「日々思ふこと」カテゴリーアーカイブ

SE・プログラマ単価について思ふこと

先日、登録してあったある派遣会社から私の元に仕事の依頼が来ました。

COBOLのシステムリプレースで・・・時給2000円が上限とのことでした。

月160時間として、32万円の報酬ということになるわけです。

私は担当に受けられない旨を伝える際に、2000円というのは本気ですか?と返しました。

しかし、派遣会社の担当者には真意が伝わらなかったそうで、2000円が上限なんですとの返答です。

私が言いたかったのは「2000円でSEも兼ねるプログラマを雇うとは本気なのか?」ということだったのですが、全く通じなかったようでその派遣会社では当たり前の金額なのでしょうか。

ちなみに・・・実はその仕事が別口で回ってきているのですが、そちらは60万円以上ということでした。
残念ながら現在そちらに回すことのできる人員がいないのでお断りしましたが、派遣会社が受けるとなんと半額近くになるというのがよくわかります。
さすがに2000円は冗談ではないと思いますが・・・

研究者とリスクとリターンの関係

本年度のノーベル物理学賞に、赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏が受賞した。

ここで取り上げたいのは「米国人」である中村修二氏について取り上げたい。

日亜化学との裁判は今でも覚えていて、日本企業の成功報酬に対して呆れたこともある。
青色発光ダイオードの発明に対して、会社が中村氏に与えたのは毎月の給与と、一時金の二万円だけだ。

それに対して正常なる対価を求めて中村氏は裁判に打って出た。
これに関しては私も賛成であるが、求めた対価が200億円超であったことに関しては驚きというか、金額として非常識だと感じた。

その理由は「研究をする場所と資金は誰が提供したのか」ということだ。

確かに成功した報酬として二万円は低すぎるが、かといって一人の力で200億円以上を稼ぎ出したかと言えば違う。
和解をした数億円というのにはある意味理解はできるが、その「宝くじ」を引き当てるには運と努力と金と場所が必要なのは言うまでもない。

こういう研究の比較をする時に必ずと言っていいほど「米国」というのが出てくるのだが、米国が全てにおいて優れているわけではない。

なぜなら成功した人だけが残っていき、それ以外は淘汰されるのが当たり前だからだ。

ベンチャーで立ち上げるには、資金を集める必要があるし、資金が足りなければ研究施設を提供してくれる会社や人を探さなくてはならない。
その意味において日本企業は自社の中に正社員として抱えておくために、成功までの「普通のサラリー」を支払い続けている。
研究者にとって、リスクが最も少ないのは日本企業も一つであると考える。

対し、米国では成功しなければその先がない。
研究することさえできず、一般企業で雇ってくれることもなく、成功しなければ大学にも雇ってもらえず、他の仕事を探すなどのことをしなければならなくなる。

中村氏は成功したからこそ言えることがある。

米国には夢があふれている、怒りが私の原動力だ・・・など、なるほど成功したからこそ言える事であって、日本よりもはるかに重い成功に対しての基準であったり、研究施設に入ることのたいへんさは中村氏には関係がなかったわけだから、その言葉が全てではないということを理系の研究者は考えなければならない。

ただし日本企業に対して思うのは、研究成果を出すための人達への「成功に対しての報酬」を見直すべきだと考える。

研究に対して金を出しているのは日本企業であるというのは理解できるが、特許に対しての・・・しかも重要な特許取得に対しての対価があまりにも低すぎ、中村氏のような研究者を今後も出し続けることになる。

そこまでに研究者に支払ったサラリーと、成功した時の利益をバランスよく見て、その成功報酬をきちんとするべきだろう。
そうしなければ日本の研究者は中村氏のように「米国人」として活躍することになるやもしれぬ。

東トルキスタン(新疆ウイグル自治区と言われているところ)での蛮行

まずは動画をご覧いただきたい

東トルキスタンで行われた虐殺の様子を、ヤルカンドから送られたものとのことです。

2014年8月2日、新疆ウイグル自治区内から
アバベキリ・レイムさんが命がけでインターネットから発信してくれた“ヤルカンド大虐­殺”の情報全文

Youtube ウイグルチャンネルより

顧客サービスとは何か

ITなどのサービス提供について、私はお金をいただける方はお客様であると考えています。

また、お客様は神様ではなく王様だと思っています。
私達世代くらいまでは「あの方」の影響で「お客様は神様です」と言ってしまう方も多いでしょう。
しかし一般的に神様とはあがめ奉られるもので、お客様をあがめ奉ってしまえば、間違いを正すなどと言う恐れ多いことはできません。
ところが、王様ということになると「悪い王様」というのがいて、民衆から叩き出されてしまう王もいるのです。

私にとって王様というのは間違いなく優位で、誤ったことでなければ、素直にハイと聞くものだと理解しています。

さて、なぜそのようなことを書こうかと思ったのは、そうしたサービスをする業者とおおもめしたからです。

こちらのミスとしては運営母体が三度も変わってしまい、支払いが遅くなったことでした。
これについては丁寧に謝罪をさせていただきました。

先方のミスは、キャンセルの時期を間違え、よけいな費用がかかる時に金額を間違え、それに対して以下のようなメールを送ってきたのです。

「法的手段も含めて確実に回収いたします。」

そして期日の翌日、金額5400円の通帳記載がされていないからと、わざわざ電話をしてきたのです。
(前日の記帳が確実にされているとは思えませんでしたし、金額で追えば間違いないはずです)

「まだ払われてません」と言われたために、念のため名義人がもし違っていたらと言うことでそれもつたえたのですが、「確認できません」と、見ているような時間もなく言われたので、あまりに失礼だと思い怒ったのです。

挙げ句話をしている最中に笑う、サービスを提供しているのだから、客と対等の立場などと持論を展開するものですから、あきれ果ててしまいました。

どんなことがあろうとお金をもらえる相手であればお客様であるわけで、その客に対して失礼なことをしたり、言ったりしても謝らないこと、そして人の話を遮って「お金が確認できるまでは客じゃない」などという考えに、さすがに「黙れ若造、クレームをつける人間の言うことは聞け!」と言ったのです。
そこで返ってきた言葉は「マニュアルでは…」…

人の気分を害するのもいい加減にしていただきたい。

サービス提供会社で、こんな対処はあり得ないでしょう。
その会社の常識を疑います。

こちらの不義理を差し引いてもあり得ないわけです。
つくづくこんな会社のサービスを解約して良かったと思います。

そもそも解約金で三ヶ月分を請求するなどというITサービスなど、昨今探す方が難しいでしょう。
あり得ないサービスです。

朝日新聞の慰安婦検証について

朝日新聞が8/5付け朝刊にて慰安婦報道についての検証を紙面とした。

前進であると言われていますが、全部を読んでみて思うのは吉田清治という詐話師の嘘を虚偽としただけのことで、強制連行はあったと未だに言い続けていると感じられた。

どうみても言い訳としか見えないのであるが、それでも強制連行はあったとまだ言い張る朝日新聞に、その馬鹿げた意地はどこからでてくるのか不思議だと思ってしまう。

何年振りだろうか、朝日新聞を購入したのであるが、検証にもなっているようには思えず、売り上げに協力させられたような感じである。