モンサントのラウンドアップ(除草剤)について考える

以前より発がん性について訴えられていたモンサント社のラウンドアップであるが、含まれているグリホサートが健康被害を及ぼすと考えられている。

そんな中、農業従事者であるご夫婦が癌を発症したと訴えていたのであるが、「ラウンドアップによって非ホジキンリンパ腫を発症したと認め」たとのことで、バイエル社に損害賠償の支払いを認めたとのこと。

モンサントは昨年バイエルに買収されたので、損害賠償の対象はバイエルとなる。

事実認定として「ラウンドアップが癌の原因」としているわけで、まだ科学的には完全な立証はできていないわけだが、明らかに因果関係があると司法が認めたということである。

そもそもなんでこのグリホサートを必要とするようになったかというと、遺伝子組み換え作物の収穫地域で今までの除草剤が効かなくなったというのが理由で使われている。

これこそ本末転倒ではないだろうか。

遺伝子組み換え作物が雑草に何らかの影響をもたらしたと考えるのが普通のことで、つまりは遺伝子組み換えをどの会社がやっているか考えてみれば、マッチポンプと言うべきほかはない。

モンサント=バイエルは危険性を考え、遺伝子組み換え作物及び危険な除草剤を一時排除するべきである。

何かが起こってからでは遅すぎる。

歴史を知らないでSNSなどに投稿する恐怖

太平洋戦争(大東亜戦争)についての史実を無視してSNSに書き込みをするような方がいらっしゃる。

本日驚いたのは「北方四島は安倍が外交でロシアに負けてとられた」という、すさまじく頭の悪いTwitterでの発言である。

昭和20年7月26日以降のイベントを追ってみよう。

※赤字はソビエトの動き

7月  
26日 ポツダム宣言が日本に伝達される
8月  
6日 広島に原子爆弾が投下される。
8日 ソビエトが日本に対して宣戦布告。※1
9日 長崎に原子爆弾が投下される。
9日 ソビエト軍が満州へ侵攻。
11日 ソビエト軍が南樺太へ侵攻。
14日 御前会議にてポツダム宣言受諾を決定。日本が連合国側にポツダム宣言受諾の用意がある旨を通達。
15日 日本国民に対し、ポツダム宣言受諾、連合国への降伏を発表。
15日 ソビエト軍が千島列島へ侵攻。
22日 三船殉難事件。ソビエト潜水艦による引揚船攻撃。
ソビエト軍による、豊原(南樺太)空襲。
29日 ソビエト軍が択捉島を占領。
9月  
1-4日 ソビエト軍が国後島、色丹島を占領。
2日 降伏文書調印。
3-5日 ソビエト軍が歯舞群島を占領。

※1 日ソ中立条約は昭和16年4月25日より5年有効でありかつ、その満了一年前までにいずれかが破棄を宣言しなければさらに5年間追加される条約。昭和20年8月は5年以内であり、ソビエトからの破棄についての宣言は昭和20年4月5日であったため、条約の効力は昭和21年4月25日まで継続されるものであった。

米軍も14日にポツダム宣言受諾の連絡を受けているにもかかわらず、熊谷、小田原、北海道などを14日から15日で空襲しているが、ソビエトはそもそも日ソ中立条約の発効中であるにもかかわらず日本への宣戦布告をし、ポツダム宣言受諾を連合国側に通達した後も南樺太、千島列島、北方領土への攻撃、占領を行った。

もっとも酷いものは降伏文書調印後であるにもかかわらず、歯舞群島を占領しているということだ。

戦争の結果がそれらをもたらしたのが事実であり、また国家間の条約を無視してソビエトが日本への宣戦布告を行うことは、明らかなる条約違反である。

どうみても歯舞群島に至っては、降伏以降の占領であり、ソビエト及びロシアの主張は当てはまることはない。

かといって、ロシアと戦争をして北方領土を取り戻せ!という主張は百歩譲って議論の中であったとしても、到底適切な発言とは言い難い。

日本の主張はロシアによる不法占拠を解除し、日本国に返還すべしということだ。

ちなみに南樺太は、日本国の立場では「帰属未定地」でしかなく、ロシア領土とは認めていない。

だからこそ日露で平和条約などを結び、これらに決着をつける必要があるのだが、領土問題が片付かねば当然ながら条約など結ぶことはできないのである。

それほど領土とは大事なものなのだということを知れば、易々とロシアとの交渉が進むわけもないのだ。

いくら条約が無効だ、違反だなんだと言っても、戦争に勝った側は事実として奪った土地の占領が可能なのである。

そして、それが戦争が終わってから70年以上も変わることもなく続いているのが現在だということ。

私は南樺太で商売をしていた母方のことがあり、北海道で生まれたからこそこのあたりのことを学んでいる。

全く事実ではない「北方領土は安倍総理が外交でロシアに負けてとられた」などとくだらない嘘をまき散らす者を見逃すことはできない。

北方領土は、ロシア(当時ソビエト)が行った条約無視の占領なのである。

原子力発電所の現在

私は過去のブログにおいても、原子力発電所を止め続けていることは経済的損失につながると言っています。

それは今も変わらない考えでいますし、2012年に40年を過ぎていたものが3つであったものが、2019年5月現在では14期もの40年を超えた発電所がありました。

これは順次廃炉にする必要があると思いますが、それ以外で特に耐用年数が多いものは稼働していくべきだと考えます。

過去の自分のブログより表を引用し、変更を加えていきます。

【参考資料】日本の「原子力発電所(原子核反応炉)」※定格出力単位(万kw/h)

発電所名 機号 運転開始 40年後 定格出力 備考
1号機 1989年 2028年 57.9  
2号機 1991年 2030年 57.9  
3号機 2009年 2048年 91.2  
東通(東北電) 1号機 2005年 2044年 110.0 計画中1、東京電力建設中1、計画中1
女川 1号機 1984年 2023年 52.4  
2号機 1995年 2034年 82.5  
3号機 2002年 2041年 82.5  
福島第一 5号機 1978年 2017年 78.4 1-4号機は使用不可能
6号機 1979年 2018年 110.0  
福島第二 1号機 1982年 2021年 110.0  
2号機 1984年 2023年 110.0  
3号機 1985年 2024年 110.0  
4号機 1987年 2026年 110.0  
東海第二 1号機 1978年 2017年 329.3  
柏崎刈羽 1号機 1985年 2024年 110.0  
2号機 1990年 2029年 110.0  
3号機 1993年 2032年 110.0  
4号機 1994年 2033年 110.0  
5号機 1990年 2029年 110.0  
6号機 1996年 2035年 135.6  
7号機 1997年 2036年 135.6  
浜岡 3号機 1987年 2026年 110.0 1-2は廃炉手続き中
4号機 1993年 2032年 113.7  
5号機 2005年 2034年 138.0 6号機計画中
志賀 1号機 1993年 2032年 54.0  
2号機 2006年 2035年 135.8  
敦賀 1号機 1970年 2009年 34.0 計画中2
2号機 1987年 2026年 116.0  
美浜 1号機 1970年 2009年 34.0  
2号機 1972年 2011年 50.0  
3号機 1976年 2015年 82.6  
大飯 1号機 1979年 2018年 117.5  
2号機 1979年 2018年 117.5  
3号機 1991年 2030年 118.0  
4号機 1993年 2032年 118.0  
高浜 1号機 1974年 2013年 82.6  
2号機 1975年 2014年 82.6  
3号機 1985年 2024年 87.0  
4号機 1985年 2024年 87.0  
島根 1号機 1974年 2013年 46.0  
2号機 1989年 2028年 82.0  
3号機 2012年 2051年 137.3 3月から稼動予定
伊方 1号機 1977年 2016年 56.6  
2号機 1981年 2020年 56.6  
3号機 1994年 2033年 89.0  
玄海 1号機 1975年 2014年 55.9  
2号機 1981年 2020年 55.9  
3号機 1994年 2033年 118.0  
4号機 1997年 2036年 118.0  
川内 1号機 1984年 2023年 89.0  
2号機 1985年 2024年 89.0 建設中1
もんじゅ 1995年 27.0  

福島第一5,6号機ともに、もんじゅも廃炉が決定しています。

赤文字の年で表したものが40年を経過した原子炉ですので、これらは廃炉にすべきだと考えます。

性多様性に対する自分の考え

とまあ、大上段に構えてみましたが、そんな大仰なことではありません。

LGBTなんて四文字が世の中に跋扈し始めたのですが、私はその多様性に対して全く否定することはありません。

ただし、世の中のLGBT運動がどうもひん曲がってきたなあと感じるのと、Tの部分がゆがんできたなあと感じるので、そこのあたりを自分の考えとして明確にしておこうと思います。

また反対をしている者としては「同性婚」なのですが、それについても書いてみます。

LGBT

L=レズビアン・・・①
G=ゲイ・・・②
B=バイセクシャル・・・③
T=トランスジェンダー・・・④

①と②については、愛情の対象が同性であるということだという理解です。(性的指向が同性)
これについては全く議論をする気はありませんし、私はそうではないというだけで差別する気もさらさらありません。

③については完全に「性的趣向」であり、異性だけではなく同性もお相手できるというもので、LGとは異なります。

④についてはもうややこしくなってきたのですが、そもそもはGID(性同一性障害)を指していたと思っていたのですが、いつの間にやら性自認が男性、女性、それ以外というややこしい判定基準になっていました。

で、SOGIなんて言葉も現れてきたのですが、そちらはまだまだメジャーではありません。

そして、これが厄介なもので、自称MtFのレズビアンとか現れてきていてさらに「手術はしたくない」とかいう人がいるので、全く理解ができない状態に陥ることがあります。

だって、心が女性だとしても体は男性で、その人が女性が性愛の対象だって言っていて、体の性を女性にしないってなにかおかしいような気がしてなりません。

もし万が一MtFが嘘だった時って、ただの変態の男性ってことになりませんか?と思うわけですよ。

Twitterでは「〇んこ」論争が起きるわけですが、よく言われるのはMtF(体が男性で心が女性)で心と体を合わせていない場合、女性風呂に入る条件とはどうだ?なんてことになった時に、男性器「〇んこ」の有無は関係があるじゃないか!なんて論争になるのです。

当たり前ですよね、女性風呂にどんな条件であれ男性器をぶら下げた人がいきなり入ってきたら、女性は困惑しますよね。

なんでSOGI論争には疲れることもあるのですが、少なくとも私の仲間にいるGIDの方々はそれぞれ心と肉体を合わせている方が大多数(まだいるかしら?)を占めたため、私はGIDとしての治療の一つに心の性と身体の性を合わせる手術をすることというのは賛成しますし、これらをきちんと日本の健康保険の中でできる仕組みなどは必要だと思っています。

レズビアンやゲイのなにがいけないんでしょうか?

動物界においても一定数の同性愛があるという研究もありますし、性的指向が同性であり、相手も同じ性的指向であればなんら問題はないものだと思っています。

これを異性愛者がどう思おうがこれまたどうぞとは思うのですが、差別をするというのは違うことだと感じます。

たとえば同性愛者だから入社させないとか免職にするとか、仕事にあてはめるようなことがあってはならないでしょう。

だって、同性愛者だから仕事に支障があるとか、なにか会社に迷惑をかけるようなことなどあり得ないじゃないですか。

まして同性愛を取り締まることなどできようはずもありません。

キリスト教やムスリムは教えの中で禁じているようですので、海外でLGが差別されるのはこれが理由だということです。

しかしながら仏教や神道でこれらを禁じたものというのはない感じがしていますし、仏教は女性に溺れるなと言っておいて、男性小児性愛(これはこれで現代では問題ありだが)に走るなんて高僧もいたわけですし、戦国の世においては殿様が部下の男性とできちゃったなんてのも茶飯事だったようです。

でも、奥方もいたわけですから所謂バイセクシャルにあたるのかもしれませんが、もしかしたら性的指向は違っていた方もいたかもしれませんね。

唯一、私がLGの方々に対して反対と考えているのは「婚姻」のみです。

「同性婚をしたからといって誰に迷惑がかかるの?」という話があるのはわかっています。

しかしそれにおいても「ならぬものはならぬ」ことというのがあると思っています。

そもそも婚姻の考え方は「子供を産み育てる」ことを前提として作られているもので、それがどっかの誰かが口走った「生産性がない」とかいう発言になったんじゃないかとか思っています。

どこまでなにをしたって同性間では異性間とは同じことができないわけであり、私はそのために同性婚を反対しています。

性的指向が同性であることについてはなんの問題もないと思っていても、婚姻のそもそもの主たる目的がなんであるかを考えるに、どこまでもその解釈を広げていくことには異を唱えます。

しかし、その議論を止めることは考えていません。

もし、私のような考えのものが崩れるような決定的な意見が出てきたとしたなら、もしかしたら認める日が来るかもしれませんが、少なくとも現在のLGBT活動家の発言に於いては賛成など絶対にしません。

さらに言わせていただけるなら、LGとB、Tは分けるべきです。

LGは性的指向、TはGIDやらSOGIやらあると言いますが、その部分を議論すべき。

で、Bはただの性的趣向。
※個人的には隙にすればってだけ、過去に付き合った方の中にもバイセクシャルはいましたし

これを分けねば話がややこしくなるだけですし、わざわざトランスジェンダーにターゲットを絞ったはずなのに、いつの間にか同性婚の話にすり替わったりする報道や発表会なんてのを見ますので、それらは分けるべきでしょう。

私は仲間にLGもBもTもいます。

そして彼らをリスペクトしています。

仲間であったり、友人であったりするのがその証拠です。

差別もまったくしていませんし、区別は性的指向の部分で分けることはありますが、それ以外は全くありません。

なぜ区別をするかといえば、私はゲイでもなく、バイセクシャルでもないため男性を性的対象とみることがないからです。

ですから仲間のゲイやバイセクシャルには「私を性愛の対象にするな!(笑)」と言っていますが、それでも飲んでいる席で「一度こちらにいらっしゃいよ(笑)」という強者もいますが、当然ながら無理強いをされていないから今日に至っています。

唯一、ゲイの方で私が好きになりすぎて性愛の対象としてしか見られないため去っていった方はいますが・・・

HONDAはスポーツの精神を忘れたのか?

2019年のF1初戦のアデレードで、HONDAエンジンを搭載するASTON MARTIN RedBull HONDA Racingは表彰台三位に立った。

これはたいへんうれしいニュースだったのだが、実は昨年いろいろと知ることがあり、HONDAのモータースポーツ部門だけではなく、エンジニアリングそのものに少し懐疑的になっている部分がある。

今のHONDAには1999年から2009年まで製造されていたS2000のような尖った車は作れなくなっているのではないかと感じるのです。

それはHONDAのエンジニアだった方が、HONDAに見切りをつけて他の会社に移られたりしている現状を見るに、心配になっているのです。

「必要な技術は買えばいい」というのは、ある意味製造業では正しい部分でもありますが、自社の独自技術が重要であるというのは製造業においては他社に対して確実な「売り」を持っているのですから、たいへんに重要な話となってきます。

1980年代後半から1990年代のF1シーンにおいては、HONDAは社内から選りすぐったエンジニアをHRDに投入していた。

しかし、昨年F1のエンジニアを外部から募集していたのである。

これには愕然としたというかがっかりしたといった方がいいだろう。

本田宗一郎という日本でも屈指のエンジニアが社長をつとめていたHONDAという会社が、まさか他からエンジニアを募集するなど考えられるはずもなかった。

HONDAはHONDAであるという独自性を発揮するのがHONDAという二輪と四輪、そして今は確実に尖った航空機を開発、製造、販売をするのがHONDAだったはずだ。

しかし、外に人材を求めるということはHONDAがHONDAではなくなったと言ってもいいとさえ思っているほどだ。
(二輪に乗っていたころは日本ホンダ党と名乗っていたほどの大ファンなんで・・・)

ジェットエンジンでさえ、他社に協力を得たことで少し残念になっているというのに、F1に外部人材などあり得ないと思ったのだ。

もし、HONDAにスポーツの精神がなくなったとしたら、それはTOYOTAと大差がないということになる。

私がTOYOTAをモータースポーツで評価していないのは、スパイ事件、日本グランプリ強奪、日本グランプリ放棄、リストリクター事件などなどモータースポーツに対して不敬であるからこそである。

もしHONDAが今後F1鈴鹿開催をやめるなどがあったとしたなら、そこに私の愛するHONDAはなくなったのだと思うであろう。

だからこそHONDAに期待するのは「内部人材をもっと育てる」という部分である。

エンジニアに絶望され、他の会社にいってエンジニアを続けるような、そういう若者を出さないでほしい。

走る実験室に若手をつぎ込み、そこからHONDAを作り上げていってほしい。

なんか散文であるが、私はHONDAがHONDAでなくなることを望まないからこそHONDAに懇願しているのである。

我が愛するHONDAが永遠に続くことを願う。