奥戸一丁目・森永跡地問題について

総合スポーツセンターよりも広い敷地があるということで、さまざまなところが注目しているわけですが、これについてまた話をさせていただこうかと思います。

ちなみに過去記事。

こちらはGoogleの検索でも上位にいるようで、まだ読みに来られる方がいらっしゃるので続報と言うことで・・・

まず、共産党ががたがた言っていますが、事実として南葛SCのホームグラウンドとしてのスタジアム計画で調査が入ったということです。

その利用調査に対してスタジアムを作りたい側の会社が主検討となっていたのも事実ですが、それは問題でもなんでもないでしょう。

スタジアムありき・・・といいますが、少なくとも複数候補地があるのが事実であり、その一つを同会社が調査を請け負うことに対しては全く問題がないと考えます。

その上で工藤個人がどう思うかというと、この場所はスタジアムに向かないと考えます。

理由は何点かありますが、まずは「駅から遠い」ということです。

JR新小岩駅から25分以上、京成立石駅からでも20分程度となりますし、途中が住宅街ですので歩くには向いていません。

また現在の森永乳業前の道路のキャパを考えるに、サポーターが歩くには全く適していない道路です。

さらに駅からシャトルバスを出すとなるには道幅も広くはなく、京成バスの奥戸一丁目バス停を通るバスが混雑に巻き込まれてしまいますし、駐車場を求めるような車が殺到するような状況に対応できるような道路ではないため、こちらもやめた方がいいいと考えます。

そのため、こちらについてはスタジアムが向いていないと断言しても構わないと思っています。

もちろん広さは充分ありますし、練習場等も作ることは可能ですが、スタジアムとなると集客やそこに集まる人の歩くところとなるわけですが、そういう環境にはなっていないためスタジアム構想は無理と考えた方がいいでしょう。

そして前に書いたショッピングセンター構想は道路状況が全く適していませんし、南側の道路についても拡張をしたとしてもその土地とは少なくとも100m以上ずれているためやめた方がいいと考えます。

さらにはその道路を通るだけとは考えづらく、周辺道路状況を考えると車が集まってくるような環境にすべきではありません。

それについてはこちらの地図にありますが、この周りが込み合った場合に住民の移動が遮られるため絶対にやめるべきです。

あと考えられるのは企業誘致、学校誘致、公園化、集合住宅などなど考えられるわけですが、ここは交通の便が決して良いわけではないため(バス移動が中心と考えた方がいいでしょう・・・と近隣に居住する私)、多数が居住するような集合住宅に完全に向くわけではありません。

そのため私が考えるのは多目的運動場を含めた公園化と、隣接した少数の高層マンション(10階建程度、マンションという言葉は実は嫌い)というものです。

南葛SCのスタジアムは土地の関係上金町、水元地区しか考えづらく、そちらにスタジアムは作っていただくとして、南葛SCにレンタルまたは購入していただく形で練習場をこちらに確保していただくのは良いのではないでしょうか。

駐車場は立体二階建て程度で100台もあればよいのかと思いますし、マンション群とは駐車場を分ける形で、屋根付きのガレージなどを設置すれば富裕層も利用するでしょうし、さまざまな考え方はできるはずです。

共産党は「スタジアムありきで考えない」とありましたが、そもそも南葛SCの運営会社もそのような見方ではなく、フラットに見ているようですので、そこに問題はないと考えます。

まして人が減っていく未来に対して、サッカークラブのような付加価値は必要であり、付加価値が大きければ葛飾区の収入等にも影響を与えるため、平等しか訴えずに区民の利益を無視することは言っていただきたくないと感じます。

今までの自治体運営もそうですが、付加価値がどれほど尊いかというのは、普通の方も考えていただきたいと思います。

葛飾のブランド化をはかることで、他地域とは異なる付加価値を生み出し、その上でお金を葛飾区に落としてもらえるような、そういう魅力のある地区にする必要は間違いなくあるはずです。

「寅さんがあるじゃないか」と言いますが、その寅さんを知っている世代は減っていくのですから、次のプランが必要になるのです。

まして南葛SCなどという名前のクラブがこの地に定着することができれば、世界的プレーヤーが「TSUBASA TEAM」と言ってきてくれるかもしれないのです。

現に世界的なトップ選手でも翼くんのファンがいるわけですから、これを付加価値として捉えることも一つです。

それを収入源として区民になんらかの形で分配できれば、区民にとって有用な付加価値となるはずです。

・・・と土地利用から離れましたが、土地利用も付加価値を考えるべきであり、南葛SCの練習場も含むスポーツ公園であるならば、その魅力はかならずできると考えます。

地域の方はぜひ真剣に「葛飾区の利益」を考えていただき、都合は少しだけ横に置いていただければと思います。

衆議院選挙が終わって思ふこと

衆議院議員選挙が終了し、はっきりわかったことは「野党共闘は失敗した」ということ。

ただし、自由民主党に対して全面的に信任したわけではないことを自民党は肝に銘じる必要がある。

たとえば保守王国だった十勝(北海道11区)で負けたこと(中川郁子氏、比例復活)、甘利氏、、桜田義孝氏が小選挙区で負けたこと(比例復活)、そして石原伸晃氏が落選などということは決して全面信任されているということではないことを表している。

そして立憲民主党の代表がなにを言おうと、改選前の議席110さえ届かない96議席などと言うのは、共産党をはじめとした野党共闘をしたというのに、マスコミ等による逆風があったにも関わらず、自由民主党が17議席を減らしたが安定多数を単独で取ったことで、野党が圧倒的な敗退をしたということは間違いがない。

議席を確実に増したのは、野党の中で共闘に参加していない維新の会のみである。

なにせ共産党も議席を減らしたのであるが、立憲民主党も共産党もその党の体制を省みることもなく、また同じ顔・・・といっても辻元氏は出てこられないだろうが・・・で政党を運営していくのであるから、ますます衰退をしていくのではないだろうか。

まあ共産党に対しては過去も書いているのだが、そもそも戦前からの党の活動などを省みることもなく、そのままの体制で続けていることそのものが問題であるわけだが、頼みの綱である党員、支援者の高齢化によって衰退するのは目に見えている。

今回の選挙も相変わらずのマスコミによる誘導が激しく、2009年の悪夢にはならないと信じていたが、それでも気を引き締めて各陣営は臨んでいたと考えるが、それでも先ほど書いた例の自民党の落選等を見るに、やはり自民党をまるっと信用しきれない(私もここ、そのため積極的に支持はしていない)部分があるのだと感じる。

自由民主党はその部分を真剣に捉え、政権運営がまともに行われるということを期待したい。

野党に対しては、いいかげん「モリカケ桜」をやめろと言いたい。

何年同じことを繰り返して、しかも全く証拠やらなんやらが見つからず、かつ法的に問題にさえなっていないものをやめないというのは、国会ひいては国民に対して失礼。

まして「野党共闘で政権交代」とぶち上げたというのに見事なまでの敗退は、その責任を取るべきだというのに未だに党首や代表は責任論を全く出そうとさえしない。

彼らを信じて投票した人にさえ失礼だと考える。

すべてを支持したわけではないが、菅義偉氏が率いた内閣に対して、その評価が含まれていたと思うが、氏に対しては本当にご苦労様でしたと申し上げたい。

人類が体験する数少ない世界的な感染症という未曽有の危機の中、当初遅く見えた対策も結果として今では70%を超える人のワクチン接種を終え、かなり落ち着いている印象となったのは偏に菅義偉内閣の成果だと考える。

東京においては全くなにもしていないといっていい緑のおばさんとは全く異なる評価だと感じる。

菅義偉氏も選挙結果を見て逆風の中でこれだけの結果が出たことに一安心であろう。(といっても2009年の麻生太郎氏の比ではないだろうが)

兎にも角にも結果は出たのだからノーサイドである。

ここから本当の国会と政治がはじまる。

政権与党も、野党もきちんと足元を見て、近視眼的な政策ばかりを述べるのではなく、ポストコロナを見据えた日本の運営を考えていただきたい。

トヨタの水素エンジン開発に賛同します

まさかこの私がトヨタに賛同し、ホンダに呆れる日が来るとは思いたくはありませんでしたが、その日が訪れてしばらくたっています。

トヨタは内燃機関として水素を燃焼したエンジンを使用することで、CO2削減を果たしていくという姿勢をはっきりとしました。

対してホンダはカーボンニュートラルの手法の一つとして「電動化」を主とし、F1からの撤退を示唆しました。

ここで思ったことは「ホンダこそエンジン屋じゃないのか?」ということでした。

私が電動化に否定的なのは、電池による環境汚染が大きいということ、そして充電による時間の無駄がおきることです。

対して内燃機関は「燃料を投入することによりすぐに走り出すことができる」というものです。

現在、世の中のほとんどの内燃機関を積む自動車は、ガソリンまたは軽油を燃料として燃焼させ、推力を得るということをしています。

トヨタはその燃料を水素にしようということ、そして燃焼時のCO2を基本的に(オイルの消費があるので0ではない)ゼロにしようという考え方です。

この場合に起きることは環境汚染が車両製造時にほとんどかかる状況とし、その後はオイル消費によるわずかなCO2の発生、走行に必要な「小さな」バッテリー、ブレーキパッドダストなどなど、石油を燃料としている車両と同じ走行時の環境汚染のみを残し、燃焼時には環境汚染を極力起こさないというものです。

私はこのトヨタの姿勢を支持します。

また内燃機関製造にかかる人材の獲得が今後も必要となり、さらに内燃機関の技術継承と技術開発が続けられることに対し、素晴らしい考え方であると捉えています。

一度、技術開発が途絶えてしまえば、また次の時には極端な話「一」から始めなければなりません。

そうならないためにも、また充電時間を30分も待つようなストレスからも、環境を汚し続ける大規模電池からもフリーになるため、水素エンジン開発を支持するわけです。

また水素エンジンといえば、MAZDAの水素ロータリーも復活してほしいと思うわけで、2030年には日本国内の新車販売で水素エンジンが大半を占めるような、そんな時代が来てほしいものだと願っています。

幸いなことに、日本にはENEOSやIWATANIなど水素に力を入れようとしている企業もあり、ENEOSに至ってはガソリンスタンドの代替としての水素スタンド展開というのも考えて欲しいと思っています。

在宅勤務1年5か月(継続中)で感じたこと

在宅勤務がはじまって、まもなく1年5か月を迎えようとしています。

当初はここまで長く在宅勤務が続くなどとは思っていませんでしたが、私が仕事をしている外資系の会社では、特にIT部門関連は出社に及ばずという姿勢で、まだまだ在宅勤務が続きそうな勢いです。

では、この1年5か月でどうなったのかと考えてみることにします。

生産性は落ちたのかと言えば、個人的な部分では落ちていないと思いますし、むしろ集中して仕事を行うことができるため、生産性はあがりました。

出社しているときは、私の席をめがけて質問に来る方がいましたし、たまたま見かけて寄っていただく方もいらっしゃいました。

そういうことが全くなくなったため、当然ながら作業時間に集中することができますし、予定表に「Block」と書いておけば、余程の急ぎでない限り私をチャットで呼び出すことがないため、ここぞという頭を使う作業などに対しては、間違いなく効率的になったと考えられます。

それから会議の時間についてですがこちらはほぼ時間通りに終わるためあまり関係ないかと思ったらそうではありません。

出社しているときは、一番遠い会議室迄出向く際は10分近くかかることもありましたし、外部の人との打ち合わせとなると、その前の手続きなどで時間がかかることがありました。

しかし、チャットでの会議となると時間ぴったりにみんなが集合しますし、プロジェクターがあたたまるのを待つ必要もありませんし、画面の共有に失敗するようなミスもほとんどありません。

MS-TEAMSを使っているのですが、ネットミーティング系ツールではウインドウもしくは画面を選択することができ、そのミスが少ないため、いちいち会議室のリモコンを設定して、WebEXのセンターに電話して・・・などという煩雑な作業がないだけでも会議スタートがスムーズになりました。

あと良いところは、作業報告が○時から×時までの間で△時間という報告になったため、×-○が決して△ではなくなったということです。

これは何を示しているかと言えば、○~×の時間中に居眠りをした分を差し引いて、△時間と報告することが可能となったため、余計に効率的な働き方ができます。

私の場合、出社をしていても昼休みに仮眠をとっているような状態でしたから、30分ベッドで仮眠できるというのはとても幸せなことですし、リフレッシュ後の仕事のはかどることといったら、出社時の比ではありません。

机に突っ伏して寝るよりもはるかに良い姿勢で寝ているため、苦しさなどもなくリスタートができるのですから、在宅勤務とはなんと良いものなんだろうと感じます。

あとは通勤がなくなった、特に満員電車で30分揺られることがなくなったこと、これは最大のストレス解除なのかもしれません。

では、在宅勤務がすべてまるっといいのかと言えば、私はそうではありません。

人との付き合いの中からいろいろ見つけたり、会話したりと、日常になっていたものが根こそぎとられてしまったため、人と会わないことがストレスになってしまっています。

内向きなキャラクターの方は実は在宅が幸せと言っている部分はありますが、私は人と会う中でストレスを発散している部分もあるため、人と会わないことそのものがストレスとなってしまっています。

何気ない日常会話を仲間とすることも、私の中には必要なものなのだと感じています。

そのため、会議の終わりや、会議に早めに入ってきた人と雑談をするようにしています。

いま誰がプライベートの中でこのようなことをしているとか、家庭でこんなことがあったとか、本当に何気ない日常を話したり聞いたりすることによって、その想像をするだけで笑ったり、考えたりすることがとても楽しいと感じるのです。

しかし、それが数分のできごとでしかないため、やはりストレスがまるっと解消という感じにはなりません。

やはり人と会って話をしたいですね。

さて在宅での作業環境ですが、我が家は妻との二人暮らしで3LDKのため、部屋がひとつ余っているような状況でした。

ほぼ納戸状態で使っていた部屋を、在宅とは別にネットミーティング(妻のライフワークと、私のサッカー関連のため)などをする部屋として2020年1月に整備していました。

それがそのまま私の仕事部屋になったため、結果としてなんの問題もなく仕事ができています。

しかし、お子さんが小さい家庭などは、それこそ狭いサービスルームに小さな机を置いてミーティング参加をしていたり、わざわざミーティングの時間だけカラオケボックスや近くのレンタルルームなどに出向いて仕事をするような方々もいらっしゃるため、全員が在宅環境に納得できるようなことはないと感じます。

特に小さなお子さんがいる家庭では、ネットミーティング中に「パパ―!」などとお子さんの声が聞こえてきたりして、そこで大爆笑になってしまったりします。

それこそ本人は真っ青になっているかもしれませんが、私たちのような子育てが終わった人たちには、そこにある日常でほっこりする瞬間となるわけです。

ところがミーティング以外の作業をする際にも、リビングの机しか仕事をする場所がない方もいらっしゃると聞いているため、やはり在宅では環境を整えきれない方もいらっしゃる(世間的には給与が高い会社です)わけですから、これが世の中全体となるとやはり問題がある方々もいらっしゃるのではないかと思います。

在宅での作業ですが、契約先からはIT関係はまだまだ在宅が続くと言われていて、出社する必要がない人は「当面」出社しないで欲しいという通達がでています。

同じような仕事を日本企業としている友人は、ワクチン接種が終わったら全員出社となったと話をしていましたし、それ以前から出社している友人もいました。

日本企業は在宅勤務を嫌っているのではないかと思われることも聞こえてきますが、それは生産性や管理の問題点を考えた結果からなのかもしれないと感じます。

しかし、仕事の結果は明らかに出てくるのですから、サボっている人などは見わけがつけられると考えます。

かといってキーボードがどれほど動いたかとか、マウスがとか操作をいちいちチェックするような、そんなことは不要だと思っています。

その人物がどれだけの結果を残したのか、期待値に対してどれだけの成果を出したのかが重要であって、作業時間はそれほど重要ではないと実は「在宅勤務ではなくても」私はそう考えています。

武漢を発端とするCOVID-19がまだまだ収束しそうもない今、特に日本企業の「在宅勤務」という仕事の仕方について、考え方を変える必要があるように感じています。

世の中おかしくありませんか?

前提として、私はトランスジェンダーの権利と言うものに対して、必要以上の権利はありませんし、人として当たり前の権利しかないと思っています。

それは平たく言えば「誰でも一緒」だと考えています。

しかしながら、このところのLGBTの権利についての報道を見ると辟易してきます。

女性競技、しかも体力系競技にトランスジェンダー(男→女)がオリンピックに出場するとなっております。

それに対してベルギーの女性選手が

これに対し、ハバード選手と同じ女子87キロ超級のアナ・ファンベリンヘン選手(ベルギー)は、トランスジェンダーのコミュニティーは支持するとしつつ、受け入れに当たって「他者の犠牲」があってはならないと主張。「何人かの選手が五輪出場やメダル獲得といった人生を変える機会を失う」と訴えた。

と言っているわけですが、この発言が当たり前にならないというのは間違いなくおかしいことだと感じています。

もしどうしてもオリンピックに出たいのであれば、肉体としての男女の別を考えるべきであって、その上でトランスジェンダーで性転換をしたけれども出場したいというのでしたら、オリンピックにトランスジェンダー競技を設ければいいのではないかと感じるわけです。

特に問題となるのは性自認が女性で、女性となるための手術をされた方への対処ですが、生まれながらにしては男性の機能を持っていたわけですから、どうやっても女性と同じ扱いをすることに対して無理があります。

これは女性の権利への冒涜に他ならないとさえ感じるわけです。

それを良しとする意識他界系の連中に対しては、異常だとしか考えられません。

トランスジェンダーのことであればさらにお風呂やトイレの問題がクローズアップされています。

性自認で性を決めてしまい、女性の心を持っていれば女風呂やトイレを利用すればいいなどという極論(だと感じます)が見られるわけですが、これは異常としか言えないでしょう。

性自認がどうであれ、女風呂にペニスを付けた女性が出入りすることは、どう考えても変なものでしかありません。

そして、世の中に女風呂に入りたいがために、女装をして声色を変えて入ろうとする変態(性自認も男)もいるわけで、これを区別することはできないわけですから、ペニスの有無は非常に大きなものとなります。

性自認だけで区別せよとなった場合に、こうしたことをする人はあくまでも「女性です」と言っておけばなんら問題がないこととなり、こういう人物による性犯罪をなくすることができなくなるわけです。

それをLGBT活動家という人たちは、「なんの問題もない」と言うのでしょうか。

私は友人にLGBTすべておりますが、彼らのパーソナリティも理解していますし、生き方も尊重しています。

そして、ひとつはっきりしているのは「トランスジェンダーはLGBとは異なる」ということです。

彼らが生きやすいような世の中と、必要以上の権利を求めることは全く違うことです。

必要以上の権利を求めることと認めることは、それ以外の人々に別の影響を与えることになります。

そのため、普通にしませんか?

言っておきます「大多数(男女)が普通(多数)」であって、それ以外を認めないのではなく、特に日本では今までも共生してきたというのに無理やり必要以上の権利を訴える、認める必要などありません。

特にマウントしたい活動家には嫌気がさします。