「日々思ふこと」カテゴリーアーカイブ

自己責任論とテロリスト

イスラム国に現在時点で少なくとも後藤健二氏が誘拐、監禁されているらしいことはわかっている。

ひとつは日本国政府としてどういうことをするのかということ。

日本国政府の立場としては、こういう事態に遭遇した際の日本人を救出するためのあらゆる手段(といっても法律に則った)を講じる必要がある。
それは間違いのない事実であり、日本国政府はそれを怠ってはならない。

個人的にどう思うかというと、後藤氏の行く前の映像に残っているのは間違いがないでしょう。

「自分の責任で」行ったのですから、それは自己に責任があるのは間違いがない。

これがなんのことはない安全と思われる国を旅行していて、いきなり拉致監禁されたというのであれば、当然ながら自己責任などとは言いませんし、心配も同情もするが、危険地帯にあってさらに同胞を助けに行くという行動をしているのだから、同じ日本人として心配はするが残念ながら自己の責任において決着されるべきだと考える。

さて、イスラム国と東トルキスタンやチベットの反シナ活動について同義とする人がいるようだが、これは違うものであるといわなければならない。

イスラム国が行ったことは
1.身代金目的の誘拐
2.投獄されている同胞と人質の交換
1→2と変化しているが、こういうことだ。

対して、東トルキスタンなどは「そもそもあった国家が軍事占領され、アイデンティティがなくならないように」と独立運動をしている。

そして聞こえてくるのは「人質をとって金品の要求をする」などということがない。

それと「自分たちのアイデンティティを得るために、その活動費を営利誘拐で得ようとする」団体とは間違いなく違う定義とならなくてはいけない。

そしてこれらを混同した上にさらに馬鹿な奴がいて「安倍総理が悪い」とか言っている奴とか、「日米の政策が原因」とか全く意味のわからない発言まで出てくるのだからあきれるばかり。

日本政府として「犯罪者集団」に対抗するのは当然であり、日本赤軍事件で国際的非難を受けたことを忘れてはならない。

その後、日本赤軍は各国でテロリズムを行い、国際的に恥ずべきことを「日本人」としてやってくれちゃっている。

そうした反省を元に、国際的な慣例を鑑みて行うのが今回の救出である。

非難されるべきなのはイスラム国を名乗る犯罪者・テロリスト集団であり、日本国の首相を貶めるのは全くのお門違いである。

そして交渉チャネルがあるという者は、その身をきちんと明らかにし、日本国内での立ち位置がどういうものなのかを明確にした上で、日本人としてイスラム国との交渉をするための努力をしていただきたい。

ただメディアを利用して発言をするのはアンフェアである。

他人を許容しなければならない(部分もあると)

ブログのみをご覧の皆様には、新年のご挨拶が遅れてしまいました。

本年もよろしくお願いいたします。

他人の発言などを許容しなければ、自分の発言の意味がなくなる・・・

そう感じることが最近国際的にいくつかあります。

紅白をリアルタイムで見ていませんでしたが、サザンオールスターズの桑田佳祐氏がちょび髭をつけて安倍政権を批判したとあります。
なんか所属事務所のアミューズ前でも抗議デモがあったとか聞きますが、他人の意見を批判するのは結構ですが、他人の意見をやめろと言う前に、自分は民主党政権時にどういったことをしていましたか?と問いたいのです。

安倍政権に反対する人がいるのは当たり前だと思うし、100%政権に賛同できるはずがないってのは、これは国民全員だと究極的に思います。

私にとって民主党政権で理解できたのは極めて0%に近く、安倍政権においては60%くらいかと思っているわけだが、それぞれの許容範囲が違うことで、その批判と言うのもトーンが変わってくるのです。

サザンオールスターズの表現にしても、過去も音楽寅さんでいろいろやっていたわけで、そういうものを見て「ほほう、桑田佳祐って人はこういう人なのか」と感じることはありました。

ただ感じるのはどちらかと言えばジョン・レノンのような「無責任にピース」と言っているようなもので、表現者として言いたいこと伝えたいことをやっているだけのことだと考えます。

それを許す許さないということではなく、やめろではなくて何を表現しているんだろうと考えればいいじゃないでしょうか。

別にサザンオールスターズを嫌いになってもいいじゃないですか。
表現者としてそれを覚悟でやっているんだろうし、国民をからかっているのかもしれないのですから。
(愉快犯としてほくそ笑んでいるかもしれません)

そりゃ絶対的に皇室に対して不敬というのであれば、日本国民としての「国の成り立ちの理解度はどうなんだ?」と責めることはできるでしょうが、時の政権に批判したっていいわけじゃないですか?
自分たちだって民主党政権を徹底的に批判したわけですから。
そしてその表現に関して批判するのもいいじゃないと思うわけです。

そこで思うのは、フランスでの襲撃事件だったりするわけです。

あれは許されるのか?ということです。

つまりは、宗教と言うものについて風刺が許されるのかということなのですが、それは皇室における不敬と同様、許されないものもあると考えます。

信じる者、大切な者を傷つけられて、それを許容できないというのは理解できなくはありません。

ただしそれを物理的な攻撃にすることは卑怯極まりないことです。

だからこそテロリズムは非難されるわけですし(テロリズムとそもそもの国家独立における抵抗は違いますが)、他者であったり他宗教を信じるものだから殺害しても良いってことにはなりません。

言論には言論で返すべきですし、暴力という解決方法は許されません。

表現は悪いかもしれませんが、オウム真理教の麻原信仰によるテロリズムはなんだったのかと考えてみれば、信じる者によって何かが行われる危険性はあるわけです。

就業に関する考え方

40歳転職活動中…私は社会に必要のない人間なのか? – Livedoor News

転職活動中の質問者は、「地方文系私立大卒、資格なしで転職歴あり」。キャリア診断を依頼したところ、「笑われたような馬鹿にしたような」態度を取られて相当落ち込んだようで、大企業出身でなく国家資格も語学力もない自分は「日本社会から見れば、もっと言えば労働力としてみればいらない人間なのでしょうか」と問いかけている。

こういう人たちがいるからダメなんだろうね。

「僕に見合った最上級の仕事があるんだ」とでも思っているのかな?

誰もが仕事と仕事場に必要とされるのだが、きつい、きたないというような職場には行かないが、そこにしか必要とされていないというのに高望みをすることは間違いだと思う。

じゃあ一生ダメなのかといえばそんなことはない。

仕事をしながら努力を続けなさいというしかないだろう。

私は警察関係に入ることができなかったため、そこで大きな挫折をしたが専門学校でとにかく資格を取りまくり、社会人になってからも情報処理特種を取るなど、大人になってからの努力も続けたつもりだ。
おかげで頭と身体一つで仕事ができる(投資がいらないともいえる)ため、言ってしまえば付加価値がなければきられる競争率の高い仕事に身をおいている。

それでもなんとか仕事ができているのは、私を必要としてくれる企業や人がいるからなのだと感謝している。

ではこの質問をした人はどういう努力をしてきたのだろうかと問いたい。

キャリアコンサルティングでそういう人に関しては、相手にしてもらえると思っているのだとしたら大きな勘違いである。
私は大学を出ないで専門学校に行ったため、その店は問題ありませんか?とたずねることが多いのだが、過去の実績を評価していただけるために、大卒資格はマストではありませんという答えをいただく。
しかし、普通は足きりの際に「大学卒業が最低限ですね」と同じ仕事で言われた人のことを知っているため、キャリアコンサルティングや、コンサルタントを紹介する営業会社は「その人の売りになるところ」つまりはストロングポイントで圧倒的優位性を持つ場合のみ、興味を示してくれるというのが実態である。

同じように新卒で働く人にも言いたいのは、自分の就業したい分野であったり理想というのはわかるが、そこに就業できなかった場合にどうするのかというところで、フリーターという選択肢をしたりするのはどうなのだろうかと思う。

フリーターのすべてが悪いとは言わないが、これだけ非正規労働者が増えたとサヨクが問題視するその根底には、そうした人たちがいるのではないだろうか。
もちろんフリーターの中にも将来を見据えて努力をし続けている人もいるだろうが、私の知っている範囲が狭いからなのかどうなのかはわからないが、一握りしかいないというのが実感である。

努力はしているといっても、届かないような現実離れした夢を見ながら「そこに向かって努力しています」なんてのは愚の骨頂。
自分の身の丈にあった場所を目指して少しずつ上を目指していけばいいではないか。

ちなみに私も夢はあるのだが、そこにははるか遠いため今の仕事をしながら、少しずつ勉強をするのみである。

「ムスリム=悪」じゃないのに

パキスタンで学校が襲われ、100人以上の学生を含む人々が亡くなった。

これを主導したのが、パキスタン・タリバン運動。

タリバーンといえば、他宗教を認めず、人類の遺産であるバーミヤンの石仏を壊したり、厳密にムスリムの教義に従うように強制した政権をアフガニスタンで展開したと多くの人が理解している。

確かに今のパキスタン・タリバン運動はアルカイーダとの関係も指摘され、すっかりテロ組織のように捉えられているわけだが、それがムスリムの全てではないはずだ。

ムスリムの教えも、家族を愛し、隣人を愛し、平和国家を作るとされている(はず)。
なのになぜ、彼らは戦闘を好んでいるように見え、他宗教を認めないどころか、同朋をも攻撃をするのかといえば、教義を自分たちの都合の良いように解釈し、自分たちを受け入れない者を敵対する者とみなし、ただひたすら正義だとうそぶき、戦闘を繰り返している。

そんなのが16億人以上もの人々が信じる教義になろうはずがない。
本来は、シャハーダ、サラー、ザカート、サウム、ハッジの五行の義務があり、六行目にジハードがあるとされている、

ジハードは「神のために奮闘すること」ということで、決して「聖戦」というような意味合いではなかったようだ。
しかしながらコーランの中に「異教徒との戦い」というものがあり、どうもそれが異なった形として認識されているのが、そうした好戦的な団体の狭義的なものだと考えられる。

つまりは本来シャハーダで「アッラーが唯一の神である」ことと「ムハンマドは神の使いである」ことを証言し、礼拝をし、浄財または税金を納め、ラマダーンにサウム(断食だけではなく性欲を絶ち、卑猥な言葉を口にしないなども含む)をし、メッカへの巡礼をするのが彼らの教えなのである。
どこにも戦えなどというのはないはずだ。

だが、一神教同士の争いは過去には戦争を生むこともあり、キリスト教徒との戦いは自分たちの教えを守る目的で、イスラムに進行したのがよく知られているわけで、決してムスリムだけが争いを好んでいるわけではないし、そもそも古くから根付いている宗教が、戦争を好んでいる表現を使うことはまずないと思われる。

そしてもう少し踏み込んで言えば、キリスト教もムスリムも祖は一緒だと思われるため、互いに「汝隣人を愛せよ」の精神があると考えている。

そのため「ムスリム=悪」などというのは間違いなく存在せず、一部が曲解を以ってジハードを意訳し行っているだけなのである。

だからムスリムと聞いても敵視してはいけないのだと理解をしている。

安倍政権への信任と敗北感について

第47回衆議院議員選挙は自民党と公明党の圧勝で終わったが、選挙区を見ていて自民党が楽勝とは言い難いところが多かったことがなるほどと思った。

そして何より残念なのは次世代の党が二議席しか得られなかったこと。
共産党は倍増するだろうと読んでいたので驚きはないが、志井委員長は喜ぶべき状況じゃないだろう。
敗北宣言をした維新の党よりも議席が少ないのだという客観的な目を持つ必要がある。

維新の党に関しては、もうすでに「維新」などという当初の目的とは関係なく、みんなの党の一部との選挙協力団体だということと、あろうことか民主党との候補者重複の調整をした。
これは橋下大阪市長の当初目的からは大きく逸脱したものであると感じるため、あの敗北宣言は正しいものであろう。

社民党はもうなくなるしかないのだろうし、生活の党も、みんなの党の代表だった人の命運もつきただろう。

選挙結果には納得できる部分もあるが、日本に本当の意味での保守政党の火が消えそうになっていることが悩みである。

石原慎太郎氏も引退が決まったわけで、氏の功罪はこれからの保守政党の伸張度合いでわかるであろう。

とにかく、国民は安倍政権を信任してしまったわけだと。