだと理解をしています。

そして精神的な成長という部分も、やはり人それぞれと感じています。

私は、特に今の私を知っている方々は、私が小学校の後半から中学の途中まで壮絶ないじめにあい、高校に入ってからも人との交流が多くならず、下手をすると引きこもりになってしまうなどと話をすると、お笑いにしか思えないと思うでしょう。

札幌から東京に転校して、数日後から生意気だということで同級生から毎日のように暴行を受け、教師たちに自分でクレームをあげてみても無視をされ、逆に担任から私が責められるような、そんなことがありました。

まあ、原因としては私が生意気だったというのもありますが、それにしても毎日のような暴行を受けてよいようなものではなかったと今でも思っています。

20年ほど前まではクラス会が行われていたので、その際に当時いじめていた人たちに今の自分を見せるために行っていましたが、そのキャラクターの違いに驚かれたのと、恨み言は冗談以外言わなかったことを驚かれたことを覚えています。

そして、その・・・今でいう陰キャになる原因となったのは、中学の最後の方で東京から札幌に再度転校する際に、もともといた札幌の場所に戻ったため、小学校が同じだったメンバーがいたのですが、そのメンバーの一部から北海道弁を話さなくなった東京弁のいけすかない奴ということで、札幌でもいじめられました。

それが私を陰キャにする決定的な要因となったのは間違いありません。

救いだったのは、転居をしたために別の中学校に進んでいた友人と会うことが多く、通っていた学校のいじめっ子たちのことを忘れられる時間があったことです。

そしてその中に高校で親友となるIという人物がいました。

Iはちょい悪という感じでしたが、喧嘩が強くしかし私とよくコミュニケーションを取ってくれました。

別の中学校の友人ができたことに喜びを感じたのですが、まさかの高校が同じになる、まして2年、3年と同級生になるとは当時は思っていませんでした。

高校に行くと、実は中学校で私をいじめていた中心人物も同じ高校だったため、あることないこと広められました。

そのため、他の中学校から来た同期の中に、勝手に私を敵視するメンバーがいたため、それが私にとってはすごく嫌な出来事だったわけです。

しかし、同じ学年にIがいたため、私は彼と共に学校外の活動をするようになり、様々な高校のまじめな奴から暴走族の頭をはるような奴まで、いろいろな人物と交流をさせてもらい、今のキャラクターのベースができていったように思います。

ここがたぶん精神的な大きな成長があったと今でも思っています。

高校1年は可もなく不可もなく、学校内では私の邪魔をするメンバーがいましたが、学校外ではだいぶんとオープンマインドになった自分ができてきました。

学校内のことも決定的に変わったのは高校2年の学校祭の時でした。

私を中学時代の同級生からさんざん悪口を聞かされていたため、毛嫌いしていた同級生がいたのですが、彼は学校祭の出し物に対して大口をたたいていたのですが全くなにもせず、私は別段何も言わずにひたすら手伝っていました。

その彼は声が大きい(まるでどこぞのサヨクのようですw)ため、クラスの中では工藤ってどうなの?状態だったのですが、黙々と手伝う私にだんだんとクラスのメンバーが話しかけてくれるようになりました。

「ねえ、ここの設置手伝ってくれる?」などとどんどん声をかけてもらえるようになりました。

それに対して私は一緒に作り上げることが楽しかったため、笑顔で作業をしていただけでしたが、クラスの人物評価は口だけの彼と、私の評価は全く逆転しました。

当然同じクラスだったIも一緒に作業をして、作業終わりや学校祭の終わりには笑顔で集合写真を撮っています。

今でもその写真は私が変わったきっかけだと宝物にしています。

そこから社会人になるまでの精神的な成長は、自分の人生の中で赤ん坊以外では大きなものだったと思っています。

私が人と一緒に何かを成そうとすることや、オープンマインドで人と接することであったり・・・それらのきっかけを作ってくれたのは、親友であるIであったことは間違いがありません。

彼がいなければ、間違いなく今の私はありませんし、一生引きこもっていたかもしれませんので生きている限り、彼を親友として大切にしていきたいと思っています。

ありがたいことに、最近ではめっきり出不精になったIですが、私が実家に帰ると連絡をすると、よほど重要なスケジュールがない限り必ず会って食事をしたりしますし、私も帰省の際には必ず連絡をするようにしています。

彼がいなければ私の精神的な成長はなかったでしょうし、本当にありがたい親友です。

精神的な成長を高校時代に果たすことができたわけですが、中学時代には成長しているようには思えなかったわけで、やはりその成長も人それぞれだと思っています。

また、離婚によって成長なのか変化なのかありましたが、それはまた別の話ですw

今日のあさイチはフェミニズム満載だが

とまあ、テレビを見ながら仕事場に到着した私ですが、解説?をしていた女性の一方的な意見に、若干「おいおいおい」と思っていたのは・・・

私たち還暦世代のことを考えてみて、札幌居住の独身者と、東京居住の独身者で、ある意味差があるのかなと感じています。

私は小学校6年生の時に札幌から渋谷区に転居したため、それをじっくり見ることができています。

独身者の数が多いのは圧倒的に渋谷区側で、金持ちの家に生まれた人の中で特に女性に多い印象です。

渋谷区の男性側独身者は、なぜこの人が結婚しないんだろう?という人がいたりしますが、お金は十分すぎるほどあるのに???と思ってしまいますが、ヒアリング(って言うか?w)をしてみても同性愛であってカムアウトできないとかではないので、本人としては「結婚する必要性を感じなかったから」とか「子供が好きではないから」という回答があったりします。

札幌の場合は特に男性では「収入に問題があり結婚できなかった」というのがあります。

正直なところ、この世代で200万円台の給与となっている人がいるのが事実で、結婚をしても相手に迷惑をかけるというのがその意見です。

札幌の女性の場合は「なんとなく」であったり、「親との関係(介護など)」、「結婚したい人がいなかった」というのが聞こえてきます。

あとは、「仕事が楽しいから」というのもあります。

それぞれ理由はいろいろありますが、特に渋谷側は結婚していない人が多い(私の周りだけなのかもしれませんが)という印象です。

あさイチでは「主婦」というものの変遷を話していましたが、1970年代のインテリ主婦と言ってもいい戦後教育の中で生まれた「勝ち取った主婦像」をやっていました。

私もこの主婦像はすごいなあと思いますし、これぞ当時の主婦の考え方なんだなと感じ、「何もしていない女」的な雰囲気は全く感じませんし、一緒に家庭を作っていくには素晴らしい考え方だったなと思いました。

しかし、1980年代の中盤、男女雇用機会均等法くらいの男性の発言については、ちょっと恣意的に感じましたが、それにしても男性の「女性はなにもできない」的な風潮があったのは、ある程度事実だったのではないかと感じています。

事実として結婚を前提とする女性の場合、キャリアをストップしてしまったり、中断してしまったりするため、企業側としては育てるのをどうしたらよいのかというのがあったでしょう。

また、当時は就業人口における男性比率が多いわけで、「俺が養っている」的な考えの多い男性が多かったのは事実です。

しかし、俺が・・・と言ってみても、実際に子育ての大部分を仕事を言い訳にしてやらなかった男性が多くいましたし、その後は定年後離婚が増えたり、女性が男性側に愛想をつかせて家庭内別居などをしていたのもまた事実で、男性側の問題も大きいのは間違いなかったと思っています。

保守でありながらフェミニストであった父は、兄弟から馬鹿にされていた部分がありました。

それは重要な話し合いの中で決定を求められた際、父は母の意見を聞いてから返答すると言っていました。

それを父の兄弟は「いくじなし」などと思っていたようですが、家庭で見た両親の関係性は対等であり仕事で忙しいときであっても家庭に関与し、議会で家にいないとき以外は洗い物をする父というのが当たり前でした。

父に「洗い物をするのはなぜ?」と聞いたことがありますが、他のことが苦手で一番できるのがこれだからと言っていたことを思い出します。

ちなみに母は私が6歳の時から働いていて、その後ラタンクラフトの先生をやっていたりしましたが、中学3年の時から自動車修理工場の事務&自動車保険担当で昨年まで仕事をしていました。

そのため、我が家は昭和40年代から共働きが当たり前であったため、主婦という感覚が全くありません。

我々子供たちも積極的に家事を行っていたので、これが家庭だと思っていたら、よその家庭は全く違っていたことがほとんどでした。

私はといえば、前妻は主婦願望の強い人でした。

しかしながら経済的な事情などがあり、パートで仕事をしていたのですが、家事は分担していましたし、子育ても分担していました。

私がPTAにかかわるようになり、学校行事や学校の作業などについて妻がかかわらなくて良くなったことは、彼女にとって別のことに時間が割り当てられるため、よかったというのは聞きました。

子供が生まれてから私は朝昼晩の食事は家で採るようにし、夕食後に子供たちを風呂に入れ、寝かしつけてからまた仕事に戻ったり、飲みに行ったりという感じでした。

自分で仕事をしていたので時間的な制約から解き放たれていたからこそできたというのもありましたが、私は実家の転勤族であったこと、議会対応で時間的な制約ができたことが嫌でしたので、転勤のない仕事と、自分で時間を考えることのできる仕事ということで、フリーランスであったり、会社代表というのを選択しました。

現在の妻は自分でもやりたい仕事があり、それに対してアプローチしているので、私としてはこちらの方が目指している姿であったと思っているわけですが、ではどちらが良いのかと言われても、それぞれに条件があるためどちらがどちらとも言い難い部分があります。

まだ人生が続くので、そこは最後まで宿題と思っているので、今の環境をどうするのか話し合いながら決めていきます。

ちょいととりとめもなくなった感があるので、思ったことの羅列になりましたが、バービーさんが1970年代の主婦の方の意見を聞いて「なんか虐げられているイメージを持っていたけれど、そうではないと私も偏見を持っていた」という趣旨の発言をされていましたが、世間一般では主婦と言うとそういうイメージがいまだに根強く残っているのか?と思ってしまいます。

メディアでは男女の仕事の差がどうのこうのと言っていますが、参考にするのは北欧や欧米というところになります。

なぜそれらの国で女性が働くのかというと「労働人口が不足しているから」ということがあるのですが、そういうところには触れずに均等に~とか言っているのをみると不快になります。

しかし、日本の現実として労働人口の減少が見込まれる中で、今まで主婦としていられた層がなくなり女性も仕事をすることを求められる社会となっているわけで、そこに働きやすさと子育てのしやすさというのが必要になります。

そういう事実を濁したままで「男女同権で」とやるのはいかがなものかと思うわけですが、私なりに考えるのは女性は子供を産むことができる唯一の性であるため、これを守るべき存在だと考えています。(男が産めるのうんこだけといったフェミニストや政治家は阿保とw)

だからこそ働きやすさが必要ですし、キャリアの中断があっても復帰が容易にできるようになる仕組みが必要だと感じます。

なんちゃらの自由なんて呑気に言っていられる時代ではなくなっているというのに、ツイフェミの方々は完全に方向を間違っていると思うわけですが、女性を優遇するのではなく男性も家庭の一員であるという意識で、もっと家庭にいる、振り返る時間を多くしていかねば、日本という国は人が減っていって衰退するだけとなります。

人口が減ったとしても工夫で変えることができるのですが、男女でいがみあっていたり、どちらかを優遇するというような趣旨では、結果としてただ衰退を見ているだけとなるでしょう。

あえて男性として言いますが、女性をたいせつにするべきだと考えていますが、必要以上な要求は不要だと考えています。

前妻に一番感謝しているのは、私との間に子供を作ってもらい、一緒に子育てができたことです。

そこには素直に感謝しています。

勘違いも甚だしい

数日前に、赤いきつねで炎上らしきものが起こったそうですが、本気でくだらないと感じましたし、大多数の方が馬鹿げていると思っているというのに、いわゆるツイフェミが「性的だ!」と騒いだことで、少数意見に対してあきれることが多くなったなあと感じるわけです。

少数者の意見を切り捨てろなんてことは思いません。

ただし「言いがかりの類については知らねーよ」ってのが私のスタンスなわけで、マイノリティの必要な意見は採用する必要があるわけですが、言いがかりの類は全く持って必要ないと思うのです。

現在、選択的夫婦別姓について議論がされているようですが、それを必要(絶対とできればを合わせて)とする人が三割(まあ盛っているでしょうが)だそうで、選択的夫婦別姓を必要としない七割よりも三割の意見を聞けとかいう言葉を耳にする度、馬鹿げているなあと感じるわけです。

最近、どうも韓国民団もその流れに乗ってきたような話も聞こえてきますが、韓国やChinaは妻であろうとも「家族には入れない」ため旧姓を名乗り、子供に至っては夫の姓を名乗るというものです。

つまりは、これと同じにしろというレベルなのでしょうか?と思うわけです。

それからLGBTQ+(笑)

いくら後ろについてくんねん!という感じですが、レズビアン、ゲイという同性愛者、バイセクシャルという指向と、トランスジェンダーは明らかに違います。

トランスジェンダーはあくまでも生まれてきた性との違和感があり別の性というものであって、同性愛や指向とは異なります。

それからクィアという少なくとも私には理解不能なものについては、簡単に考えれば性の問題ではなくて、その個人の考えるものでしかなく、+なんてのはトランスジェンダーとはかかわりのないものばかりですから、この世でケアすべきなのはトランスジェンダーなのだと考えるわけです。

同性愛や指向、クィアなどは「別に好きにすればいいじゃない」と思うわけで、私は宗教的に嫌悪感を持っているわけではないため、差別することなどありえません。

ですので、彼らが言う「権利」とやらはさっぱりわからないわけです。

ただし、私にとって同性婚は「ならぬものはならぬ」と考えているため、絶対に認めることはできません。

そもそも私が考える婚姻とは、家族を構成する単位が本人と配偶者およびその子供であるため、子を成さぬ同性婚は私としては認めることなどできないわけです。

そこに論議をふっかけてくる人がいるのですが、子供ができない場合はどうするのか、というものがありますが、それはやむを得ない「少数の問題」と考えます。

実は私は再婚をした際に子供を考えていましたが、結果として妻の体調などのことがあり、子供をもうけることをあきらめざるを得ませんでした。

ですので、拙宅は現状少数の問題に面しているわけですが、これは仕方がないことだと感じています。

そのため妻とは、社会で子供に必要な税的な負担がもし我々に課されるなら、それはそれで仕方がないと思っているのは、子供が国を支えるための大きな材料であるからと考えるからです。

私には二人子供がいますが、それは前妻との間ですからそちらについてはすでに成人をしていますし、結婚もしているためそれは子供たちが結婚というものに対してどう考え、社会を支えるためにどうするのかは任せていますが、彼女たちは子を成すことを考えてくれていますし、それに対しての社会的アプローチや、収入面の解決を自分たちで行っているので頼もしく観ています。

私は私の立場を勘違いせずに見るように努力をしています。

社会に対してどのように貢献できるのか、どのように影響を与えることができるのかを考え、実行しています。

その際に気を付けているのは、身体的に障害を抱えていたりする方々とどう向き合うのか、どうフォローすることができるのかということであり、実際にそうした少年少女と現在も向き合っています。

これこそ少数の方々をどうフォローするかということであり、自立できる同性愛や指向に対して必要ではないフォローを考えることはないわけです。

ただし勘違いしていただきたくないのは、人の心の「気持ち悪い」とか「いやだ」という部分までは変えられないのです。

私は同性愛者の友人も、バイセクシャルの友人もいます。(トランスジェンダーもいます)

しかし、私は彼らを差別することはありませんし、気持ち悪いとも思ったことなどこれっぽっちもありません。

ですが、人の心などというのはそれぞれ、それこそ多様な考えがあるわけですから、勝手に思わせておけばいいのです。

どうせ近寄ってこないのですから、わざわざ近寄って「気持ち悪いって思うな」という方がへんな考え方ではありませんか?

それを大声で怒鳴りながら、裸でパレードをするような姿勢こそ「勘違いも甚だしい」と大多数を擁する世間が感じるだけなのです。

SNSができてから勘違いが多いのかなあと

石原慎太郎さんならなんというのだろうか。

私は正直好きではないタレントの笑福亭鶴瓶氏であるが、スシローの宣伝から一時期消えてしまった。
それは、中居正広氏の問題となったバーベキューに参加していたからというものが発端で、結局SNSで騒がれ一部のYouTuberだのなんだのが騒いだことが、スシローの企業イメージを考えてどうせ停止したのだと思っている。

はっきりスシローの行為は「ダサい」としか言いようがない。

企業としてキャラクターが問題があるのかないのか判断することは必要であるが、たかだかバーベキューに行ってヒロミ氏が帰ろうというから帰っただけだというのに、CMキャラクターの停止をするほどのことか?と考えてしまう。

フジテレビの問題にしてもそう、週刊文春は「フジテレビA氏が誘った」→「中居正広氏が誘った」にして言い訳として「X子はA氏の会の延長だと思っていた」って、それはX子の勘違いを示しただけでしょ?

それも二度目の記者会見の直前にこそっと書き換えたわけだが、その前提が違うのであれば馬鹿なフリーランス共がギャアギャア騒ぐ材料にならなかったものがあっただろうし、10時間を超えるようなバカげた記者会見に等ならなかっただろう。

中居正広氏がなにをしたのかは知らない。

はっきりしているのは「犯罪者ではない」ということでしかないわけで、示談成立しているわけなので被害者側はすでに挙げたこぶしを引っ込めているわけだ(挙げたかどうかはわからない)。

ただし、私はもしそのX子という人が、示談をして守秘義務を守らなかったとすれば、それはそれで問題だと考える。

当たり前であるが、守秘義務を軽く考えすぎである。

もしそのX子という人が、いまメディアに出てペラペラとそれ以外のことをしゃべりながらも匂わせているようなものなら、とんでもない売名行為ではないかと考える。

誰かは知らないよ?誰かは。

だが、一方は守秘義務を会社も近辺も守っているというのに、示談したもう一方がそれを破棄するようなことは、どうやったって認められるものではない。

同情するのであれば、それは中居正広氏から受けた行為ではあるが、残念ながら示談をして守秘ということであれば墓場まで持っていくのが当たり前だ。

SNSというのもができて、匿名をいいことにデマや誹謗中傷を続けるような人が多くなったことで、世論形成されるなど馬鹿げた世の中になったものだと思う。

それほど日本人を含めた人類は劣化したとでもいうのだろうか。

法ではなく感情だけで動かされるなど、社会を不安に陥れるだけだというのに。

感情で誰かを裁いていいなどということになれば、それこそ無法地帯になるのは目に見えている。

なぜならそこらで包丁を振り回す通り魔は「感情で」人を殺めるのである。

それと大差ないことが起こるのであれば、それは無法地帯であり、カオスとしか言いようがない。

SNSの中にはフォロワーがはっきりしているものがあり、社会的に発信力が強い人たちがいる。

その人たちの中にデマを流す、噓をつく、ありもしないことを発信するなど、本当に意味のないものが紛れている。

意味のある発信をする人の方が多いはずなのだが、残念ながら目立つのはそういう人たちなのだ。

冷静になって庶民は考えてみてほしい。

情報を整理して、より正しい発信を知り、感情に大きく流されない。

それこそが今の世の中の賢い考え方ではないだろうか?

そういや先日、妻と話をしていて1990年代の「ネチケット」のことを私が出したのだが、なるほど今でも通用するわと感じた。

その画面の向こうには、生身の人がいるんだぞってね。

学業の大切さ

堀江貴文氏が中学受験に対して、また大学進学に対して持論を述べているようだが、極論でもあるわけですべての人に当てはまるわけではないため、参考にできるのは一握りなのだと感じる。

私は普通の人であれば東京都に住んでいるのならば中学受験をした方がいいと思うし、できるだけその後の可能性を広げたほうがいいと考えている。

それは「普通の人」であるからだ。

日本で起業家の割合を示す統計はないとのことなのだが、2019年での日本の開業率は4.2%であり、米英仏と比較して半分以下と低い水準であること、起業の意識調査において、関心がある人の割合は14.9%(2021年)とのことで、ほとんどの人が起業とは関係がないことがわかる。

起業家で学歴なんか関係ないなんて人は結構いるが、最近は大学時代に起業する賢い大学の人も結構多い。

堀江氏だって学生時代に起業したわけだし、しかも氏は東京大学である。

あれだけとびぬけた人であれば、そりゃなんでも言えるわけだが、ほとんどの人は普通の人に過ぎず、一生サラリーマンなんて人の方がはるかに多いということになる。

ということで、学業が大切になってくると感じるのは、普通の人が普通じゃなくなるチャンスをもらえるのが学業の成績や結果によるものなのだということ。

拙宅なんざ子供のころは貧乏で、その後普通よりチョイ下、父はサラリーマン後半でやっと人よりいい生活ができた、そんな人であった(私たち兄弟はすでに家を出ていた)。

そんな家庭環境でも、両親は学業の大切さと勉強の仕方、それから所作と言語能力を徹底的に鍛えてくれた。

おかげで弟はいまや一流企業の遊ばせてくれない(苦笑)部長となり、私はフリーランス~企業~フリーランスとなんとか人並み以上に生きていられる状態となった。

その要因はと考えると「学業の結果」というのが大きい。

最近は教育施策の失敗によって、学校外のテクニック的な学びを得ることで、より高い学力で学ぶことのできる学校を選択するようになってしまったが、私たち兄弟のころはぎりぎり詰め込み教育と呼ばれた年代である。

だが、わが父が圧倒的に違っていたのは「勉強とは考えることである」というものであった。

まあ、弟は努力家なので例えば数学の公式を覚えた後に「なるほど」と解いていくので進行が速いのだが、私は公式を解くことからスタートするのでどちらかといえば進行は遅かったが、しかし一度解いてしまえば理解度が高いため今でも忘れることはない。

たまに子供たちの中学や高校の数学や化学なんかで質問をもらっても、苦も無く答えることができたのは、父の考える能力を与えてくれた賜物だと思っている。

母は勉強していないとうるさかったが・・・(笑)

つまりは私たち兄弟は学業の結果に救われた例であり、当時の詰め込みとは違う考え方で生き延びてきたということになる。

といいながらも、弟は北海道教育大学付属札幌中学校に進学する、普通の人だったわけだがだからこそ学業はチャンスと今でも私たちは考えている。

学業の結果は誰にでも平等になるのは、数字が表してくれるからだ。

100点は100点であり、その理解力を示してくれることになる。

しかしながら、テクニックで100点を取ることも可能になるわけで、テクニックだけで生き残ってきた人は、実はその後社会で落ちこぼれる人も出てきたりする。

私がコンサルテーションを行った企業はありがたいことに一流企業が多いが、ある企業では一つの部門に100人程度の優秀と思われる人材(東京大学が95%以上、その他京都大学、慶應大学)を集めていたが、なんと20%近くが落ちこぼれてしまうのを見たことがある。

私より10歳程度若い人たちだったから、学習要領が変わっていた人たちであったが、やはり優秀な人は「考える能力が高い」ということしかなかった。

その中の5%程度はスーパーな人達であったが、彼らのその後を追いかけると、現在ではその企業の主要部門であったり、取締役候補や出向して取締役になっているような感じであり、今後は下手をすると会社を背負う人も出てくるかもしれないというもの。

その時に部門長であった取締役はその後、子会社でも大きなところの会長になったが、私が知っている範囲でも圧倒的に考える能力と、判断する能力、そして人に任せる能力が高い人で、現在まで氏を超えるような人はあまり見たことがない。

その方は慶應大学~MITという変わり種で、とにかくすごい人だったし、私を面白がってくれた人でもあった。

・・・と横にそれたが、その方の慶應は幼稚舎からの優秀な遺伝子を持って、MITへと飛んでしまったすごい人なのだが、それも学業のなせる業なのだと感じる。

そして、その部門に集められた100人は学業での勝利者なのであるから、企業としては可能性を感じるからこそ呼び寄せたのだろう。

そこに普通の人の学業の大切さがあるのだと感じる。

学業こそチャンスが平等なのであり、うちのような叩き上げの貧乏人であっても、チャンスをもらうことができるのである。