運気を良くするということ

昨日、私が悩み、落ち込んでいた時に助けていただいた方の一人とお話をしました。

その方も数年前に会社を畳むこととなり、お互い最近になって好転していることを喜んでいるわけですが、この好転のきっかけは「貧乏神とは縁を切る」というものでした。

その方の場合は従業員がひどかったというものと、私の場合は自分が蒔いた種とはいえ人の口車に乗り、坂を転げるようになってしまったことでした。

しかし、その後人間関係を見直して、前向きに、ただひたすら真っすぐにやってきたことがようやく実ったというものです。

先ほど「自分が蒔いた種」と書きましたが、当初は人のせいにしている部分があったと思っていますが、結果としてみてみれば全部自分が選んでしまったことなのですから、自分に責任があったのは間違いがありません。

だからこそ騙された分であろうとなんであろうと片をつけてきただけのことです。

そしていらない縁は切り、良い縁だけを残すようにしてきたところ、やっと安定してきたというわけです。

人間と言うのは弱っているときに他者にころっと騙されるような瞬間があるかもしれないと思います。

それは自分も経験をしたからこそわかることですし、なにより自分が自分の命を断つことさえ考えたわけで、そこを乗り越えることは周りの助けは当然必要になってくるとは思いますが、絶対に最後は自分なのだという意識がなければ浮上することなどできないというのも自身の経験から言えることだと思っています。

弱っているのだから助けてあげようと考えるのは悪いことではありませんが、本人がひたすら周りのせい、人のせいにしているうちはまず間違いなく浮上することなどあり得ないでしょう。

結論として・・・
・人のせいにしない(すべて責任は自己にある)
・悪い縁を断ち切る(悪い人じゃないというのは気のせい)
・前向きに生きる(過去を省み、悪いことを繰り返さない)
これを行うことで、運気を良くすることができました。

奥戸一丁目・森永東京工場跡地問題

このニュースリリースは2016年のものであるが、現在葛飾区奥戸一丁目ではこの跡地をどうすべきなのか悩んでいるとのこと。

ひとつは「マンション計画」
これは南奥戸小学校や近隣中学校の兼ね合いもあるため、諸手をあげて賛成するわけではないが、しかし住民が増えるという好材料があるため、一大団地状態にするのは一つの方法だと思います。

ただ、河川敷側には公園を併設していただきたいと願う次第。(できれば多目的グラウンドなど)

もうひとつは「イオンショッピングセンター」
これは絶対にいらない。
イオンが云々ではなく、道路などインフラのキャパシティがない。

図を参考にしていただきたい。(赤枠でかつ中も赤で囲っている部分が森永東京工場)


※クリックすると別画面で大きな画像が見られます

南奥戸小学校前の東西に通っている道路は環状七号線までつながっているが、バスがすれ違うのがやっと程度の道で、さらにその東側に行くと大型車がすれ違うのは難しい状態となっている。

南北に走っている道路もバス通りとなってはいるが、南端のくの字に曲がっているところはバスがすれ違うこともできず、その先の南側は突き当りをバスが一方通行を左折するのが困難な状況で、はま寿司の交差点で路線バスは右折している状況から考えるに、到底こんなところにショッピングセンターを持ってくるなど考えられない。

さらには北側の奥戸街道が今以上に混雑ということになれば、平和橋通りの四ツ木踏切から環状七号線、さらにはそれを超えて蔵前橋通りまで休日に混雑ができてしまうと、周辺住民は身動きが取れない状況となる。

なぜなら車での移動だけではなく、バス通りとなっているため、バスの運行に支障をきたしてしまうため、とてもではないが賛成できない・・・ではなく大反対である。

もしショッピングセンターを作りたいのであれば、南奥戸小学校の前の東西の道の先、環状七号線の交差点にパチンコ屋とその駐車場があるのだが、そこに作るべきであろうが、残念ながら近隣として小岩駅南側にArioができるのであるから、残念だが客の取り合いになることは必至である。

ただ地の利(つまりは車で入りやすい)で奥戸地区に軍配はあがるであろうが、千葉街道から亀有までの新ショッピングセンターから亀有Ario渋滞ができあがってしまうであろうため、これまた環状七号線をバス移動している人にとってはたいへんな迷惑となろう。

責任とは?

最近、責任とはなんぞや・・・と考えさせられる意見を投げかけられました。

すべて人のせい、すべて自分がやったことではない・・・

最終的に自分が何を人に依頼したのか、その結果に対して責任がないわけがありません。

それほど重いことであり、人に手伝いを願い出て、挙句それを利用して人を責める・・・

世の中そんな都合の良いことで回るはずがないのです。

自分が言ったこと、やったこと、最終的に判断は誰がしたのか。

自分が言ったこと、決めたことでしたら間違いなくその人にすべての責任があります。

大の大人が何を言ってるやら。

サーバーのトラブルにより、数日書き込みができませんでした

まあ、10/28から本日復旧するまで、サーバートラブルで接続ができなかったので、管理会社に怒り心頭でした。

最近こういった怒り方はしていなかったのですが、さすがに問い合わせフォームに「早急に修理してください。我慢の限界をとうに過ぎております。」としましたから。

データベースのバックアップはあっても、サーバーの設定やら、DNSやらなんやら、そういう設定までバックアップしなくちゃならないって、格安サーバーでやるわけないじゃんとか思うわけで、某社の子会社になってからサービスレベルは落ちるばかりです。

サーバー会社変えようかな・・・と考えました。

10年以上使っていてこれですからね。

まさに現代を表していると感じる

「他人が得をすることが許せない」

なんでもかんでも平等だなんだとやった結果がこれですよ。

自分が不幸じゃなくとも、他人の幸福は許せないって、なにを言おうとしているのかさっぱりわかりません。

他人の成功はいいなあと思いながらも「よくやったね」と思えばいいし、なにかに当たったとしたなら「よかったね」と思えばいいだけの話。

その人と自分はどこまでいったって違うんだよ。

そんなのやめようとでも言いたいのかもしれないが、AERAを出版している朝日新聞出版が、こういうことを良く言えたものだと本気で思う。

日頃からおたくの新聞や雑誌の記事にはなんて書いてある?

権力者の足だけをひっぱり、意味のない野党を応援し、金持ちから金を奪えと書き、できもしない平等ときれいごとだけを並べようとした挙句、このように失敗を繰り返す。

いい加減、まともなことをしないか?

他者の足の引っ張り合いだけはやめろよ。