「日々思ふこと」カテゴリーアーカイブ

ネットショップの在庫切れの言い訳

昨日より楽天スーパーセールというのが開催されていて、ある商品を購入しようと手続きをしました。

22時頃でしたので自動メールが入ってきて「ご購入ありがとうございます・・・」とのこと。

さて、2~3日後には届くんだろうなと楽しみにしていた、今日の11時に以下のメールが届きました。

【ショップ名】ご注文商品の在庫につきまして

11:00 (1 時間前)
To 自分

いつも弊社サービスをご利用頂きまして誠にありがとうございます。
こちらはショップ名でございます。

注文番号:xxxxxx-xxxxxxx-xxxxxxx
注文日時:2019/12/04 21:48:33
[注文者名] 工藤 央 様
[支払方法] 楽天市場決済(クレジットカード)

[商品名] コーチ COACH xxxxxxxx レディース 腕時計【送料無料】【S1】
[商品番号] xx-xxxxxxxx
[数量] 1
[価格] 99,999円

この度、ご注文いただきました商品について、大変申し訳ないお詫びがございます。実は本日仕入れ元より商品が在庫切れと
なった旨の連絡が入ってまいり、商品が手配出来なくなってしまいました事が判明いたしました。

折角ご注文いただきましたにも関わらず、このようなお知らせを差し上げる事となってしまい本当に申し訳ございません。

お客様には多大なご迷惑をおかけ致しましたことを深くお詫び申し上げます。

次回入荷は未定となっておりますため、誠に申し訳ございませんが、一旦ご注文はキャンセルとさせていただきます。
(今回クレジット決済でご注文いただいておりましたお客様にはクレジット決済の売上取消しでキャンセル処理をさせていただきました。)

このたびは、ホームページの反映が遅れましてお客様に大変ご迷惑をお掛けいたしましたこと深くお詫び申し上げます。

尚、現在弊社ショップ名姉妹店全店の更新作業をしておりますが、反映までに少々お時間を頂戴しております。紛らわしい表記となっており誠に申し訳ございませんが、ご理解ご了承のほどお願い申し上げます。

今後は、取扱い商品の管理の一層の強化に努めて参る所存でございますので、何卒ご理解賜りますよう、お願い申し上げます。
本当に申し訳ございませんでした。

取扱い商品の管理の一層の強化に努めて参る所存でございます

ほう、ってことでクレームを入れました。

「メーカー在庫がなくなったのに赤文字のことはなんじゃらほい?」と。

しかも、こちらがキャンセルの依頼をせず、キャンセル手続きをしているということ。

もう怒りしか感じませんよね。

ネットショップって在庫を持たなくてよく、商材だけ扱えばいいと思っているところが多いのか?と感じますし、メール一本で終わらせようとする姿勢に腹がたっています。

ここ一か月で二度目ですし、在庫を持たないネットショップは、所詮こんなものなのか?と思わざるをえないのかと考えるのですが、残念ながら在庫を持っているかどうかは、ECサイトからは判断できないのですよね。

在庫を持っておらず、キャンセルされた店がわかれば、そこは在庫を持っていない可能性が高いため、そういう店リストがあるとわかりやすいのですが。

まあ、とにかく腹の虫がおさまりません。

日本はいま過渡期にある

日本は斜陽だ・・・などとおっしゃる方はお好きにどうぞと思うのは、本当に日本という国家のことを考えていないから出る言葉だと思っています。

現実として世界が一つになることが不可能であり、国境が事実としてあることを考えるに、まずは日本という自分の足元を固める必要があるわけですから、そんなことを言っている暇はないのです。

なぜ現状がそうなっているのか、これからどうするのかを真剣に考える時に、マイナス要素だけを抜き出し誇張することに全く意味はないわけですから、どうすれば前向きになることができるのかを考えることこそ必要だと感じています。

タイトルに過渡期とありますが、古き良き家族要素なんてのは、欧米でもすでに忘れ去られている状況ですから、日本も女性を労働力として本格的に必要となる時期となってきたわけです。

今まで欧米でさえ「女性は家に入り、男性は外で仕事をする」という意識でいたというものでしたが、1960年代から特に北欧を中心として女性の参政権や労働力としての必要性を唱えてきたからこそ女性の就業率もあがり、子育ての環境が整ってきたのだと理解をしています。

あの米国でさえ1960年代のドラマなんかをみると、キャリアウーマンの女性はつっけんどんに描かれていて、お母さんは家でお菓子を作って子供の帰りを待つ、そんなのが幸せな家庭的に描かれていたのです。

しかしながらそうも言っていられなくなったのは、米国は別として先進各国は自国民の人口打ち止めが見えてきたからこそであり、老齢化社会が進むことを理解していたからこそ1990年代頃はもう女性の社会進出が出来上がってきたわけです。

「お前なにを言っているんだよ」という方こそ現実を見るべきです。

1960年代まで欧州の一部国家でさえ女性に参政権がなかったことを現実として捉えなければならないのは、私の意見が違うと思ったあなたなのです。

私個人の意見を言わせていただければ、最初の結婚を1992年にいたしましたが、その際に当時の妻に対して結婚前に話をさせていただいたのは、「キャリアを続けていただきたい。子供を産んでも家にだけいるのではなく、できればキャリアを考えていただきたい。」というものでした。

私は女性が家に入るという考え方ではなかったのは、実母がそうだったからに他なりません。

まあ、うちの場合は家を建てたし、子供は金がかかるしということで母が働きに出たのだと理解していますが、21歳で私を、24歳で弟を出産し、30代中盤にはもう子供はお金はかかるとはいえ、個人的な活動に走っていましたから、両親は好きなことをやるようになっていきました。

代表例として社交ダンスというものがあり、数年前までは二人で社交ダンスをやっていたのですが、現在の体力的なものや経済的なもの(なにせ父83歳、母76歳)があり通うのをやめたわけですが、それまで40年近くかかわってきたのですからすごいものだと感じています。

二人とも仕事をしながら、好きなことをやっていたわけですから、私にとってこれがスタンダードになっています。

ちなみに母はまだ仕事をしており、来年には「とうとう仕事やめるわよ」と数年前と同じことを繰り返し発しています(笑)

そういうものを見ていますので、家庭が経済的にも豊かになる方法、人が社会とかかわるところというのを中学時代から見ていますので、女性が働くことというのはごく当たり前のことだと認識しています。

それは家庭のために家にいるだけではなく、自身が社会で活躍する場を得ること、収入を得ることなどなどさまざまな目的がありますが、特に優秀な人材であればあるほどキャリアアップをしながら、子供を産み、育てることをしていただきたいと考えるからこそ、当時の妻にそのことを話しました。

しかし残念なことに、結婚して子供がある程度育ったところで「自分は主婦が良かった」と言われましたので、最初からずれている部分があったことを残念に思っています。

現在の妻はキャリアをしっかりと意識していますので、彼女とはその面において合致しておりますが、子供を産み育てるにはリスクがありましたので、私たちは必死で働いて納税をしているのです(苦笑)

テレビで子育て世帯への支援を見ると、夫婦二人で後の世代のためには必要だよね、ひいては私の子供たちが親となった時に、両方が働くのが当たり前となっているだろうから、こういうのは必要だよねと言っています。

自分の子供達の世代が困らないような仕組みづくりは必要であり、そのためには税金の使われ方をチェックする必要があります。

しかしながらそれに並行して社会基盤を整えるためのインフラ投資が必要となってきますが、それは日本経済を回すための原動力のひとつにならなくてはいけません。

他国の会社を参加させていないなんていう理由など不要で、きちんと国益にかなった投資をすることで、次世代への収入につなげるための工夫をしていくことが必要です。

日本は今後、本格的に女性の企業への参加と、高齢者の参画が必要になってきます。

それが社会の変革の時にあたるわけで、これからはリタイアというものの定義が少しずつ変化してくるのではないかと考えます。

そして、高齢になっても社会に参画したいという方も増えてくるのだと思っています。

それをどう考えるのか、どう実行していくのか、サラリーはどうするかなど課題はいくつもあるかとは思いますが、現役世代を手厚くするために、お手伝いレベルを少し超えた範囲での高齢者の社会参画が実現できれば、日本はまだまだ捨てたものじゃないと言われるようになると考えています。

日本だからこそできることを考えていくべきで、それはこれからシニア世代の仲間入りを果たす私たちも一緒に考えていかなくてはなりません。

運気を良くするということ

昨日、私が悩み、落ち込んでいた時に助けていただいた方の一人とお話をしました。

その方も数年前に会社を畳むこととなり、お互い最近になって好転していることを喜んでいるわけですが、この好転のきっかけは「貧乏神とは縁を切る」というものでした。

その方の場合は従業員がひどかったというものと、私の場合は自分が蒔いた種とはいえ人の口車に乗り、坂を転げるようになってしまったことでした。

しかし、その後人間関係を見直して、前向きに、ただひたすら真っすぐにやってきたことがようやく実ったというものです。

先ほど「自分が蒔いた種」と書きましたが、当初は人のせいにしている部分があったと思っていますが、結果としてみてみれば全部自分が選んでしまったことなのですから、自分に責任があったのは間違いがありません。

だからこそ騙された分であろうとなんであろうと片をつけてきただけのことです。

そしていらない縁は切り、良い縁だけを残すようにしてきたところ、やっと安定してきたというわけです。

人間と言うのは弱っているときに他者にころっと騙されるような瞬間があるかもしれないと思います。

それは自分も経験をしたからこそわかることですし、なにより自分が自分の命を断つことさえ考えたわけで、そこを乗り越えることは周りの助けは当然必要になってくるとは思いますが、絶対に最後は自分なのだという意識がなければ浮上することなどできないというのも自身の経験から言えることだと思っています。

弱っているのだから助けてあげようと考えるのは悪いことではありませんが、本人がひたすら周りのせい、人のせいにしているうちはまず間違いなく浮上することなどあり得ないでしょう。

結論として・・・
・人のせいにしない(すべて責任は自己にある)
・悪い縁を断ち切る(悪い人じゃないというのは気のせい)
・前向きに生きる(過去を省み、悪いことを繰り返さない)
これを行うことで、運気を良くすることができました。

奥戸一丁目・森永東京工場跡地問題

このニュースリリースは2016年のものであるが、現在葛飾区奥戸一丁目ではこの跡地をどうすべきなのか悩んでいるとのこと。

ひとつは「マンション計画」
これは南奥戸小学校や近隣中学校の兼ね合いもあるため、諸手をあげて賛成するわけではないが、しかし住民が増えるという好材料があるため、一大団地状態にするのは一つの方法だと思います。

ただ、河川敷側には公園を併設していただきたいと願う次第。(できれば多目的グラウンドなど)

もうひとつは「イオンショッピングセンター」
これは絶対にいらない。
イオンが云々ではなく、道路などインフラのキャパシティがない。

図を参考にしていただきたい。(赤枠でかつ中も赤で囲っている部分が森永東京工場)


※クリックすると別画面で大きな画像が見られます

南奥戸小学校前の東西に通っている道路は環状七号線までつながっているが、バスがすれ違うのがやっと程度の道で、さらにその東側に行くと大型車がすれ違うのは難しい状態となっている。

南北に走っている道路もバス通りとなってはいるが、南端のくの字に曲がっているところはバスがすれ違うこともできず、その先の南側は突き当りをバスが一方通行を左折するのが困難な状況で、はま寿司の交差点で路線バスは右折している状況から考えるに、到底こんなところにショッピングセンターを持ってくるなど考えられない。

さらには北側の奥戸街道が今以上に混雑ということになれば、平和橋通りの四ツ木踏切から環状七号線、さらにはそれを超えて蔵前橋通りまで休日に混雑ができてしまうと、周辺住民は身動きが取れない状況となる。

なぜなら車での移動だけではなく、バス通りとなっているため、バスの運行に支障をきたしてしまうため、とてもではないが賛成できない・・・ではなく大反対である。

もしショッピングセンターを作りたいのであれば、南奥戸小学校の前の東西の道の先、環状七号線の交差点にパチンコ屋とその駐車場があるのだが、そこに作るべきであろうが、残念ながら近隣として小岩駅南側にArioができるのであるから、残念だが客の取り合いになることは必至である。

ただ地の利(つまりは車で入りやすい)で奥戸地区に軍配はあがるであろうが、千葉街道から亀有までの新シッピングセンターから亀有Ario渋滞ができあがってしまうであろうため、これまた環状七号線をバス移動している人にとってはたいへんな迷惑となろう。

責任とは?

最近、責任とはなんぞや・・・と考えさせられる意見を投げかけられました。

すべて人のせい、すべて自分がやったことではない・・・

最終的に自分が何を人に依頼したのか、その結果に対して責任がないわけがありません。

それほど重いことであり、人に手伝いを願い出て、挙句それを利用して人を責める・・・

世の中そんな都合の良いことで回るはずがないのです。

自分が言ったこと、やったこと、最終的に判断は誰がしたのか。

自分が言ったこと、決めたことでしたら間違いなくその人にすべての責任があります。

大の大人が何を言ってるやら。