宇宙SOH(宇宙葬)がテレビで放映されました

昨年12月23日にアップした「父が宇宙へ飛び立ちました」という拙ブログのエントリーの後日談状態で、1月24日にBSフジで放送された番組がありましたので紹介します。

Trailblazers~次なる日本の革新者たち~ 第34回 遺骨を宇宙で散骨する”宇宙葬” -BSフジ-
※アイキャッチ画像および当エントリーで使用した画像は、© BSフジ です

2024年12月21日に、私たち家族全員がYouTubeの画面にくぎ付けになって、SPACE Xのローンチシーンを見守っていました。

当日は偶然、東京の私の娘たちと、娘の婚約者も参加した忘年会の日でした。

札幌では母と、実家まで帰っていた弟と甥っ子が見守っていました。(義妹と姪っ子も見ていたそうです)

飛び立つロケットを見ながら、成功を祈ってました。

無事に大気圏外に出たと聞き、ホッとしたことを覚えています。

私たちがSPACE NTK社を知ったのは、父の葬儀の後に宇宙葬が可能な会社がいくつかあるらしいぞという弟の言葉があったので調べたことからでした。

そもそもどうして宇宙葬をしようかと思ったのは、父が余命宣告を受けて、翌週に札幌としては珍しい降雪量のため、屋根の雪下ろしを兼ねて話をしたことがきっかけです。

財産(といってもわずかですが)のこと、母のこと、葬式のこと、海洋葬にするということ、4月の弘前旅行は行く予定とのことなどなど、最後になるであろう色々整理をしたり、希望を聞いたりという話し合いの中ででてきたものでした。

父が「宇宙にとばせりゃいいが、さすがに難しいわな」と言ったので、初期の費用しか父も私も知らなかったため、「まあ俺がもうちょい稼いだらな」と私が答えたことがきっかけでした。

3か月の余命宣告を乗り越え、4月の弘前旅行を終え、8月の私の誕生日の二日後、父は安らかに眠りました。

本当に安らかにでしたね。。。

葬式を母と私たち兄弟で(当然親族の協力も得ながら)終わらせ、ふと宇宙葬の話を家族で落ち着いたときに私が冗談で述べたのです。

そうしたら弟が前述のとおり「兄貴の想像するより安いサービスが出てきているぜ」ということで、調べ始めたのがきっかけでした。

並行して海洋葬のことも調べたのですが、こちらは一年後の命日に行う予定のため後ほどとなり、その場で二人してタブレットで宇宙葬を調べたのです。

日本でやっていそうなサービスは二つ、一つは実績はちょいとあるがお高いのと、もう一つが今回のものだったというわけです。

2022年4月2日に第一回の宇宙葬が成功したベンチャー企業ということで、新聞記事が出てきた(と記憶しています)のを見て、弟がこちらの会社を調べたわけです。

弟「打ち上げ実績は一回しかないけれど、これ良くない?」

母・私「いいねえ~費用的にもいけそうだし」

ということで、弟が問い合わせ担当としてやってくれました。

ロケットで飛ばすため失敗もありうるということ、第二回は2024年の予定であること、キャンペーンがあるということ。

私たち三人はキャンペーンに惹かれました(笑)

そりゃ何百万もかけて打ち上げ失敗になっても、返金があるわけではないのですから、夢が一瞬で消えるかもしれない中、キャンペーン価格なら夢を買ったというには十分お得であると考えたのです。

子供たちにも協力可能かどうかを確認し(一人5000円でもいいよと)みんなで父のお骨の一部を打ち上げることに同意し、申し込みをしたのです。

受け付けは問題なくされ、どれくらいだったか忘れましたが、母のもとにパレットが届いたのです。

そのパレットにお骨を決まった量を入れ、こちらの会社にお送りしたのです。

一番最初の打ち上げ予定は忘れましたが、2024年9月に飛び立つと聞いていました。

しかし、SPACE Xのロケット打ち上げ失敗があり、その前も、9月も遅れる予定になると聞き、さていつ打ち上げるのだろうかと思っていたある日、弟のところに打ち上げ予定のメールが入ったのです。

「2024年12月22日に打ち上げられます」と。

その日付も少し前後したりしたわけですが、さまざまな準備や直前には天候で変わることとなり、12月21日の日本時間夜に打ち上げられることになったわけです。

打ち上げシーンをYouTubeで見ていたわけですが、私の心の中では「あーこれで全部終わったか・・・」というものでした。

父の希望を少しでもかなえられたこと、基本的に余命宣告後の依頼事項を全部全うしたこと、ホッとしたのと父が宇宙へ飛んでいくんだという感慨とで、少し涙してしまいました。

それから一か月と少し経った本日、弟からTVerのリンクが家族の連絡先に送られてきました。

「大きな画面で見れば、Hajime Kudohの文字が読めます」とのこと。

朝からサッカーコーチの用事で出かけていた私は、家に戻ってから早速見てみました。

小さい文字のため、少し粗くなっていますが父の名がカプセルに刻んであります。

思わず少しだけですが、うるっときました。

ああ、私たちの願いがこのような形で残るなんて・・・

父は「持っている」のかもしれません。

余命三か月だというのに半年生きて、親子4人での弘前旅行ができたこと。

三回忌でみんなが集まって食事をしているときに、大谷翔平選手が40-40を達成して盛り上がったこと。

弟と私が親父の最後の願いを全部かなえられたこと。

そしてその願いの中に宇宙へお骨を打ち上げること。

うらやましい人生のクローズだと思いました。

昭和31年に金持ちだったはずなのに実家が潰れてしまい、ボンボンから転落して大学卒業が危うくなったにもかかわらず、友人の助けを得て卒業しその後私たちを育て、実家を建て、いつも孫までをも歓待してくれたこと。

よくそこまで頑張ったなと思うわけです。

決して生前に私とは仲が良かったとは言えませんが、余命宣告後はお互いに穏やかだったよなと。

弘前旅行が終わって、実家に戻った父が、私たち二人に「なんて言っていいかわからないが、とにかくありがとう」とメッセージを送ってきたこと、私の中ではやってやったぞ!と自慢できることのひとつになりました。

なんせ闘病のせいで血栓ができやすく、足にものすごいきついタイツを履いていたので、歩くのはたいへんだろうとエルグランドを東京から青森までドライブさせて、弘前観光をさせたのです。

ちょうど岩木山が山開きの日で、でも雪が残っているので冬タイヤじゃないとダメとなり、あわててトヨタレンタカーで14時からレンタカーを借りたこと・・・オチとしてはレンタカーを借りた後、冬タイヤの制限が取れてしまったことなどなど(笑)

岩木山に登ることができるとわかったときの、少年のような父のはしゃぎようは、初めて見ました。

それら全部「ああ、やってよかった」と弟と私の中では共通しているもので、その集大成である宇宙葬がまさかのテレビ番組になったのですから。

これらを私の家族は全部見ているわけですが、さて彼らは私のエンディングをどうするのでしょうか?

ちなみにお骨は海洋葬にとお願いはしてあるのですが、長女が「ダイヤモンドにしたい」というので、それは好きにしてと(苦笑)

死んでもなお近くに置いておきたいという娘の思いに、ありがたいなあと感じるわけです。

私のところに生まれてきてくれてありがとうと、心の底から思います。

父は、弟と私が自分のところに生まれてきてくれてありがとうと思っているでしょうか。

生前、さんざん迷惑かけたかんなあ・・・^^;

示談とは?守秘義務とは?

中居正広氏の芸能界引退がニュースとなっていますが、私も少し思うことを書いてみようと思います。

前提として中居氏がなにをしたのかはわかりませんし、芸能界を引退せざるを得ないようなことをしたのだというのは理解しています。

まずは、昨年末に週刊誌が中居氏と女性のトラブルを発信しました。

それに対して中居氏側は、示談は事実、守秘義務があるので申し上げられない、芸能活動の継続は問題がないと発信しました。

示談だとすれば、中居氏側の発信通りに芸能活動の継続は問題がないと思われ、まして守秘義務があるにもかかわらず、中居氏からみた被害者側もしくは関係者が示談の条件を無視して週刊誌の記者に伝えたのだとすればこれは問題だと考えます。

それは、加害要件が犯罪であったとしても示談をし、守秘義務があるのであれば、その契約を無視したことになるわけですから大きな問題だと考えられるわけです。

思うに、中居氏側はその加害要件が問題であると当然ながらわかっていたからこそ示談と守秘義務を確約させたわけで、中居氏側からみた被害者が守秘義務を環椎してもらえれば芸能活動が可能であると考えたのでしょう。

またそれが示談となったのですから、中居氏側としては当然のことです。

私が違和感を感じるのはまさしくここで、示談をした中居氏側からみた被害者が、示談をしたにもかかわらず週刊誌等に情報をリークして、社会的に抹殺を試みたのであれば、その示談条件を無視したわけですから示談条項の違反をしているわけです。

本当に中居氏に対してわだかまりがあるのであれば、示談などをせずに最初から裁判や週刊誌に訴えればよいのです。

だからこそ「被害者」に対して納得できない部分があるわけですが、たとえ示談をしたとしても変えられない事実があるわけですから、慰謝料で納得できないことは理解をしますが、示談を受け入れた事実を被害者側は考えるべきです。

フジテレビについて思うのは、事実はどうなのか今後出てきますが、初動が悪すぎです。

ましてあの社長会見は最低、最悪としか感じませんでした。

日頃、政治家や芸能人のスキャンダルに対して、相手のプライベートを無視してカメラやマイクを向ける人たちが、自分たちがそうなったときにカメラさえ会見場に入れなかったなどお笑いにさえなりません。

まだこれから調べるにしても、あの場には各社のカメラを入れるべきでしたでしょうし、きちんと質疑応答をするべきだったのは間違いありません。

1990年代、あれだけ隆盛を誇っていたテレビメディアが、すでに信用をある程度失っていたわけですが、この事件でもしかすると傾くどころか倒産さえしかねない勢いで時間が流れています。

それは、テレビメディアの傲慢さが生んだものであるのは間違いがなく、今日も白々しく放送を続けるそのテレビメディアに、多くの人が呆れていることでしょう。

完全なる第三者委員会を作るそうですが、その結論は3月末に出すといっていますが、三か月に満たない期間でどれだけの調査をするのでしょうか。

まあ、フジテレビにはその時間がないことがわかっているわけですから、必ず問題のある事象や人物を明確にする・・・というか、しなければ倒産しかねない事象がありますので、その内容には期待をしたいと思います。

今回の唯一の救いは、関西テレビの社長の会見で、フジテレビの社長の発言を「違うもの」としたことでしょうか。

「このままでは不利になる」と考えたからの発言と思われますが、社内対立をしてでも変えるべきところは変えなければならないでしょうから、正しい姿勢だと思われます。

それにしてもあれだけ芸能界で影響力を持った人がたった20日程度で消えていくというのは、なんともいえない感情があります。

まして私はSMAPが好きでしたから、もう二度と彼ら5(もしくは6)人での姿を見ることはできないのだと思うと、残念です。

島田紳助氏の時にはなんとも思わなかったのは、私は彼が好きではなかった(嫌いというわけではありません)ことがありますが、今回はグループが好きだったこととそのリーダーであったことが大きいのだと思います。

一時期、木村拓哉氏と中居正広氏に対して「どちらが勝ち組」なんて出ていましたが、そんなのは必要ないなあと思っていたら、まさか中居氏が消え去るとは思いもしませんでした。

今回の事件に関して思うのは、示談をしたとしても有名人であればリークという手段で社会的に抹殺が可能なことがあるというダメな例が出たということです。

個人的に守秘義務を全うしなかった側にも私は問題視をしており、そちらの側にも示談金の返還やそれ以上のマイナス点を必要とするべきだと考えます。

それは被害を受けた要件に対してではなく、示談をした要件を満たさなかったからこそのことで、それほど示談を含めた契約は全うされなければならないからです。

被害者の個人的感情については理解をしますが、契約とはそれほど甘いものではないわけで、日本ではその徹底ができないとなれば、残念ながら悪しき例となりかねないと考えるのです。

被害者の感情は理解すれども、本当にリークをしたのであれば契約に対して守ることができなかったことで罰せられなければなりません。

そうでなければ「何でもあり」となるからです。

今は昔・・・

サラリーマン時代の三年目、立ち食い蕎麦の食べ歩きの結果、本を出版したいと思いあちらこちらの出版社に企画を持ち掛けたことがあります。

私は立ち食い蕎麦が大好きで、あちらこちらで写真を撮らせていただき記録をしていたのです。

そのため、その記録を残しておきたいと思い、当時(1989年)はインターネットやウェブサイトなどなかった時代のため、書籍に頼るしかありませんでした。

しかしながら、ライターとして当時は実績がなかったため、当然ながら素人の企画に乗ってくれるような出版社などはなく、自費も考えましたがただの自己満足に終わるものを作ることに魅力を感じることができず、諦めてしまったことがあります。

それから十数年してブログというものが出てきて、自分でドメインをとったり、レンタルサーバーで自由にオープンソースをベースにしたウェブサイトが作ることができるなんて世の中がきたわけで、それこそ食べ物のブログなんてのはそこら中にあり、うらやましく感じることもあるわけです。

仕事のことでもそうですが、オープンソースの考え方はすでに1990年ころより持っており、自分がフリーランスとなった1994年に少しずつなにができるかと思っていましたが、1996年に起業をしたときにプラットフォームはMS ACCESSでしたが、安くかつソースコードをオープンにしたERPパッケージを作ったりしたこともあるわけで、時代が早すぎた~なんてことがちょくちょくあったりします。

ですから、もし私が2000年ころに「あ、立ち食い蕎麦の記録を残したい」と思ったとしたなら、ブログでの発信をしていたのではないかと思うわけです。

ブログになってからなんでやらなかったの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私が持っていたデータはすでに古くなっており、結婚~子育て期に入ったためそのような余裕もなく仕事をメインに活動していたため、それどころではなかったというところです。

ブログというものでは2005年にアメーバブログ(アメブロ)でスタートし、その後Wordpressを利用した教育のブログなどをやり、現在に至っているわけです。

情報発信が個人でも簡単にできるようになったことは素晴らしいことだと思うのですが、初期に「ネチケット」なる言葉がありましたが、その通りで残念ながらそれらを破壊するユーザが山のようにいるわけです。

フェイクであったり詐欺情報であったりと、ネットの中ではどうしようもないネタが転がっていることがあるわけですが、しかし私はそのネットの中にはそれらよりもはるかに多い有用情報が含まれていることを知っているため、これらを捨て去るなど考えられないと考えています。

むしろ受け側がどう捉えるかが重要であり、情報の取捨選択をうまく行うことができればいいのだとおもっています。

しかしながら残念なことに、それらに踊らされるユーザもいるわけで、SNSを見ていると本当に残念な方々が「目立ち」ます。

決してユーザ数としては多いとは思わないのですが(例えばXであればいいねの数などを見ればわかります)、いわゆる「とんでも」な意見やそれらに賛同する人が悪目立ちしているため、まともな人の声が届きにくくなるような、そんな感覚になることがあります。

私なんかはコンピューターユーザーとしてはアプリケーションの開発、ハードウエアに対するドライバの開発からスタートしたため、デジタルに対してなんの恐怖心もわかない還暦ユーザですwww

元2ちゃんねらーですし、ゲーマーとしてヘビーユーザですし、スマートフォンもなんのストレスも感じない、そんな奴ですのでまあ今後もネットの中を楽しみながら浮遊していこうと思っています。

あけましておめでとうございます

仕事始めのこの日まで、ブログから離れておりましたため、挨拶が6日となりましたことご容赦ください・・・って一年とか平気で離れているんじゃねーかというご意見、ごもっともなことでございます(苦笑)

さて、昨年還暦を迎えたわけですが、フリーランスのため(現在は契約社員となっていますが)定年退職というものがなく、また年金が国民年金がほとんどのため、あてにならないので働き続けなくてはならない、そんな人生を知りながら今日もまた働いています。

しかし、意外に労働が嫌いではないため、やってみっかあと思っているのと、たぶん義父のように定年退職をしてピタッと仕事をしなくなるようなことは私には難しいと思われるため、丁度よいのではないかと思っています。

昨年は父についての最後のイベント(宇宙へお骨を飛ばす)が終わりホッとしたのと、自分の還暦のイベントがないだろうと思っていたら、年末の家族の忘年会で赤いちゃんちゃんこセットを着させられたのが最大の思い出かもしれません。

また、上の子が結婚をしましたのでさらに家庭として見守るというミッションが増えたので、今後を楽しみにしながら過ごしていこうと思っています。

サッカーは、少年指導の方はコーチの入れ替えがありますが、変わらず続けていくのと共に、一般社団法人としてスタートしようと考えています。

選手としては昨年、入れ替え戦で敗退したため2部に降格しましたが、一年で1部復帰を目指して努力をするとともに、10月のねんりんピック滋賀大会の出場がありますのでさらに鍛えていかねばなりません。

あの6年前のシニア選手権東京予選でさんざん身体を絞ったあの頃までもっていきます。

家庭については今までと変わらず、笑顔で過ごすことのできる環境を作っていきます。

さあ、2025年はどんな新しいことが起こるのかワクワクするわけですが、後厄でもあるため気を付けながら過ごしてまいります。

本年もよろしくお願いいたします。

父が宇宙へと飛び立ちました

って、すべてではなく骨の一部を飛ばしたということです。

二年前の8月に亡くなった父と、「金があったらお骨を宇宙に送りたいが、さすがにそんな大金はないなあ」なんて余命3か月の時に話をしていたのですが、葬式の際に弟が「兄貴さあ、少しならお骨を宇宙に飛ばしてくれるサービスがあるぜ」ってんで、彼が提案してくれたのが「MAGOKORO号」というSPACE NTK社による宇宙散骨サービスでした。

実況はこちらで行われました。

もしかしたら打ち上げ後すぐに終わってしまう可能性もあるということを知りながらも、もしかしたらお骨の一部だけでも宇宙に飛ばすことができるならと、家族でお金を出し合って協力することにしました。

当初は2023年ということでしたが、ロケットの事故があり延期され今2024年夏→10月→12月と変わっていったわけですが、12月21日20時24分に見事打ち上げに成功しました。

父は物理の教師でもありましたし、北海道の研究職員でもあったことから、ロケットと宇宙へのあこがれがあったのは我々子供たちどころか、孫たちも知っていたくらいですから、最後の夢を叶えてあげられたのは本当に最後の親孝行だったかなと思うわけです。

たまたま21日は、拙宅恒例の忘年会をやっており、妻と子供たち、そして長女の婚約者(といっても26日に入籍します)の5人で画面を見守りました。

無事打ち上げが成功し、なぜか拍手が起こりましたが、心にグッとくるものがあったのは間違いありません。

地球の周回軌道に2~3年程度とどまり、最後は大気圏で燃え尽きるとのことで、ここから数年は空を見上げるたびにそのことを考えるのでしょう。

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