そういえば私も娘もそうだったかも

ホンダがおもしろいぬいぐるみを非売品で出品したそうであるが、これを見て思い出したのは親の言葉と自分の上の娘のことである。

私が赤ん坊のころ、泣き止まない時にはオヤジがスバル360に私を乗せて(といっても母親が抱くのだが)そこいらを一周して戻ったそうである。

そのころのせいなのかどうなのかは知らないが、私は今でも車が好きである。

そしてさらに思ったのは上の娘のことである。

ぐずった時に当時乗っていたレガシィの助手席にベビーシートを取り付け、葛飾周辺をぐるっと巡ったものであるが、彼女もすぐに泣き止んで楽しんでいた記憶がある。

車って不思議だなあと思うわけであるが、今は若い世代があまり車に乗らないとのことで残念な傾向ではあるが、東京では持っているだけで負担になるのもまた事実であるし、公共交通網が発達しているので、そこまで必要とも感じないであろう。

ただし、地方に行けば車がないと不便なところが山ほどあるので、そこに住んでいる若者は車を必要なものとして乗るのであろう。

子供をあやすのに車・・・という話でした。

基地をなくせというきれいごとの前に現実社会を見ろ

辺野古の埋め立てに対して、反対派が米国ホワイトハウスへの署名をしている。

まあ、手法としてはちょい右の人たちより5~6年遅れているわけだが、嫌いな米国におもねることをしているのだから、彼らも必至だということがわかる。

・・・が、あまりの無知な芸能人とやらにあきれ果ててしまうわけで、所詮彼らは現実社会を見ずに自分たちが高みにいて安全だからこそ「基地はいらない」なんて言っているのだろう。

そもそも辺野古の移設に対しては、悪評高い鳩山政権でさえも「沖縄県外」「国外」を模索しても、結果としてここにするのが止むを得ないという結論になっている。

その理由をパヨクは完全に無視をしている。

今のChinaはどうなっているか?

南シナ海では環礁を埋め立てて基地化をすすめているし、尖閣諸島へは公船を進行させている。

そしてなにより、今でも東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)、内モンゴル(内蒙古自治区)、チベット(西蔵自治区)では民族浄化が行われており、最たる例としては広西チワン族自治区で漢族がチワン族よりも多く住んでいる状況である。

これは進行であり、歴史を学べばわかるのだが、そもそも満州国は漢族の国ではないのがわかるため、いわゆる「中華人民共和国」は清というモンゴル族の国の大部分を奪っただけのことである。

まあ、それを逆手にとって日本も満州国でいろいろやったのは事実だが、それだけでブログ何日分にもなるのでここではおいておく。

とまあ、そんな国が海を隔ててあり、覇権をとろうとしているのであるから(しかも、自分たちが圧倒的優位にしている)、日本国としてはどうするのかというのを真剣に議論しなければならないうえ、現実として国防を考える必要がある。

「米軍の基地はいらない」とパヨクは言うわけだが、沖縄や日本各地から米軍がいなくなるとしたなら、日本は自国を守るためにどうすることが必要だろうか。

・・・と、当たり前の話であるが自衛隊(本来は国防軍)が日本国を守るために、基地を設置しなければならず、当然ながら地政学的に重要な場所に基地を作ることになるため、沖縄は重要な拠点となり、日本海側や中国地方の基地は、自衛隊の基地として使用することになる。

そしてパヨクがもし「基地をなくせ」というのであれば、それは日本国をどうしたいのかデザインができていないのか、Chinaが余程好きなのか、平和な国なのかという勘違いをしているかのいずれかだろうが、どちらにせよ日本国を主としておいていないことがわかる。

良し悪しは別として、国を思うのであればどうしなければならないかを、安保世代は考えていたわけで、そこにある主は「日本」であったはずだ。

だが、今のパヨクにはそれがないからこそ信用などできようはずがないのだ。

さて辺野古に話を戻すが、そもそもは普天間の危険性を減らすためということで移設の話を進めていたはずだ。

辺野古への移設がなければ、当然ながら普天間の利用が継続されるわけで、危険な基地が住居の隣にある状況が変わりはないこととなる。

まあ、それも言ってしまえば「普天間基地」に仕事や経済価値を求めて寄ってきた人たちが住み着いたというのが正解なのだが、それらを無視して普天間基地は危険だというのは正直なところ「移り住んだ人は危険を承知で住んでいる」とさえ考えてしまうこともある。

辺野古に移転すれば、基地関連で生きていた人は当然ながら移転先に移るはずで、そこに移り住んで「危険な基地だ」というマッチポンプをはじめるのだろうか?と今から気にかけている。

私は日本の今いる左翼の大多数(パヨク含む)を無知であり、もっと言えば他国への利益誘導をしているとさえ感じるわけで、こういう信じられないことをやってくるであろうと考えている。

私でさえ世界から戦争がなくなり、武器など無用のものになってくれればという思いはあるが、残念ながらそれをさせてくれないのは、日本の外にその理由がある。

日本がChina傘下に入るなどまっぴらごめんであるし、本来であれば米国軍が日本にいることさえ嫌っていることだ。

だが、残念なことに日本は自分たちでその国防を含めた軍備に制約をかけているために、他国と一対一で立ち向かうことができないのが現実であり、米国との同盟関係が極めて重要な役割を残念ながら果たしているといえる。

もし米国と軍事的にも対等でありたいと願うのであれば、日本は核を含めた軍備の議論をして、その整備をする必要がある。

その一歩として空母の導入は賛成できるものであるが、その利用は日本の周辺に限ることを法律に明記すべきだと考えている。

侵略戦争などもってのほかであり、対China、対DPRKとして日本海側と太平洋側の近海のみの利用にとどめるべきだと思うが、対Chinaにはたいへんに有効な抑止力になりうる。

宮古島海域に空母を展開することで、Chinaへの警告になる(ただし深く侵入された場合には他国と同様攻撃する覚悟が必要)ため間違いなくその周辺海域が重要なこととなる。

これが残念ながら現実社会なのである。

南青山の児童相談所反対とアベガーというバカ

南青山に最近住んでいる人は、結局成金でしかないのか???

私が小学校6年生の時に、札幌から渋谷区初台に移り住んだのであるが、当時の初台の親世代以上は、銀座などから移り住んだ人が多く、成金感覚のない金持ちの多い土地でした。

おかげで子供に対しての理解であったり、受験のことであったりと、かなり恵まれた環境でもあり、またこのようなくだらない反対運動など起きることもなく、子供だものあたりまえとか、子供のためには自分から進んで何かをやろうという大人を、子供ながらにみていたのを記憶している。

対して南青山の一部であろうが、これらの住人は何を考えているのだろうか。

なにが金を稼いで住めだ?バカ。とでも言いたくなるレベルである。

本来金持ちほど社会貢献を意識しようとしなければならないのであるが、金の亡者と化した成金はなんともさもしい根性の持ち主なのだろうかと思う。

もちろんこれが前々から南青山に住んでいる人の大多数ではないことはわかっていることであるが、そういう運動を推進していると結果として南青山の知識的価値、文化的価値は落ちていくと考えられるため、やめさせることも一つの方向なのではないかと考える。

そしてこれと安倍政権を結び付け、「現在の日本人は」という馬鹿(笑)

とにかく安倍政権をDisりたいのねとしか思えなくて苦笑するしかない。

世の中に一定数の非常識人であったり、社会を考えない人がいるのは理解しているが、その人以上になんでも「アベガー」とやるのは幼稚であるとしか言えない。

いいかい?あなたたちは「ノイジーマイノリティ」つまりは少数派であることを認識するべきなんだよ。

日本はサイレントマジョリティが多すぎるから余計にノイジーな連中がのさばるのだが、反対する人の数をみてみなって。

国会前に集まったって普段は百名いるかいないかってレベルでさえないんだぜ。

先日、実録!連合赤軍という映画を久しぶりに見たが、事の良し悪しとは別に、あれだけ熱い反対運動が何十万人というレベルで行われたのだが、それは必死に日本を考えた人たちがいたということだが、それはノイジーマイノリティではなく考え抜いた結果であることだと私は考えている。

ただし残念なのは一部の過激な共産趣味者が、結果として暴走し、人を殺すところまで行ってしまい、国際的犯罪集団となったのは、それが本物の人道的活動ではなく、ただの破壊行動を伴う言い訳のない革命行動でしかなかったからこそ人心に響かなかったのであり、共産主義と共産趣味者の乖離(結局は共産主義など絵空事)があったからこそ支持されなかったのである。

その熱さを何らかの形で引き継ぐのは結構だが、ただ彼らの真似をして「アベガー」とやってみても、結局幼稚にしか見えないのは理論的ではなく、また理性的ではなく、社会に容易く受け入れられるような言葉ではないからだ。

まず言葉遣いから直せばいいし、自分たちの仲間だけのコミュニティでわいわい騒いでみたって、結局社会との温度差や乖離部分が見えないためただの騒音にしかなっていないことを気が付くべきだろう。

だが、彼らにはこういう普通の人の声は聞こえないようだし、聞いたとしても「違う」としかどうせやらないのだから、今後も変わらずサイレントマジョリティは無視し続けるのだろうと思う。

差別解消活動にみる活動家の無理

このところ、差別解消で目立つのはLGBT活動なのであるが、これがまた当事者と活動家の乖離がすさまじく、当事者にほとんど支持されていないのは、この活動をご覧になっている方にはよくわかることだと思われる。

差別解消活動は今までもいろいろあり、例えば部落差別や在日差別などと言われてきたが、残念ながらそもそも部落差別なんてのは過去のものであり、わざわざ探し出さないとないようなもの、そして在日外国人(特に特別永住許可)については差別ではなく「区別」に過ぎないことで、到底世の中に蔓延した「差別」ではないと考えられる。

部落差別は、北海道生まれの私は全く知らないものであったが、それこそ20代のころこれはなんだろうと調べてみるとなるほどと理解ができた。

部落リストなるものがあったのであるが、これは残念ながら部落差別を訴える人々が過激になったからこそ企業側も当然ながらリスクを避けるために「活動家となりそうな人々」がいる地域を知っておきたかったのは事実であろう。

そして部落活動についてはどんどんアンタッチャブルになり、そもそもの利権となっていったのは、大阪の肉卸関連の事件で明らかになったのであるが、残念ながらマスコミが忖度をしてきちんとした報道をしなかった。

在日(特別永住外国人)については最早区別というものであり、差別などではない。

もし差別というのであれば、それは日本人全体のものではなく人心によるものが大きいと考えるうえ、「〇〇人を〇せ~」などとやるのはネトウヨや右翼でもなく、ただの差別主義者であるのは間違いがない。

だが、これらが日本人を代表するかと言えば全くしないというのが現実である。

たまに「くどうさんって、外国人とか嫌いなのですか?」とかわけのわからない質問をする人がいるが、私は肌の色や人種、性別で差別することなどはない。

在日に関して言えば、サッカーのコーチとして何人であろうと、特別永住外国人であろうと区別さえしたことはなく、ただ所属している選手としての扱いをしただけで、誰も差別も区別もしたことはないし、今でも付き合いがある。

性別やLGBおよびトランスジェンダーについても同様で、個人においてそれぞれの生き方があり、そこに多様性が生まれるだけのこと。

それなのに生きづらいとかわけのわからない理由で差別的だと断定して、自分達の要求を拡大していくのはまるで部落や在日と一緒のこと。

隣にゲイやレズビアンがいようが、そんなの他者に迷惑をかけなければ何も関係がないし、友人や知人がそうだからとなぜ差別などするのか理解ができない。

いいじゃない、人は人であり、自分ではないのだから。

ただしゲイについては私個人には意見があり、私は異性愛者であるためゲイについては愛情を持たれても応えることができないため、ゲイの仲間や友人には「私に愛情だけは向けないでくれ」と言っている。

だって友人や仲間としてはたいせつな人間なんだから。

・・・で、ほとんどの日本人はこういう感覚であるのは、テレビを見てみればよくわかるであろう。

マツコ・デラックスさんやミッツ・マングローブさんが毎日のようにテレビに出て、まじめなコメントまでもする番組からバラエティーまで出演しても、何ら講義などの行動が起きないことでもわかる。

最後に、LGBとトランスジェンダーは異なるものだと理解している。

LGBは「性的指向」であり、トランスジェンダーはMtFやFtMと言われたりもするが、生まれてきた肉体的な性と異なる性を持った方であるため、根本的に違うものである。

しかし、LGBT活動家の多くはトランスジェンダーを「わざと」含めようとするのは、裏になにかあるんじゃないのか?と邪推してしまう。

明確に分ける方が良いと考えるうえ、トランスジェンダーは場合によっては「治療が必要」なのであるから(生まれたときの肉体的な性と異なる性を合わせる手術など)なのだが、LGBと同様にするというのはどう考えたって無理がある。

ちなみに私は同性婚には反対であるが、それは婚姻が男女に基づく法的な手続きであるからという理由であり、同性での婚姻と同様の権利は養子縁組でも得られることから不要という考えである。

これもトランスジェンダーとは異なりますしね。(戸籍の性別を変えることで、異性婚ができる)

写真:© NHK SONGS スペシャル

北欧と比較してみたってなにもはじまらない

スウェーデンの若者の投票率の高さは認めるし、税負担についての考え方もわかる。

だったら、日本も高い税負担を受け入れろとでもいいたいのか?と読んでみても、どうとらえてよいのかいまいちわからない記事。

だが、一つ言えるのはこういう記事を見ていて「税を上げるな!」と言っている人が結構いるのだが、その上げるなという理由と、社会保障は今以上というあり得ないことを述べていることに気が付いていない人が多いということだろう。

大学まで無償にしてもいいと思うが、だったらもっと税金を上げて・・・といっても、その前に大学の数を減らすのが前提だが・・・大学を卒業することのステータスを上げるためにも、研究をきちんとする環境を作るべきであろう。

なにかサービスを増やすのであれば、税収を増やす必要があるのだが、その税金が自分のために使われるのだという意識を持つことについては、この記事に賛成ではある。

だが、残念なのはその負担割合が収入の半分程度になっても「国家が破綻しない限り死ぬまで面倒を見てくれるんでしょう」というスウェーデンの「揺り籠から墓場まで」のベースができているからこそできること。

たかだか20%程度の税負担で「北欧をうらやましい」なんてアホな意見を垂れ流すようなそんな人が多いのだが、スウェーデンは2010年に一度徴兵制度をやめたのであるが、今年復活をしているのだ。

つまり税以外にも「負担をしろ」といっているのだ。

自分の国は自分たちで守るのが普通のことであるが、そこは見て見ぬふりをするのが実はそのアホな人達。

それだけの負担をしなければ、実はスウェーデンという国家が成り立たないといっているのであるが、日本はそうではなく豊かに過ごしてきたからこのままでという甘い考えのまま税金を増やすな、負担を増やすなと言っているに過ぎない。

もうひとつ言ってしまえば、若者の投票率が低いのは、結局困っていないから政治に無関心であったり、政治のことを人前で話すことが煩わしいとか、そういう風に感じる人が多いからそうなっている。

いっそのこと年寄りの投票率をこれ以上さらに上げて、若者の税率を上げるとか極端な政策を打ち出せば、なにかに気が付く人がでてくるんじゃないかと荒療治をしたくなるような気分です。

とまあ、そんな荒療治はおいといて、北欧をうらやましがるのはちと早計で、そもそもの考え方のベースが違うわけですし、税負担も全く違うのですから日本と比較するのは無理があるということになります。