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6年前の自分の投稿へのアンサー(生き方について)

6年前、「ケチらないこと、努力を怠らないこと、人をうらやましく思わないこと」と結果的には自分に言い聞かせているエントリーに対して、過去の自分へ現段階での回答をしたいと思います。

まずケチらないこと。

6年前と比較して、超高額とは言えない額ですが、少なくとも安定をして禄を得られている状況で、必要な時に必要な投資(自分だけではなく他に対しても)ができるようになっています。

ただし、現在のお客様との契約が年度末のため、営業中ですがなんとかして今後も安定的に禄を得られるように努力をしています。

安物・・・付加価値のないただ安いだけのものは買わないようにしています。

付加価値がある、本物をなるべく購入するようにしていたり、食品材料についても良いものを適正な価格で買う努力をしています。

そしてできるだけ国産を選ぶようにしているのは、安全(神話もたまに本当か?と思ってしまいますが)もそうですが、それよりも流通も生産も同じ日本の中で行われるものを選ぶということだと理解しています。

つまりはできるだけ日本の中で金を回すということですし、良いものを適正な価格で購入することにより、生産者に正当な対価が得られるということを考えているのです。

次に努力を怠らないこと。

当たり前なので次(笑)

・・・って、当たり前です。

死ぬまで努力をし続けます。

自分だけではなく、周りが良くなるために、今より次の瞬間がもっと良くなっているように、そういう努力をし続けていきます。

人をうらやましく思わないこと。

6年前以上に思わなくなりました。

もっと言えば、人は人というのがきれいごとじゃなくて、普通になってしまいました。

我も人なり、彼も人なりではありますが、個々違うのが当たり前ですので、他者の成功を羨んでも全く意味のないことです。

他者の成功から学ぶことは山ほどあっても、羨んでいるだけではなにも進むことはないわけです。

あと2年半で還暦を迎える今、生と死について考え、また向かい合っています。

人は生を得た後、確実に死を迎えるわけです。

自分の人生に責任を持ち、また他者や国家、世界にどれほどの貢献ができるのか、生きているだけでも貢献をしているはずなのですが、それ以上に何かできることはないのか、そういうことを考えできることを実践していかなければならないわけです。

言葉だけではなく動くことこそ重要で、ネットの中で愚痴ばかりをいう人間になるつもりもありません。

そのため今でも実名でこうした投稿をしているのは、自分の言葉に対して責任を取らなくてはならないと思っているからなのですが、それだけに過去の幼い投稿などを見る度に、嫌になることも実はあったりします。

さて、6年前へのアンサーですが、このような状況になっています。

少なくとも今が順調と言えるのは、その6年前に伴侶となってくれた妻がいるからだと思っています。

彼女が私の人生を明るくしてくれたのだと。

感謝をしながらこれからも努力しながら生きてまいります。

米国の仲間との会話

まあ、この年になると仲間や友人も多くなるため、当然ながら米国に居住している人たちがいる。

そんな中、仕事やらプライベートやらで仲間と話をするわけだが、日本との違いに気づかされる・・・というか、どうなっているの?と聞くため、実態がある程度見えてくる。

その中で乗三分かかったのは、ニュージャージーに住んでいる後輩だが、驚くほど固定資産税が高い!ということを聞いた。

しかし彼は納得をしていて、なぜかというとその税金の使い道の中に、学校教育に対するものが多く含まれており、例えばCOVID-19で学校が閉鎖になるとなってからわずか三日で全員に無料でPCが配られ、オンライン授業に切り替わるなんてことがあり、税金は高くともそれは理解ができるとはっきり言っていた。

健康保険に対しては所属している会社の保険を使うことができるため、家族は問題ないのであるが、そこから離れた途端保証は全部自分で用意する(民間保険等)ため、Fireされないことを願っていると言った。

まあ、彼は米国に行って10年目となるわけで、もうすぐ永住権を取ることができるくらい会社から重用されているわけで、そういう人は問題がないのであるが、その企業保険などから漏れた人たちは悲惨であるとのこと。

さらには、彼は4年前に住居を買ったのであるが、住居は基本的に価値が上がり続けるという、日本では極めて考えられないことが起こっており、購入後にリフォームで400万円ほどかけたというが、今家を売ったとしたなら、余裕で買ったときの値段から1200-1300万円程度の利益がでるとのことで、リフォームなどの投資はしておいた方が後々よいとのこと。

また、昨年金利見直しをして、ここ70年だかで最低の金利となったため、借りなおしをしたとのことだが、1%金利が下がったため本当に楽になったと言っている。

ただ、固定資産税が年間150万円ほどで、ローンに乗せて支払うため、支払金額はそれなりに高くなっているとのこと。

というか、いま米国の東西海岸地域では地価だけではなく派手な物価上昇があるため、日本で1000万円くらいの給与をもらっているレベルでは、かなり生活は厳しいとのこと。

だがしかし、それは本当に一部に起こっていることであり、米国中部の実態を知っている友人に言わせると「そんなん海岸部の話であって、内陸部は土着せざるを得ない人が多く、低い給与と低い物価で生きている」とのことである。

つまり、日本で情報をつまみぐいする人の多くは、東西海岸地域の「良い部分だけ」を見て、物価の急上昇だったり、高額な家賃を払わねば住むことさえできない事実には目をつぶり、日本は貧しくなったと言っているのがなんとなくわかる。

だが、では日本はどうなのかといえば、政治家はチャレンジしないし、高負担(税金など)を言ったものなら政権転覆さえ起きかねない幼さである。

先に書いたがニュージャージーでは固定資産税は高くとも、きちんと地域に還元されているため住民の多くが満足すれば、なんの問題もないということだ。

だが、高齢者の医療費負担で、それなりの収入がある人に対しても制限をかけられないだとか、衣食は無税にしても、贅沢な物(昔で言う付加価値税)には課税をするなど工夫をしようとしても、日本の場合は民衆が理解できないため思い切った政策を取ることができないのが極めて残念。

それはなぜかといえば、政治を公の場で話すことをためらったり、稼ぐことを卑しいと表現したり、古い固定観念の中でしか話をしていなかったりなど、本来すべきことをしないからそうなるのだと思ってしまう。

政治こそ最も身近にあるものだし、稼いで納税をすることは尊いことであるし、枠組みを壊してでも仕組みを変えていくことは重要なはずである。

そういうことができないのが残念ながら日本なのであるが、ノイジーマイノリティが跋扈するこの世の中では確かに難しい部分ではある。

そういえばニュージャージーでは3/7から学校ではマスクの義務化がなくなるとのこと。

賛否あると思うが、これはオミクロン株においては危険性は少ないと判断したということ。

それは一つの考え方であると思う。

日本においては慎重すぎる判断であるが、私はもっと緩和していくべきだと思うが、それは別段米国の真似をする必要もないと考える。

マスクは公衆衛生上してもいいと思うし、先日の呉市議のように陰謀論をかざして航空会社に迷惑をかけるようなそんな観念しかない者は数が少ない(結局ノイジーマイノリティ)ため、日本人特有の「空気を読む」をもう少し強くする程度で良いのかもしれないと感じる。

ちなみに私は人と出会うようなことが少ない場所ではマスクははずして歩いているが、人が多いところやお店に入る時にはマスクをすることにしている。

それは私がCOVID-19に感染している場合の迷惑を考えるからであって、同町圧力とかそういうくだらないものではない。

前にも書いたが、マスクは感染をさせる側こそ注意すべきものであって、飛沫を他人に浴びせないことが重要だからである。

「私」ではなく「あなた」に迷惑をかけないためにもしていることであって、呉市議のような人は「私」だけしか主語がないからそうなってしまうのだと理解をしている。

そうそう、西海岸にいる友人はランチが3000円くらいするよおと嘆いていた。

彼は収入が日本円にして2500万円ほどだが、家賃や生活費がまたとてつもなくて、とても裕福とは思えないと言っていました(苦笑)

巨星墜つ

©産經新聞

日本の政治家として類稀なる実績を残した政治家が亡くなった。

故・石原慎太郎氏である。

今の都知事など氏の足下にさえ及びもしない。

韓国やChinaでは氏が「日〇関係を悪くした右翼」と書いているようだが、残念ながら過剰反応したのは先方であるし、なにより事実を事実として述べただけでも叩きまくったわけなので、その評価は正しくもあるが誇らしいものだと言える。

氏に比較すれば安倍元首相でさえその言説に迷いが見られるほどに見えてしまう。

私でさえ「それは言いすぎでしょう!」と思うこともあったが、とにかく大局を捉えながらも、細かな言説迄も大切にされていたように感じた。

毎年8月15日に、マスコミから「靖国神社には公人として私人として・・・」という馬鹿げた質問を投げかけられたら、「日本人が行って何が悪い!公人も私人もあるか」とはっきりとおっしゃった。

氏のおかげで、多くの人がいろいろ考えるようになったと思う。

それは賛成意見だけではないと思うが、私はそれでもいいと感じる。

それだけ言説に影響を与えるものがあったということだし、人は全員が同じ方向に向くはずもない。

いろいろ書いても薄っぺらくなりそうなので・・・

石原慎太郎氏の逝去に際し、心より哀悼の意を表します。

追記:政治家として共産党の志位委員長の「立場の違いへの言及控える」というのは、志位氏は考え方は違えど政治家であるという証であり、立場を違えた人で氏を侮辱する方々は本物の政治家などではない。その意味において志位氏の心遣いに感謝する。

奥戸一丁目・森永跡地問題について

総合スポーツセンターよりも広い敷地があるということで、さまざまなところが注目しているわけですが、これについてまた話をさせていただこうかと思います。

ちなみに過去記事。

こちらはGoogleの検索でも上位にいるようで、まだ読みに来られる方がいらっしゃるので続報と言うことで・・・

まず、共産党ががたがた言っていますが、事実として南葛SCのホームグラウンドとしてのスタジアム計画で調査が入ったということです。

その利用調査に対してスタジアムを作りたい側の会社が主検討となっていたのも事実ですが、それは問題でもなんでもないでしょう。

スタジアムありき・・・といいますが、少なくとも複数候補地があるのが事実であり、その一つを同会社が調査を請け負うことに対しては全く問題がないと考えます。

その上で工藤個人がどう思うかというと、この場所はスタジアムに向かないと考えます。

理由は何点かありますが、まずは「駅から遠い」ということです。

JR新小岩駅から25分以上、京成立石駅からでも20分程度となりますし、途中が住宅街ですので歩くには向いていません。

また現在の森永乳業前の道路のキャパを考えるに、サポーターが歩くには全く適していない道路です。

さらに駅からシャトルバスを出すとなるには道幅も広くはなく、京成バスの奥戸一丁目バス停を通るバスが混雑に巻き込まれてしまいますし、駐車場を求めるような車が殺到するような状況に対応できるような道路ではないため、こちらもやめた方がいいいと考えます。

そのため、こちらについてはスタジアムが向いていないと断言しても構わないと思っています。

もちろん広さは充分ありますし、練習場等も作ることは可能ですが、スタジアムとなると集客やそこに集まる人の歩くところとなるわけですが、そういう環境にはなっていないためスタジアム構想は無理と考えた方がいいでしょう。

そして前に書いたショッピングセンター構想は道路状況が全く適していませんし、南側の道路についても拡張をしたとしてもその土地とは少なくとも100m以上ずれているためやめた方がいいと考えます。

さらにはその道路を通るだけとは考えづらく、周辺道路状況を考えると車が集まってくるような環境にすべきではありません。

それについてはこちらの地図にありますが、この周りが込み合った場合に住民の移動が遮られるため絶対にやめるべきです。

あと考えられるのは企業誘致、学校誘致、公園化、集合住宅などなど考えられるわけですが、ここは交通の便が決して良いわけではないため(バス移動が中心と考えた方がいいでしょう・・・と近隣に居住する私)、多数が居住するような集合住宅に完全に向くわけではありません。

そのため私が考えるのは多目的運動場を含めた公園化と、隣接した少数の高層マンション(10階建程度、マンションという言葉は実は嫌い)というものです。

南葛SCのスタジアムは土地の関係上金町、水元地区しか考えづらく、そちらにスタジアムは作っていただくとして、南葛SCにレンタルまたは購入していただく形で練習場をこちらに確保していただくのは良いのではないでしょうか。

駐車場は立体二階建て程度で100台もあればよいのかと思いますし、マンション群とは駐車場を分ける形で、屋根付きのガレージなどを設置すれば富裕層も利用するでしょうし、さまざまな考え方はできるはずです。

共産党は「スタジアムありきで考えない」とありましたが、そもそも南葛SCの運営会社もそのような見方ではなく、フラットに見ているようですので、そこに問題はないと考えます。

まして人が減っていく未来に対して、サッカークラブのような付加価値は必要であり、付加価値が大きければ葛飾区の収入等にも影響を与えるため、平等しか訴えずに区民の利益を無視することは言っていただきたくないと感じます。

今までの自治体運営もそうですが、付加価値がどれほど尊いかというのは、普通の方も考えていただきたいと思います。

葛飾のブランド化をはかることで、他地域とは異なる付加価値を生み出し、その上でお金を葛飾区に落としてもらえるような、そういう魅力のある地区にする必要は間違いなくあるはずです。

「寅さんがあるじゃないか」と言いますが、その寅さんを知っている世代は減っていくのですから、次のプランが必要になるのです。

まして南葛SCなどという名前のクラブがこの地に定着することができれば、世界的プレーヤーが「TSUBASA TEAM」と言ってきてくれるかもしれないのです。

現に世界的なトップ選手でも翼くんのファンがいるわけですから、これを付加価値として捉えることも一つです。

それを収入源として区民になんらかの形で分配できれば、区民にとって有用な付加価値となるはずです。

・・・と土地利用から離れましたが、土地利用も付加価値を考えるべきであり、南葛SCの練習場も含むスポーツ公園であるならば、その魅力はかならずできると考えます。

地域の方はぜひ真剣に「葛飾区の利益」を考えていただき、都合は少しだけ横に置いていただければと思います。

衆議院選挙が終わって思ふこと

衆議院議員選挙が終了し、はっきりわかったことは「野党共闘は失敗した」ということ。

ただし、自由民主党に対して全面的に信任したわけではないことを自民党は肝に銘じる必要がある。

たとえば保守王国だった十勝(北海道11区)で負けたこと(中川郁子氏、比例復活)、甘利氏、、桜田義孝氏が小選挙区で負けたこと(比例復活)、そして石原伸晃氏が落選などということは決して全面信任されているということではないことを表している。

そして立憲民主党の代表がなにを言おうと、改選前の議席110さえ届かない96議席などと言うのは、共産党をはじめとした野党共闘をしたというのに、マスコミ等による逆風があったにも関わらず、自由民主党が17議席を減らしたが安定多数を単独で取ったことで、野党が圧倒的な敗退をしたということは間違いがない。

議席を確実に増したのは、野党の中で共闘に参加していない維新の会のみである。

なにせ共産党も議席を減らしたのであるが、立憲民主党も共産党もその党の体制を省みることもなく、また同じ顔・・・といっても辻元氏は出てこられないだろうが・・・で政党を運営していくのであるから、ますます衰退をしていくのではないだろうか。

まあ共産党に対しては過去も書いているのだが、そもそも戦前からの党の活動などを省みることもなく、そのままの体制で続けていることそのものが問題であるわけだが、頼みの綱である党員、支援者の高齢化によって衰退するのは目に見えている。

今回の選挙も相変わらずのマスコミによる誘導が激しく、2009年の悪夢にはならないと信じていたが、それでも気を引き締めて各陣営は臨んでいたと考えるが、それでも先ほど書いた例の自民党の落選等を見るに、やはり自民党をまるっと信用しきれない(私もここ、そのため積極的に支持はしていない)部分があるのだと感じる。

自由民主党はその部分を真剣に捉え、政権運営がまともに行われるということを期待したい。

野党に対しては、いいかげん「モリカケ桜」をやめろと言いたい。

何年同じことを繰り返して、しかも全く証拠やらなんやらが見つからず、かつ法的に問題にさえなっていないものをやめないというのは、国会ひいては国民に対して失礼。

まして「野党共闘で政権交代」とぶち上げたというのに見事なまでの敗退は、その責任を取るべきだというのに未だに党首や代表は責任論を全く出そうとさえしない。

彼らを信じて投票した人にさえ失礼だと考える。

すべてを支持したわけではないが、菅義偉氏が率いた内閣に対して、その評価が含まれていたと思うが、氏に対しては本当にご苦労様でしたと申し上げたい。

人類が体験する数少ない世界的な感染症という未曽有の危機の中、当初遅く見えた対策も結果として今では70%を超える人のワクチン接種を終え、かなり落ち着いている印象となったのは偏に菅義偉内閣の成果だと考える。

東京においては全くなにもしていないといっていい緑のおばさんとは全く異なる評価だと感じる。

菅義偉氏も選挙結果を見て逆風の中でこれだけの結果が出たことに一安心であろう。(といっても2009年の麻生太郎氏の比ではないだろうが)

兎にも角にも結果は出たのだからノーサイドである。

ここから本当の国会と政治がはじまる。

政権与党も、野党もきちんと足元を見て、近視眼的な政策ばかりを述べるのではなく、ポストコロナを見据えた日本の運営を考えていただきたい。