「日々思ふこと」カテゴリーアーカイブ

サーバーのトラブルにより、数日書き込みができませんでした

まあ、10/28から本日復旧するまで、サーバートラブルで接続ができなかったので、管理会社に怒り心頭でした。

最近こういった怒り方はしていなかったのですが、さすがに問い合わせフォームに「早急に修理してください。我慢の限界をとうに過ぎております。」としましたから。

データベースのバックアップはあっても、サーバーの設定やら、DNSやらなんやら、そういう設定までバックアップしなくちゃならないって、格安サーバーでやるわけないじゃんとか思うわけで、某社の子会社になってからサービスレベルは落ちるばかりです。

サーバー会社変えようかな・・・と考えました。

10年以上使っていてこれですからね。

まさに現代を表していると感じる

「他人が得をすることが許せない」

なんでもかんでも平等だなんだとやった結果がこれですよ。

自分が不幸じゃなくとも、他人の幸福は許せないって、なにを言おうとしているのかさっぱりわかりません。

他人の成功はいいなあと思いながらも「よくやったね」と思えばいいし、なにかに当たったとしたなら「よかったね」と思えばいいだけの話。

その人と自分はどこまでいったって違うんだよ。

そんなのやめようとでも言いたいのかもしれないが、AERAを出版している朝日新聞出版が、こういうことを良く言えたものだと本気で思う。

日頃からおたくの新聞や雑誌の記事にはなんて書いてある?

権力者の足だけをひっぱり、意味のない野党を応援し、金持ちから金を奪えと書き、できもしない平等ときれいごとだけを並べようとした挙句、このように失敗を繰り返す。

いい加減、まともなことをしないか?

他者の足の引っ張り合いだけはやめろよ。

米国民の51%が共産主義シンパだってか?

今朝のNHKで、米国民の51%が共産主義にシンパシーを感じる(正しい言葉ではないはずだが)というようなアンケートを出していた。
ちなみに民主主義は45%だったかと思うが、そのニュースに出てきた男性の例が非常によろしくない。

ニュースをようやく見つけたのでリンクします。

その人の住んでいるのがシアトルで、収入は日本円にして21万円程度、奥さんは大学院生で家賃は14万円・・・

なんで結婚しようなんて思えたのだろうというのが率直な感想。

シアトルはMicrosoftやamazon、ボーイングなどがあり、物価が想像している以上に高い。

ランチなんて日本円で2000円レベルなんてのはざらで、それがほいほい売れていくのだからすさまじい。

なんてったってそれらの会社のサラリーは、日本円で1000万円なんてのはあたりまえで、2000万円れべるのプレーヤーがごろごろしている。

つまり、そういう人たちの年収に合わせた街づくりや生活がされているというのに、件の男性はそこで暮らし、大学院生の奥さんという非現実的な生活をしているのだ。

その人が「民主主義がいい」なんていうはずもなく「富の分配を」と言うのはあたりまえのこと。

そんな例をNHKが出すなんてのは、選んだ人がおかしいのではないかと感じる。

貧富の差というが、行き過ぎた格差をなくしたいというのは理解できなくはないが、しかし事実として人間には能力であったり向き不向きであったり、健康状態であったり、いろいろな条件があってその時の生活が決まってしまうことが多い。

先の男性がどのような努力をしてきたのかはしらないが、少なくとも33歳の彼の姿勢や服装はだらしがなく、到底努力をした結果のものとはとらえることができなかった。

運によって変わる部分も大きくあるが、夢だけを見て現実を見ず、それで「運がなかった」などという人達の意見など聞く必要はない。

現実としてどう生きるのかというのに向かい合わなければ、生活さえままならぬのは当たり前のことである。

確かに米国は社会保障として日本のように整っているようには思えない。

病院にかかるのも時間がかかり、やたら高い診療費に薬代なんてこともある。

しかし、それらは彼の国の建国以来の「自分のことは自分で守る」ということから成り立っているため、我々外国人がどうこう言う必要はないし、言うべきことでもない。

ただ、日本の中程度の負担に中程度の補償から比較すれば、特に低所得者への社会保障が整っているとは思わない。

だがそれと「金持ちから奪って、人民に分配せよ」というのはまた違うと思うし、貧乏人が多くなれば彼らが「社会主義を」というのは理解しなくはない。

それでも社会主義の実験はすでに30年前に破綻したわけであるし、共産主義を謳っていたChinaでさえ市場経済を導入して、一党独裁を強固なものとしたうえで「制限付きの商売」をこれまた「一部の特権の人が遂行し、選ばれたプレーヤーのみが富の分配が多くなる従業員となる」ということをしているわけで、社会主義、共産主義が成功した例はない。

現実としての共産主義は人間が人間であり続ける限り無理なのだろうと思うのは、人がそれぞれ個性があることでもわかるし、過去の共産主義国家を見ても指導者層と一部エリートが結果として不正を働いたり、利権を正しい方向に使わなかったのが明らかである。

今のChinaをみればさらにそれがよくわかる。

さて、最初に戻るが、NHKはニュース報道の仕方と、例の出し方に問題がある。

そんなレベルの人を引き合いに題して共産主義がーとやってみたって「そんな人がそういうのは当たり前だろ!」と突っ込みたくなる。

もっと質の良いニュースを出す必要があるのではないだろうか。

日産・西川社長の判断は甘すぎるとしか言えない

すべて終わってから辞めようと思っていたなんて、今の日産で通用するわけがないでしょうに。

そもそも今回の問題が注目されるのは、ゴーン前会長の報酬問題があり、西川社長が口火を切ったからだった。

それなのに、自分が報酬問題でたたかれたというのに、終了までやらせてなどと筋が通るわけがない。

もし、ゴーン前会長のことが無くて終わらせてからというのであれば、理解できる人もいたかもしれないが、現在その裁判も行われている状態で、ご自分が金銭問題、しかも会社からの報酬で問題がでてきたのであれば、自分から辞めるべきだったろうね。

とにかく甘い、甘すぎるとしか言えないでしょう。

デジタルな技術とアナログな技術

現在、日本と韓国は外交関係が悪い方向に向かって言っており、韓国が部品などの内製化を進めていくなどの発言をしています。

当然ながら日本の一部の方は「日本に影響があるじゃないか」とおっしゃるでしょうが、そうではないこともあるのだという、日本と米国、そしてドイツの強いアナログな技術について考えてみようと思います。

韓国やChinaが最近IT分野の工業製品や、白物家電で優れているのは、「簡単な加工やデジタルの基本的な技術を移管できた」ということです。

白物家電に限れば、部品点数はそれほど多くはなく、動作する部分も限られており、制御もそれほど難しいことはありません。

対して、自動車産業に力を入れている韓国やChinaに於いて、重要な部品の大半は、海外からの輸入に頼らざるを得ない状況となっています。

なぜならそこにアナログな技術が満載されているからです。

例えば本日話題に上がった変速機ですが、これはもう大半が日米独の独壇場になります。

マニュアルトランスミッションどころの騒ぎではないオートマチックトランスミッションに至っては、その細かい部品の数々と、制御については一朝一夕に作られるものではありません。

日米独はモノづくりと開発をそれこそ気の遠くなるような年月、何度も失敗を繰り返しながら、経験によってさらにアップグレードした製品を提供し続けています。

その基礎技術こそアナログな技術であり、そうそう真似ができるものではないわけです。

その証拠としてエンジンを使わない電気自動車産業にChinaは力を入れるわけですが、それはエンジンと言うとてつもないアナログ技術の塊を作るのを断念し、モーターと電池に頼るという「エンジンを作るアナログ技術をあきらめる」という選択をしたに近いこととなるのです。

モーターはエンジンのような精度はいりませんし、ある意味燃費なんてのを考えなくていいわけですから、簡単な技術応用だけで可能となるからです。

フッ化水素という最近話題となった材料に対しても同じことが言えます。

韓国では数年前に高純度フッ化水素製造の特許が申請されていたのですが、これを商業化することはありませんでした。

タイミングを逸したこともあるのだと聞いていますが、なによりすでに日本から輸入しているフッ化水素は、その特許で可能となる純度が日本の1/10以下であったこと、特殊な条件下で製造しても日本のレベルまで追いつかないということもあり、韓国で高純度フッ化水素を商業化するに至らなかったわけです。

その時にもし製造をはじめて、少しずつでも精度を上げていれば現状の日本製品のレベルに追いついた可能性があったかもしれなかったのですが、それから数年を経てしまえば日本のアナログ技術はそのもっと上をいっているわけです。

日本を悲観する人の中には「Chinaにも韓国にも工業製品で敵わない」と言うわけですが、日本だけではなく米独もこのアナログな基礎技術の練度をあげていっているわけですから、他国が敵いようもないわけです。

そこで手を抜かないのが日米独であり、工業国としてのアナログ技術の錬成、技術向上はこれからももっと続けていかねばならないわけです。

それらを踏まえて、原子力発電の技術というのも考えなくてはなりません。

私は新設の原子力発電所(原子核反応を使った)はもう作らずに、40年を経たら順次廃炉にしていくべきだと考えています。

ですから原子力発電所の運用技術よりも、今後は廃炉にかかる技術を磨いていかなくてはなりません。

きれいに片付けるためにどうするのか、その技術を磨いているのは数か国しかありません。

現在、乱立しているChinaは建設するだけで、その次を考えていません。

運用としての技術は磨いたとしても、耐用年数は40年程度なのですから、その後の廃炉の技術を磨かねばならないわけですが、そう考えると日本はすでに廃炉を含めての経験が数十年先んじているわけです。

そのアドバンテージを埋められないために行うことは、アナログな技術を磨いていくということにほかなりません。

日本はその未来を悲観するのではなく、基礎技術研究を徹底的に続けていき、他国に敵わない技術を蓄積していくことで工業的には生き残ることができます。

生き残るというより、堂々と生きている状況でしょう。

悲観するようなことはなく、他国の足音が聞こえない状況で、徹底的に競争をするべきです。