カテゴリー別アーカイブ: 日々思ふこと

費用対効果というのでしたらどれくらいの費用を積んでいますか?

費用対効果という言葉については、その通りだと考えるのですが、費用を少なくして大きな効果を得ようとばかり考える人が多いような気がしてなりません。

費用対効果とはその名の通りで、費用に対しての効果ですから、費用が大きければ効果が大きくなるのは当然なのですが、少ない費用で大きな効果を得ることはそれほどないのだと考えます。

例えば子供さんの習い事について、3000円/月で期待するものというのはなんでしょう。

私たちの例でいえば、サッカースクールをやっていますが、遊び場所の提供と、サッカーを通じた運動能力の向上などを考えています。

ですから、そこに「プロフェッショナルになりたいので、徹底的に鍛えてください」と来られたとしても、とてもお応えできるものではありません。

あるサッカースクールではプロを目指すとは言っていませんが、高いレベルでのサッカーコーチングというのを掲げており、元Jリーガーがコーチングスタッフとして実際に現場に立つなんてことをして、週1回からの講座で15,000円/月の謝礼を要求しているところがあります。

当然ながらそのコーチは少しでも高いレベルでのサッカーに対しての運動能力向上や、サッカー頭を作るため徹底的にそれらを叩き込むことをします。

そしてその際に、スクールの生徒の質をできるだけそろえるようにするのです。

そこから落伍した子供は別のスキルのスクール、それ以上のスキルの子供は高いスキルのスクールなど、その受け皿をも用意しています。

方や我々はスキルも、年齢もバラバラですから、共通してできるような基礎的な訓練であったり、遊びを取り入れたものなどを採用して子供たちにさまざまなものを伝えています。

はっきりかけば3,000円と15,000円の価値とはそれくらい違うもので、私たちに15,000円と同じ効果を生み出すことは不可能です。

しかし、もう少し突っ込んでいえば15,000円・・・いや12,000円いただければ、15,000円のものと同程度の効果を出すことはできると考えていますが、当然ながら3,000円では不可能としか言いようがありません。

しかし、お子さんの保護者の中には平気でそういうことを言う方がいらっしゃるのを知っていて、あちらこちらのサッカークラブやサッカースクールで同じようなことを聞いてしまいます。

私たちは「これこれまではします」と説明していますが、プロを目指すようなそんなスクールを作るとは言いませんでしたし、言うはずもありません。

幸いなことに我がスクールにはそんな無茶をいう保護者がいらっしゃらないのですが、過去にはそれに近い言い分の方もいらっしゃったように記憶をしております。

たぶんおっしゃりたいのはコストパフォーマンスのはき違え(安いコストからの良いパフォーマンス)でしかなく、費用(コスト)と効果(パフォーマンス)は比例するのだということを多くの人は勘違いをしているような気がしてなりません。

それはCMなどで明らかだった気がしていて「コスパ」=(安さ)みたいなものが多かったと記憶しています。

コストをかければパフォーマンスがあがる可能性が高くなりますが、それが適正なのかどうかを判断するのが費用対効果=コストパフォーマンスに過ぎません。

ちゃんと言葉を理解して利用していただくべきだと考えます。

専門家といわれる人は何を見ているのか?

先日、News Picksというサイトにて、どこぞの学校の方が日本の経済が低迷して云々って書いてあったのですが、気になったのでこちらに書いておこうかと思います。

日本全体が貧しくなっているという表現をしていたのですが、その理由が「10年以上前の1000万円稼いでいた人は現在では500万円程度の価値」というものでした。

それはドル円が80円だった時と、現在の112円程度を比較して、海外での購買力を考えればその通りですが、それが貧しくなったといえるのでしょうか?

ほとんどの日本国民は国内で暮らしており、1万円の価値はこの30年程度あまり変わっていないのは皆さんご承知の通りです。

まあ、専門家の方々には当たり前のことでしょうが念のため、インフレーションとはお金の価値が下がることで、デフレーションとはお金の価値が上がることになります。

逆を言えばインフレーションはモノの値段が上がり、デフレーションではモノの値段が下がる傾向にあります。

日本が30年間お金の価値が変わっていないのは、極端なインフレーションがなく、またデフレーション状態があったことを考えることでよく理解ができます。

それと、ドル円で80円と112円を比較すると、80円から見て40%アップであり輸出企業はウハウハになりますが、112円からみると29%ダウンということで、海外投資などはお得ではないということになります。

そこで単純に日本人が貧しくなったというのをドル円80円→112円から判断するのは極めて幼稚な判断であり、あくまでも日本国内の貨幣価値は変わっていないわけですから日本国内では1000万円稼いでいる人は1000万円ぶんの価値をもっているわけです。

国外に行った際には29%ほど損をしますが、駐在の場合は円ではなくドルで支給する(現地での売り上げの中から)などの工夫をすることで、どうにでもできることです。

むしろ駐在から戻ってしまえば、円に換えることでちょっとお得になるかもしれません。

で、それよりもなによりも大半の日本人は日本国内に居住して生活をしているのに、海外に比較して貧しいなんてことを言う、なんともおかしな専門家は「グローバル」とやらに汚染でもされているのでしょうか。

確かに海外の企業は日本にきて高い給与で人材を求めに来ています。

私もあるコンサルティングファームと報酬について話をしたことがありますが、そのお金は日本の30%以上増しだったのですが、それはグローバルから出すことが可能だからこそ今は日本で彼らから見るとドル円80円時代よりも安く、よりよい人材を求めることができるからいまは高めにマネージャークラスを雇うことができるという裏があります。
※まあ、国内で仕事をしてもコンサルティングファームはお高いですがね

それを見て一見「日本は貧しくなった」などと言うようですが、それは貧しくなったわけではなく為替の状態をどう考えるかということであり、貧困をここで語るのはセンスがないということだと考えます。

専門家でもない私がこの程度わかるのですから、専門家と言われる方は政府がどうこうという考えの前に、どういう状態ではどうなるのかをきちんと伝えるべきだと思うのですが、先の専門家の方は結果「現政権への批判」がありましたので、そういう考えに基づいて活動をされているのかな?とも思います。

ま、専門家の言うことなんてのは真に受けてはいけなくて、きちんと裏付けを含めて多角的にみないと回答がないということを知ってから人の意見をみましょうということが私の言いたかったことになります。

現在の韓国と日本の関係

ひとつひとつまとめていくとそれだけで一つの記事どころか、複数に分割するような内容なので、ざっくりと私の考えを表明して見ます。

・慰安婦の補償について
 →韓国側が日韓合意を無視する状況であれば、今後は何もする必要はない
 →スタンスとしてはそもそも補償する必要がない
 →まして、国際的に儀礼としても規約としてもある大使館等の向かいに慰安婦像を建てるなど問題外

・徴用工(といわれている現在の韓国での裁判)問題について
 →日韓基本条約および関連条約にて解決済みであり、韓国政府がそれらの補償として多額の補償分を受け取っているため全く問題なし
 →これらを無視するのであれば、日本の請求権が復活することになるということを韓国政府はわかっているはずだが?

個人的にはここまでこじらせたのは韓国政府の問題であり、日韓基本条約にて締結したものがすべてとなるわけですから、韓国政府が自国民に対して説明および必要であれば補償すべきであるのは間違いがありません。

また個人請求権は残っているなどという意見を聞きますが、それも含めて韓国への補償を兼ねた当時の日本のGDPの数倍の金を払った上に、さらに金の無心や謝罪など全く不要だと考えます。

これ以上日本が頭を下げる必要などこれっぽっちもないわけです。

そのうえで日本旅行の禁止だの、交流禁止だのと韓国から言われるなど笑止千万。

むしろぜひやっていただきたいと願うほどで、日本としては粛々とビジネスも断ち切って、韓国経済を根こそぎ絶やす勢いでやるべきだと思っております。

そのうえでどうしても日本とお付き合いをさせていただきたいと願うのであれば、これ以上何も言わない、させないという確約をいただき、そこから経済、文化の交流を「してあげていい」という感情まで芽生えているわけです。

これが2002年までは韓国に対してむしろ好意的に思っていた人間が、16年経ってみて思っていることなのです。

日本政府と外務省はこの点を徹底していただきたい。

当然Chinaへの弱腰もそうなのであるが、一切妥協することなく国家間の話をすべきでしょう。

いい加減普通の国になろうよ。

人口ピラミッドから読み解くその国のその先

人口ピラミッドを見ると、その国がどうなっていくのかという想像がつきますし、どうすればよくなるのかというのも見えてきます。

そこでPopulation Pyramids of the World from 1950 to 2100より人口ピラミッドをお借りして確認をしていきます。

まずは日本を見てみましょう。

見事なまでに人口が減っていく先行きなわけですが、この先の日本人が国をどうするのかグランドデザインを作らないといけませんね。

5000~6000万人の国として、どうやっていくのかをきっちり考えねば、国力がどんどん衰退していくと考えられます。

しかし悲観しないのは、人口のピークが団塊世代と団塊ジュニア世代ですので、ここがなくなった後、どれだけ人口政策をきちんとやるかで日本の将来は本当に変わると思います。

さて、日本だけではなく世界の企業が大きな市場だと思っているChinaです。

ここは釣り鐘型になりつつあり、必死で人口減を止めようという共産党の意思がみられます。

人口減が止められるかどうかが鍵なのですが、私個人はまた人口減が始まってしまうのと、三段目の人口ピークがきた後に若い世代の負担が明らかに増えるであろうという危険性を秘めていると感じています。

まだ成長過程にあるはずだったChinaですが、人口ピラミッドを見るとこれから先はきちんとして政策が必要になるからこそ今の共産党は独裁だろうとなんだろうと、国民を導くことをしているのだと納得できます。

続いてお隣の国、韓国です。

正直ここまでとは思いもしませんでした。

人口減に歯止めがかからなければ、若い世代の負担は増える一方ですし、当面の間はいびつな人口ピラミッドとなってしまいそうで、経済成長をするには国家レベルで相当考えなければならない事態となっています。

今の20歳以下が20年後に60歳以上(現40歳以上)を支える構造ということになると、日本以上に危機的な社会保障が浮かび上がってきます。

人口減を止めたとしても、結果としてかなりの期間、少子化が続いてきてしまったことで、その以降の世代が耐える時間が長くなっていますので、国家としてどうするのかを考える必要があります。

そして最後は驚いたのでインドを。

インドはピラミッド型になっているものだと勝手に想像をしていました。

しかしながら既に少子化が始まっており、10歳以上のきれいなバランスが崩れつつある状態になってしまっています。

インドは釣り鐘型にするためには、この少子化を止めるしかありませんが、そもそもの人口が多いために貧困を片付けない限り、少子化を止める手立ては限られているような気がしてなりません。

このままインドが人口減少してしまうと、インド洋を中心としたアジア地域の発展が止まってしまう危険性があるわけで、そうした場合に周辺各国のきれいなピラミッド型が崩れてしまうことになってしまいます。

ちなみに同じブログ記事内ではアジア圏の人口ピラミッドがあるのですが、ひとつくびれのある釣り鐘型となっているのは、日本とChinaの影響が大きいのだと感じます。

とまあ、学生の頃に学んだ人口ピラミッドの読み方を復習してみたわけですが、果たして・・・

日本は本気でくだらない考え方や政策をなくすべき時に来たと思っています。

人をうらやむ前にすること

私個人は浮き沈みの大きい人生だと思っています。

二つのIPOを成功させ、ブラックマンデーで全財産を失った上に借金、でも自分で会社をやってそこそこかなあと思っていたら、顧客の倒産で大損、離婚をして会社を閉めて、一発逆転狙ってみたら詐欺師に騙され、ようやくフリーランスとして落ち着いたなあとか(苦笑)

いい時と悪い時を見てみると、いい時には共通点が今の人生の後半部分には共通することがあります。

しかしながら悪い時は共通点だらけということがよくわかります。
・失敗の原因は社会や人のせい
・自分はつきが逃げたからうまくいかない
・自己評価が高くプライドが邪魔をする
などなど、まあ見事なまでに空回りしているときはこんなもんです。

現在は全く違っていて、
・自分は結果的にラッキーな人生
・今ある自分は人のおかげ
・人と仕事に結果として恵まれている
・プライドってなに?(笑)
という感じでしょうか。

おかげでラッキーに人生が進んでいると思っています。

保守系になれない人というのは、結果として理想の自分からかけ離れてしまっている人によく見られるような感じがするのですが、うまくいかないのは社会や政治のせいとか言い放っている方がいらっしゃるので「ああ、こりゃ無理だよなあ」とか思ったりします。

うまくいかないのはやっぱりそれまで自分が選択してきたものが、自分の望む方向に行っていないことと、アンラッキーが重なっているのではないでしょうか。

アンラッキーに見えることでも捉え方では全く変わってくるわけで、アンラッキーは「教えてくれたこと」ととらえることで、教えてくれたことがラッキーなのだと感じることができるようになることがあります。(本人の考え方次第)

ただそれだけで人生が変わることがあるわけですが、あまりこんなことばかり言っていると「どんな宗教信じているの?」とか言われそうですが、私は特にどうこうではなく普通の神道を心に持っているだけですので、とりたてて信仰の深いものがあるわけではありません。

自分はラッキー!それは、人のおかげと思うだけで、実はさまざまな見方が変わってくると思いますよ。

なーにが〇〇活だあ?

以前、パパ活なるバカげた話が聞こえてきていたと思ったら、今度はママ活だと?

ここまで来ると世も末というかなんというか、金を介した関係での異性と肉体関係の有無を無視しても、虚しくないのか?と問いかけたい。

簡単に言ってしまえば、風俗にいる玄人を素人に置き換えただけで、結果金が介在した関係でしかない。

それなのに無駄な金をせっせと使うのであるから呆れるのだが、自分の魅力やらなんやらを家庭などで磨くことはできないものか?と思う。

悪いが、結局家庭でも魅力のない者は、外へ行っても魅力などないと断言させていただく。

「ただしイケメンに限る」じゃないかなどという方もいらっしゃるかもしれないが、見た目は整えればいいし、考え方は整理すればよい。

ただそれだけのことではないか。

モテる男、女になりたいのであれば、それなりのことをすりゃいいだけのこと。

もっと言ってしまえば、他の人から自分がお声がかかるほどの魅力がないから、結果として金を払ってまで人を呼ぶわけだ。

寂しい限りだねえ。

好待遇転職サイトについて

SNSによく好待遇の転職サイトの紹介が出てくることがあります。

42歳1600万円とかみることがありますが、事実としてこういう転職があるのは認めます。

で、問題なのはそのSNSの書き込みに文句を書く方々。
・一部の限られた人だけじゃないか
・高学歴の人向け
・そのた罵詈雑言

はっきり書きますが、僻みですよね。

40歳を越えて、条件の良い企業に転職するのは容易いことではないと思います。

そして、それはそれまでに自分がどのように仕事をしてきたのか、生きてきたのかという勝負の瞬間でもあります。

高学歴???上等ですよね。
若いころ勉強を一生懸命にやった人が多いでしょうし、天才肌は少しの努力でたどり着いたかもしれませんが、皆さんその高学歴を得るための努力をしたのですから認められて当然です。

一部の限られた人だけ???当たり前ですよね。
誰もが高給を得られるはずがないのは、世の中見回してみたってわかるはずで、それまでの給与が低い人がいきなり好待遇の仕事に就くこと等できるはずがありません。

人の努力や才能、そして運を妬んでみてもなにもならないはずなのに、そんなところに便所の落書きをして憂さを晴らす程度しかできないなど、寂しい人生だと思いませんか?

自分の人生どうやって生きてきたのか、それが重要になってくる年代・・・例えば40歳以降とか・・・で、今までの自分の生き方などが数字で表れる瞬間があるとしたなら、こうした転職時の年俸にも表現されてくるわけです。

努力した人が報われる社会ってのはそういうことですよね。

違いますかねえ。

コストカッターは優秀な経営者なのか?

とまあ、タイトルに書いてみましたが、逮捕されたあの方のことです。

過去の別ブログに書いてありましたが、あれだけ取引先を泣かしてコストカットして、V字回復もなにもあるか!とやったことがあるのですが、その神話が逮捕によって崩れようとしています。

私は経営者が優秀であれば、それなりに大きな金額をもらってもいいと思っています。

ただし常識的な範囲で・・・
(某黄色い会社で年に100億円以上も払っていましたが)

私が考える大手企業というのは、当然ながら取引先も多くあるのですから、そういう会社も含めて潤わせて自分の会社も潤って初めて優秀な経営者がいるのだと思っています。

特に日本を代表するような企業では当然のことで、それは域内の経済を回してこその大企業ですから、自分たちだけってのは日本を代表するような企業じゃないと思うわけです。

当然この考え方は違うよという方はいるでしょうが、少なくとも私はそう考えるわけです。

その意味であの方はどうだったかといえば、工場閉鎖も、下請けの見直しも、コスト削減も、言ってみればやりやすいことをやって、V字回復って当たり前のことをしたわけです。

その後、それらがようやく落ち着いて利益が還元される状態になって初めて企業再生が完了するわけですが、彼がやったのはコストカットでしかありませんから、賢い方で権力さえ与えられればある意味誰だってできるわけです。

それが外国人だったからこそ(まして親会社からですので)ある意味恨まれないで進められた(陰口は相当たたかれたでしょうが)部分もあるため、今までは大事にならなかったのだろうと考えられます。

それにしても陰謀論がまたしても出ているわけですが、タイミング的に政府の実質移民政策と被ったことに関しては感じる部分がありますが、日産のクーデターというのは当てはまらないでしょう。

なにせ有価証券報告書にからんだできごとですから、これから先「いやあれは正しかったんです」なんてのを日産がリリースするようなことはあり得ないわけで、やはり会計上彼らは「やりやがった」ということで、日産のクーデターというのは当てはまらないでしょう。

ただし、ルノーというか彼は日産を完全にコントロールするための算段をとろうとしていたわけですが、日産側はそれらを否定していたことが報じられています。

持ち株会社にして・・・合弁で・・・みたいなことになれば、事実上ルノーが日産のすべてを仕切ることになるわけで、今以上にルノーサイドの影響が大きく出てしまう可能性があったわけです。

それらをこの事件で否定できることについては、日産はやりやがったなという感じにはなります。

果たして結末はどこになるのか全く見えないわけですが、日産は日本を代表する企業として恥ずかしくない活動をしていただきたいと切に願うのみです。

自分らしさってなに?

いわゆる自分らしさとか、個性とかよく言われるのですが、それってどうしても必要なのか???とついつい考えてしまいます。

他人から見た「その人の個性」というものと、自分の中にある「自分らしさ」というのは乖離していることが多く、よくあるパターンとしては個性がはっきりしていて自覚していたとしても、他人からは認められていない場合があったりします。

また逆に本人は全く自分らしさを主張をしてもおらず自分の中で普通にしていたとしても、他人からは「個性の人」みたいに見られることもよくあるわけです。

ちなみに私は後者であったのですが、30代を過ぎてから自分でもその個性を意識して、そこを伸ばす方向で活動するようにしています。

まあそのため、合うところと合わないところがあったりしますが・・・(苦笑)

今の私を知っている人は信じられないことでしょうが、私は子供のころ主張が苦手でしたし、転校続きで友達は離れていくものだとあきらめていた部分があり、さらにはいじめもあって人を信用しないところがありました。

そのため自分らしさを出しても意味がないと思っていた節があり、目立たないようにしていた「つもり」(本人はそうだったのですから)だったのです。

私の自分らしさは「一見社交的(実は全然違いますが)」「一見オープンで明るい(明るいのは認めますが、意外にドメスティック)」というのが大きく、そこに自らの主張を交えていくわけです。

それが社会活動や仕事の中において他者から評価されるようになり、現在に至っているわけですがこれは本当にありがたいことだと感じているのです。

多くの人は自分の主張をしてみても、Twitterでつぶやく程度のことにしかならないなんてのは往々にしてあるわけです。

たとえ小さなコミュニティ(といっても小P連の時は対象が8万人以上)であっても、自分の言葉が他者に伝わることはありがたいことなのだと思うのです。

そして自分らしさがその場で活躍することができれば、自己欲求を満たすことになる(と知ったのはそうなってからですが)ため、もっと何か役に立つことをしたいとか、社会でこう活躍したいなどということができるようになってくるわけで、それが成功につながるのだと考えます。

ちなみに本気で私は目立つ方ではないと思っていましたが、それが勘違いであるとしったのは二つ目の会社に所属したときであって、実は学生のころには全く考えもしないことでした。

そのため自分は目立たない地味な存在と思っていたため、自分の好きなことしかしていなかったことがあります。

とくに高校の同期の仲間はそういう部分しか見ていなかったため、私が社会人になってから社会活動などを行うことに「あいつが他人のためになにかをするわけがない」という評価をされていました。

しかし、同窓会などで何十年ぶりかで会って、それが全く違う私と出会ったときにありがたいことに感じてもらえることがあるようで、それが今の私にとってはその頃の反省も含んで同期や同窓に対して「何かをしたい」と思う原動力になっています。

君は生き残ることができるか(永井さん風)

そろそろ私の年代もキャリアエンドが見えてきているわけですが、人生100年時代と言われてきていて、残りが30年以上なんて人もでてくるわけです。

しかしながら65歳くらいにはその人の仕事についてのキャリアの最終というのが見えてくるわけで、そう考えると自分にとってはあと10年ほどしかないということになります。

と言ってみても、23歳になる年齢で社会人としてサラリーマンになり、そこから考えれば43年程度となるわけですから、100歳では半分以下、80歳でようやく半分程度やったということになります。

現在の健康年齢で考えてみると80歳ですから、その数字で見てみましょう。

65歳で仕事に区切りをつけ定年を受け入れたとしましょう。

80歳までの残りは15年ということになります。

それまでただ遊んで暮らせる人というのはかなり少なくなってきていると思います。

私たちの親の世代であれば年金であったり、貯蓄などの切り崩しで働かずに食べている人を見ますが、私たちの年代ではそこまでの生活ができる人はごくごく一握りに過ぎないでしょう。

その理由の一つとしては年金額の低額化ということになりますが、社会人人生の1/4しか厚生年金に入っていない私などは、国民年金にちょっとだけ足される程度ですから、それだけで食べていくのはそうとうきついことになります。

ではどうするのかといえば、拙宅では貯蓄だけではなく投資というところにも手を伸ばしています。

しかし、そこで死ぬまでのお金を得たとしても、実は私は働くのだろう・・・それは今のように懸命に結果を残すための仕事ではなく、人生の集大成としてのライフワークを行うのだろうと考えています。

具体的にはサッカースクールやクラブ運営などですし、お金にはあまりならなくとも東京都や区のレフェリーインストラクターの微々たる収入もあります。

まあ、インストラクターは有償ボランティアでしかありませんが、趣味でお金をもらえることほどいいことはありませんから、それはそれでよしとしましょう。

・・・と、少し話題がそれましたが、私たちの世代が生き残っていくためには、年金だけではなく(年金も支給年齢が上がるでしょうし)、必ずそれ以外にお金を得られる手段を用意しておく必要があります。

先日、転職についてのご説明をうけた企業がありましたが、そちらは401kにも対応されているようで、今私のやっているものを引き継ぐことも当然できますと言っていただきました。

こういうところでも知っている人と知らない人では差が出てきます。

生き残るために、何が有用であるのかを判断し、自分や家族が永らえるための準備をきちんとしておかなくてはならないでしょう。