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安いことをありがたがるな

経済成長はどうやってなされるかってことが欠けている記事なのですが、そもそも物価を少しずつ上げていく中で、給与がそれ以上の上げ率になってこそようやく「実態収入が増えた」という状態になる。

当然ながら物価だけ上がって、収入が増えないのであれば、もちろん不幸な結果になっている。

日本の場合、それがどちらも縮小方向になっていたから問題になっていたわけで、ようやくインフレ側に持っていくことができ、給与水準もわずかながらあげられるようになったのが良い影響になりつつある。

だが、基本的な勘違いをしていけないのは、現状において消費をしないでお金を貯めこんでおくなど無意味といっていい状態。

普通預金の金利は0.001%って、普通の人は100円の金利さえもらえないような状態になっているというのに、必死でため込んでも意味がない。

別途投資をするなりした方が良いのだが、そもそも生活費を切り詰めてそうした貯蓄などをすることよりも、適度な消費をすることの方が、経済にとってはプラスに働く。

国民すべてが月に1,000円多く消費することで、1,200億円うごくのである。

10,000円なら1兆2,000億円ということで、それだけの消費税やら、当然ながらそれが消費喚起になったり、給与に反映されたりするわけなのだが、その1,000円、10,000円をけちるから経済が回らないのだ。

スーツは激安の1万円、靴は激安店の5,000円、昼食は毎日250円の弁当か380円の牛丼・・・そんなんで経済が回るわけがない。

そしてなにより、そんな貧相な格好をして、まともなものを食べなければ、見た目から改善されるわけがない。

パリッとしたスーツにシャツ、持ち物も小ぎれいで、普通のランチを食える、その程度やれないことはないでしょ。

いやいや、手取りが10万円だから・・・というなら、なぜ見直しができない?自分が必要とされる仕事であれば、そんな低い給与水準になりようがない。

過去に知っている人が夢があるからと夜は居酒屋のアルバイトで仕事をし、昼間は自分の夢のための時間を使っている、そういう状況で且つ限定された期間ならまだしも、まともに働くのであれば仕事は選べなかったとしたなら、収入を選んだ方がいい。

なんでもかんでもブラックと片付け、自分の状況を改善できないのであれば、それは自分の人生に対してのサボタージュだと思う。

もちろん努力は必ず報われるわけではないが、努力をし続けなければほとんどの場合報われることはない。

たまにスーパーにラッキーな人を見て、「自分もああなりたい」なんて思ってみたってそういうことになることは、宝くじの一等に当たるよりも確率は低い。

だったらできる努力をして給与水準を上げる努力をしたほうがいい。

例えば、今は都心のコンビニエンスストアのアルバイトは、前は学生がやることが多かった。

時給800~900円程度の時給で、せっせと働いてわずかな小遣いを得ていたものだ。

しかし、今は贅沢になって1,000円じゃなくちゃいやだ、きれいな仕事がいい、親から小遣いをもらっているからいい、そういう人たちが多いため、きついアルバイトから若者が姿を消す。

一度くらい学生の頃に苦労してみろよと思うのは、社会に出たらもっと理不尽だったり、汚かったり、思うようにいかないことが多いのだから、厳しい環境を知っておいた方が良いと考える。

もちろん正社員じゃないから給与レベルだってそれほど高くなくたっていいはずだ。

そこで小銭を稼いで消費する、それで経済を回している実感を得る。

それだけで仕事をするということに対して意識が変わってくるのだと思うが、満たされているからなのかハングリーさがない。

私は裕福な家とは言い難い家で育ったため、学生の頃は夏休みと言えば一日中仕事場にいて、入ることのできるシフトは全部入って30-40万円は稼いだ。

稼いでバイクにつぎ込んだり、楽器を買ったりしたものだが、そういうハングリーさを持った人を最近みない。

まあもちろん稼いだものの一部は学費だったり日用品に消えていったものだが、その経験が間違いなく社会人としての30年に役立っているのは間違いがない。

まして自分でよく「たたき上げの貧乏人」と言っているくらいなので、ゼロになってもそれ以下じゃなきゃ恐くないと思っているし、そうならないような努力はし続けている。

それを認めてくれる方々がいたからこそ今日があるわけで、フリーランスとして生きてきてこれほどラッキーなことはないと思う。

もちろんそれまでには落ち込んだ時期もあったが、努力し続けたからこそ今があるわけで、努力をどこかでやめてしまっていたとしたなら、今頃どこか空の下で寝ていたかもしれない。

やばい、熱くなってそれてしまった。

100円ショップをありがたがらず、長く使えるきちんとしたものを買おう。

安い見栄えもしないスーツを買うのではなく、きちんとした最低限つるし(今ではパターンオーダーだって3万円ほど)のすーつをきてみようよ。

靴も激安店の革靴じゃなくて、プレーントゥの2万円くらいの靴を修理しながら履いてみようよ。

それで背中をまっすぐにして、前を向いて歩いてみれば景色も変わって見えるって。

50歳を超えた今だって、小物をこじゃれたものにするだけでウキウキすることがある。

人間なんてそんなもの。

安いものをありがたがるのではなく、適正なものを適正な価格で買い求めようよ。

それだけで自分のサラリーレベルが変わる時がくる。

いじけるんじゃなくて、自分を信じろ。

愚痴を言わず、がむしゃらに動いてみようよ。

きっと誰かがその努力を見てくれる時が来る。

プライバシーだなんだってうるさいんだよって話

まずは以下をご覧いただきたい。

私はPTAで活動をさせていただいた時に、教室にカメラを導入すべきだと言ったことがある。

保護者がいつでも教室の様子を見ることができるようにするためという目的。

それは子供の安全のためであったり、子供の姿を見られることだったりするわけだが、教師を守る目的でもあったし、逆に教師が何をしているのかを知るためだったりもする。

そういう時に必ずでてくるのがプライバシーって奴。

なにか起こった時にどうするんだって話をしているのに、何も起こらないことを前提に話をしていたりするので、全くかみ合わない議論を延々と続けさせられることになる。

そうじゃなくて前提がこうでしょ、だからこうなるでしょって説明しても性善説を前面に押し立てて「プライバシーが」って言ってくるのだが、そういう人に限ってトラブルがあった際に一番最初に文句を言っているんだから笑えるわけだ。

教師が何かするってこともあるかもしれないが、それ以上に今の教師は後ろ手に縛られて顔を突き出した状態で子供達の前に出されているわけで、こういう動画のようなわけのわからないガキがでてくる。

そういうのから教師を守るためにもカメラは必要だと思う。

動画を最後まで見ているとわかるのだが、見ていた若者が最後笑顔で「やばいよー」的に振り向いているのだが、これもふざけた話で、笑顔によくなれるものだと思う。

まだ無関心の方がましだと思えるほどで、本来はきちんと考えるべきであろう。

こういう子供を育ててしまってはいけないんだよという例。

ネットショップの在庫切れの言い訳

昨日より楽天スーパーセールというのが開催されていて、ある商品を購入しようと手続きをしました。

22時頃でしたので自動メールが入ってきて「ご購入ありがとうございます・・・」とのこと。

さて、2~3日後には届くんだろうなと楽しみにしていた、今日の11時に以下のメールが届きました。

【ショップ名】ご注文商品の在庫につきまして

11:00 (1 時間前)
To 自分

いつも弊社サービスをご利用頂きまして誠にありがとうございます。
こちらはショップ名でございます。

注文番号:xxxxxx-xxxxxxx-xxxxxxx
注文日時:2019/12/04 21:48:33
[注文者名] 工藤 央 様
[支払方法] 楽天市場決済(クレジットカード)

[商品名] コーチ COACH xxxxxxxx レディース 腕時計【送料無料】【S1】
[商品番号] xx-xxxxxxxx
[数量] 1
[価格] 99,999円

この度、ご注文いただきました商品について、大変申し訳ないお詫びがございます。実は本日仕入れ元より商品が在庫切れと
なった旨の連絡が入ってまいり、商品が手配出来なくなってしまいました事が判明いたしました。

折角ご注文いただきましたにも関わらず、このようなお知らせを差し上げる事となってしまい本当に申し訳ございません。

お客様には多大なご迷惑をおかけ致しましたことを深くお詫び申し上げます。

次回入荷は未定となっておりますため、誠に申し訳ございませんが、一旦ご注文はキャンセルとさせていただきます。
(今回クレジット決済でご注文いただいておりましたお客様にはクレジット決済の売上取消しでキャンセル処理をさせていただきました。)

このたびは、ホームページの反映が遅れましてお客様に大変ご迷惑をお掛けいたしましたこと深くお詫び申し上げます。

尚、現在弊社ショップ名姉妹店全店の更新作業をしておりますが、反映までに少々お時間を頂戴しております。紛らわしい表記となっており誠に申し訳ございませんが、ご理解ご了承のほどお願い申し上げます。

今後は、取扱い商品の管理の一層の強化に努めて参る所存でございますので、何卒ご理解賜りますよう、お願い申し上げます。
本当に申し訳ございませんでした。

取扱い商品の管理の一層の強化に努めて参る所存でございます

ほう、ってことでクレームを入れました。

「メーカー在庫がなくなったのに赤文字のことはなんじゃらほい?」と。

しかも、こちらがキャンセルの依頼をせず、キャンセル手続きをしているということ。

もう怒りしか感じませんよね。

ネットショップって在庫を持たなくてよく、商材だけ扱えばいいと思っているところが多いのか?と感じますし、メール一本で終わらせようとする姿勢に腹がたっています。

ここ一か月で二度目ですし、在庫を持たないネットショップは、所詮こんなものなのか?と思わざるをえないのかと考えるのですが、残念ながら在庫を持っているかどうかは、ECサイトからは判断できないのですよね。

在庫を持っておらず、キャンセルされた店がわかれば、そこは在庫を持っていない可能性が高いため、そういう店リストがあるとわかりやすいのですが。

まあ、とにかく腹の虫がおさまりません。

日本はいま過渡期にある

日本は斜陽だ・・・などとおっしゃる方はお好きにどうぞと思うのは、本当に日本という国家のことを考えていないから出る言葉だと思っています。

現実として世界が一つになることが不可能であり、国境が事実としてあることを考えるに、まずは日本という自分の足元を固める必要があるわけですから、そんなことを言っている暇はないのです。

なぜ現状がそうなっているのか、これからどうするのかを真剣に考える時に、マイナス要素だけを抜き出し誇張することに全く意味はないわけですから、どうすれば前向きになることができるのかを考えることこそ必要だと感じています。

タイトルに過渡期とありますが、古き良き家族要素なんてのは、欧米でもすでに忘れ去られている状況ですから、日本も女性を労働力として本格的に必要となる時期となってきたわけです。

今まで欧米でさえ「女性は家に入り、男性は外で仕事をする」という意識でいたというものでしたが、1960年代から特に北欧を中心として女性の参政権や労働力としての必要性を唱えてきたからこそ女性の就業率もあがり、子育ての環境が整ってきたのだと理解をしています。

あの米国でさえ1960年代のドラマなんかをみると、キャリアウーマンの女性はつっけんどんに描かれていて、お母さんは家でお菓子を作って子供の帰りを待つ、そんなのが幸せな家庭的に描かれていたのです。

しかしながらそうも言っていられなくなったのは、米国は別として先進各国は自国民の人口打ち止めが見えてきたからこそであり、老齢化社会が進むことを理解していたからこそ1990年代頃はもう女性の社会進出が出来上がってきたわけです。

「お前なにを言っているんだよ」という方こそ現実を見るべきです。

1960年代まで欧州の一部国家でさえ女性に参政権がなかったことを現実として捉えなければならないのは、私の意見が違うと思ったあなたなのです。

私個人の意見を言わせていただければ、最初の結婚を1992年にいたしましたが、その際に当時の妻に対して結婚前に話をさせていただいたのは、「キャリアを続けていただきたい。子供を産んでも家にだけいるのではなく、できればキャリアを考えていただきたい。」というものでした。

私は女性が家に入るという考え方ではなかったのは、実母がそうだったからに他なりません。

まあ、うちの場合は家を建てたし、子供は金がかかるしということで母が働きに出たのだと理解していますが、21歳で私を、24歳で弟を出産し、30代中盤にはもう子供はお金はかかるとはいえ、個人的な活動に走っていましたから、両親は好きなことをやるようになっていきました。

代表例として社交ダンスというものがあり、数年前までは二人で社交ダンスをやっていたのですが、現在の体力的なものや経済的なもの(なにせ父83歳、母76歳)があり通うのをやめたわけですが、それまで40年近くかかわってきたのですからすごいものだと感じています。

二人とも仕事をしながら、好きなことをやっていたわけですから、私にとってこれがスタンダードになっています。

ちなみに母はまだ仕事をしており、来年には「とうとう仕事やめるわよ」と数年前と同じことを繰り返し発しています(笑)

そういうものを見ていますので、家庭が経済的にも豊かになる方法、人が社会とかかわるところというのを中学時代から見ていますので、女性が働くことというのはごく当たり前のことだと認識しています。

それは家庭のために家にいるだけではなく、自身が社会で活躍する場を得ること、収入を得ることなどなどさまざまな目的がありますが、特に優秀な人材であればあるほどキャリアアップをしながら、子供を産み、育てることをしていただきたいと考えるからこそ、当時の妻にそのことを話しました。

しかし残念なことに、結婚して子供がある程度育ったところで「自分は主婦が良かった」と言われましたので、最初からずれている部分があったことを残念に思っています。

現在の妻はキャリアをしっかりと意識していますので、彼女とはその面において合致しておりますが、子供を産み育てるにはリスクがありましたので、私たちは必死で働いて納税をしているのです(苦笑)

テレビで子育て世帯への支援を見ると、夫婦二人で後の世代のためには必要だよね、ひいては私の子供たちが親となった時に、両方が働くのが当たり前となっているだろうから、こういうのは必要だよねと言っています。

自分の子供達の世代が困らないような仕組みづくりは必要であり、そのためには税金の使われ方をチェックする必要があります。

しかしながらそれに並行して社会基盤を整えるためのインフラ投資が必要となってきますが、それは日本経済を回すための原動力のひとつにならなくてはいけません。

他国の会社を参加させていないなんていう理由など不要で、きちんと国益にかなった投資をすることで、次世代への収入につなげるための工夫をしていくことが必要です。

日本は今後、本格的に女性の企業への参加と、高齢者の参画が必要になってきます。

それが社会の変革の時にあたるわけで、これからはリタイアというものの定義が少しずつ変化してくるのではないかと考えます。

そして、高齢になっても社会に参画したいという方も増えてくるのだと思っています。

それをどう考えるのか、どう実行していくのか、サラリーはどうするかなど課題はいくつもあるかとは思いますが、現役世代を手厚くするために、お手伝いレベルを少し超えた範囲での高齢者の社会参画が実現できれば、日本はまだまだ捨てたものじゃないと言われるようになると考えています。

日本だからこそできることを考えていくべきで、それはこれからシニア世代の仲間入りを果たす私たちも一緒に考えていかなくてはなりません。

運気を良くするということ

昨日、私が悩み、落ち込んでいた時に助けていただいた方の一人とお話をしました。

その方も数年前に会社を畳むこととなり、お互い最近になって好転していることを喜んでいるわけですが、この好転のきっかけは「貧乏神とは縁を切る」というものでした。

その方の場合は従業員がひどかったというものと、私の場合は自分が蒔いた種とはいえ人の口車に乗り、坂を転げるようになってしまったことでした。

しかし、その後人間関係を見直して、前向きに、ただひたすら真っすぐにやってきたことがようやく実ったというものです。

先ほど「自分が蒔いた種」と書きましたが、当初は人のせいにしている部分があったと思っていますが、結果としてみてみれば全部自分が選んでしまったことなのですから、自分に責任があったのは間違いがありません。

だからこそ騙された分であろうとなんであろうと片をつけてきただけのことです。

そしていらない縁は切り、良い縁だけを残すようにしてきたところ、やっと安定してきたというわけです。

人間と言うのは弱っているときに他者にころっと騙されるような瞬間があるかもしれないと思います。

それは自分も経験をしたからこそわかることですし、なにより自分が自分の命を断つことさえ考えたわけで、そこを乗り越えることは周りの助けは当然必要になってくるとは思いますが、絶対に最後は自分なのだという意識がなければ浮上することなどできないというのも自身の経験から言えることだと思っています。

弱っているのだから助けてあげようと考えるのは悪いことではありませんが、本人がひたすら周りのせい、人のせいにしているうちはまず間違いなく浮上することなどあり得ないでしょう。

結論として・・・
・人のせいにしない(すべて責任は自己にある)
・悪い縁を断ち切る(悪い人じゃないというのは気のせい)
・前向きに生きる(過去を省み、悪いことを繰り返さない)
これを行うことで、運気を良くすることができました。