専門家といわれる人は何を見ているのか?

先日、News Picksというサイトにて、どこぞの学校の方が日本の経済が低迷して云々って書いてあったのですが、気になったのでこちらに書いておこうかと思います。

日本全体が貧しくなっているという表現をしていたのですが、その理由が「10年以上前の1000万円稼いでいた人は現在では500万円程度の価値」というものでした。

それはドル円が80円だった時と、現在の112円程度を比較して、海外での購買力を考えればその通りですが、それが貧しくなったといえるのでしょうか?

ほとんどの日本国民は国内で暮らしており、1万円の価値はこの30年程度あまり変わっていないのは皆さんご承知の通りです。

まあ、専門家の方々には当たり前のことでしょうが念のため、インフレーションとはお金の価値が下がることで、デフレーションとはお金の価値が上がることになります。

逆を言えばインフレーションはモノの値段が上がり、デフレーションではモノの値段が下がる傾向にあります。

日本が30年間お金の価値が変わっていないのは、極端なインフレーションがなく、またデフレーション状態があったことを考えることでよく理解ができます。

それと、ドル円で80円と112円を比較すると、80円から見て40%アップであり輸出企業はウハウハになりますが、112円からみると29%ダウンということで、海外投資などはお得ではないということになります。

そこで単純に日本人が貧しくなったというのをドル円80円→112円から判断するのは極めて幼稚な判断であり、あくまでも日本国内の貨幣価値は変わっていないわけですから日本国内では1000万円稼いでいる人は1000万円ぶんの価値をもっているわけです。

国外に行った際には29%ほど損をしますが、駐在の場合は円ではなくドルで支給する(現地での売り上げの中から)などの工夫をすることで、どうにでもできることです。

むしろ駐在から戻ってしまえば、円に換えることでちょっとお得になるかもしれません。

で、それよりもなによりも大半の日本人は日本国内に居住して生活をしているのに、海外に比較して貧しいなんてことを言う、なんともおかしな専門家は「グローバル」とやらに汚染でもされているのでしょうか。

確かに海外の企業は日本にきて高い給与で人材を求めに来ています。

私もあるコンサルティングファームと報酬について話をしたことがありますが、そのお金は日本の30%以上増しだったのですが、それはグローバルから出すことが可能だからこそ今は日本で彼らから見るとドル円80円時代よりも安く、よりよい人材を求めることができるからいまは高めにマネージャークラスを雇うことができるという裏があります。
※まあ、国内で仕事をしてもコンサルティングファームはお高いですがね

それを見て一見「日本は貧しくなった」などと言うようですが、それは貧しくなったわけではなく為替の状態をどう考えるかということであり、貧困をここで語るのはセンスがないということだと考えます。

専門家でもない私がこの程度わかるのですから、専門家と言われる方は政府がどうこうという考えの前に、どういう状態ではどうなるのかをきちんと伝えるべきだと思うのですが、先の専門家の方は結果「現政権への批判」がありましたので、そういう考えに基づいて活動をされているのかな?とも思います。

ま、専門家の言うことなんてのは真に受けてはいけなくて、きちんと裏付けを含めて多角的にみないと回答がないということを知ってから人の意見をみましょうということが私の言いたかったことになります。

現在の韓国と日本の関係

ひとつひとつまとめていくとそれだけで一つの記事どころか、複数に分割するような内容なので、ざっくりと私の考えを表明して見ます。

・慰安婦の補償について
 →韓国側が日韓合意を無視する状況であれば、今後は何もする必要はない
 →スタンスとしてはそもそも補償する必要がない
 →まして、国際的に儀礼としても規約としてもある大使館等の向かいに慰安婦像を建てるなど問題外

・徴用工(といわれている現在の韓国での裁判)問題について
 →日韓基本条約および関連条約にて解決済みであり、韓国政府がそれらの補償として多額の補償分を受け取っているため全く問題なし
 →これらを無視するのであれば、日本の請求権が復活することになるということを韓国政府はわかっているはずだが?

個人的にはここまでこじらせたのは韓国政府の問題であり、日韓基本条約にて締結したものがすべてとなるわけですから、韓国政府が自国民に対して説明および必要であれば補償すべきであるのは間違いがありません。

また個人請求権は残っているなどという意見を聞きますが、それも含めて韓国への補償を兼ねた当時の日本のGDPの数倍の金を払った上に、さらに金の無心や謝罪など全く不要だと考えます。

これ以上日本が頭を下げる必要などこれっぽっちもないわけです。

そのうえで日本旅行の禁止だの、交流禁止だのと韓国から言われるなど笑止千万。

むしろぜひやっていただきたいと願うほどで、日本としては粛々とビジネスも断ち切って、韓国経済を根こそぎ絶やす勢いでやるべきだと思っております。

そのうえでどうしても日本とお付き合いをさせていただきたいと願うのであれば、これ以上何も言わない、させないという確約をいただき、そこから経済、文化の交流を「してあげていい」という感情まで芽生えているわけです。

これが2002年までは韓国に対してむしろ好意的に思っていた人間が、16年経ってみて思っていることなのです。

日本政府と外務省はこの点を徹底していただきたい。

当然Chinaへの弱腰もそうなのであるが、一切妥協することなく国家間の話をすべきでしょう。

いい加減普通の国になろうよ。

人口ピラミッドから読み解くその国のその先

人口ピラミッドを見ると、その国がどうなっていくのかという想像がつきますし、どうすればよくなるのかというのも見えてきます。

そこでPopulation Pyramids of the World from 1950 to 2100より人口ピラミッドをお借りして確認をしていきます。

まずは日本を見てみましょう。

見事なまでに人口が減っていく先行きなわけですが、この先の日本人が国をどうするのかグランドデザインを作らないといけませんね。

5000~6000万人の国として、どうやっていくのかをきっちり考えねば、国力がどんどん衰退していくと考えられます。

しかし悲観しないのは、人口のピークが団塊世代と団塊ジュニア世代ですので、ここがなくなった後、どれだけ人口政策をきちんとやるかで日本の将来は本当に変わると思います。

さて、日本だけではなく世界の企業が大きな市場だと思っているChinaです。

ここは釣り鐘型になりつつあり、必死で人口減を止めようという共産党の意思がみられます。

人口減が止められるかどうかが鍵なのですが、私個人はまた人口減が始まってしまうのと、三段目の人口ピークがきた後に若い世代の負担が明らかに増えるであろうという危険性を秘めていると感じています。

まだ成長過程にあるはずだったChinaですが、人口ピラミッドを見るとこれから先はきちんとして政策が必要になるからこそ今の共産党は独裁だろうとなんだろうと、国民を導くことをしているのだと納得できます。

続いてお隣の国、韓国です。

正直ここまでとは思いもしませんでした。

人口減に歯止めがかからなければ、若い世代の負担は増える一方ですし、当面の間はいびつな人口ピラミッドとなってしまいそうで、経済成長をするには国家レベルで相当考えなければならない事態となっています。

今の20歳以下が20年後に60歳以上(現40歳以上)を支える構造ということになると、日本以上に危機的な社会保障が浮かび上がってきます。

人口減を止めたとしても、結果としてかなりの期間、少子化が続いてきてしまったことで、その以降の世代が耐える時間が長くなっていますので、国家としてどうするのかを考える必要があります。

そして最後は驚いたのでインドを。

インドはピラミッド型になっているものだと勝手に想像をしていました。

しかしながら既に少子化が始まっており、10歳以上のきれいなバランスが崩れつつある状態になってしまっています。

インドは釣り鐘型にするためには、この少子化を止めるしかありませんが、そもそもの人口が多いために貧困を片付けない限り、少子化を止める手立ては限られているような気がしてなりません。

このままインドが人口減少してしまうと、インド洋を中心としたアジア地域の発展が止まってしまう危険性があるわけで、そうした場合に周辺各国のきれいなピラミッド型が崩れてしまうことになってしまいます。

ちなみに同じブログ記事内ではアジア圏の人口ピラミッドがあるのですが、ひとつくびれのある釣り鐘型となっているのは、日本とChinaの影響が大きいのだと感じます。

とまあ、学生の頃に学んだ人口ピラミッドの読み方を復習してみたわけですが、果たして・・・

日本は本気でくだらない考え方や政策をなくすべき時に来たと思っています。

人をうらやむ前にすること

私個人は浮き沈みの大きい人生だと思っています。

二つのIPOを成功させ、ブラックマンデーで全財産を失った上に借金、でも自分で会社をやってそこそこかなあと思っていたら、顧客の倒産で大損、離婚をして会社を閉めて、一発逆転狙ってみたら詐欺師に騙され、ようやくフリーランスとして落ち着いたなあとか(苦笑)

いい時と悪い時を見てみると、いい時には共通点が今の人生の後半部分には共通することがあります。

しかしながら悪い時は共通点だらけということがよくわかります。
・失敗の原因は社会や人のせい
・自分はつきが逃げたからうまくいかない
・自己評価が高くプライドが邪魔をする
などなど、まあ見事なまでに空回りしているときはこんなもんです。

現在は全く違っていて、
・自分は結果的にラッキーな人生
・今ある自分は人のおかげ
・人と仕事に結果として恵まれている
・プライドってなに?(笑)
という感じでしょうか。

おかげでラッキーに人生が進んでいると思っています。

保守系になれない人というのは、結果として理想の自分からかけ離れてしまっている人によく見られるような感じがするのですが、うまくいかないのは社会や政治のせいとか言い放っている方がいらっしゃるので「ああ、こりゃ無理だよなあ」とか思ったりします。

うまくいかないのはやっぱりそれまで自分が選択してきたものが、自分の望む方向に行っていないことと、アンラッキーが重なっているのではないでしょうか。

アンラッキーに見えることでも捉え方では全く変わってくるわけで、アンラッキーは「教えてくれたこと」ととらえることで、教えてくれたことがラッキーなのだと感じることができるようになることがあります。(本人の考え方次第)

ただそれだけで人生が変わることがあるわけですが、あまりこんなことばかり言っていると「どんな宗教信じているの?」とか言われそうですが、私は特にどうこうではなく普通の神道を心に持っているだけですので、とりたてて信仰の深いものがあるわけではありません。

自分はラッキー!それは、人のおかげと思うだけで、実はさまざまな見方が変わってくると思いますよ。

なーにが〇〇活だあ?

以前、パパ活なるバカげた話が聞こえてきていたと思ったら、今度はママ活だと?

ここまで来ると世も末というかなんというか、金を介した関係での異性と肉体関係の有無を無視しても、虚しくないのか?と問いかけたい。

簡単に言ってしまえば、風俗にいる玄人を素人に置き換えただけで、結果金が介在した関係でしかない。

それなのに無駄な金をせっせと使うのであるから呆れるのだが、自分の魅力やらなんやらを家庭などで磨くことはできないものか?と思う。

悪いが、結局家庭でも魅力のない者は、外へ行っても魅力などないと断言させていただく。

「ただしイケメンに限る」じゃないかなどという方もいらっしゃるかもしれないが、見た目は整えればいいし、考え方は整理すればよい。

ただそれだけのことではないか。

モテる男、女になりたいのであれば、それなりのことをすりゃいいだけのこと。

もっと言ってしまえば、他の人から自分がお声がかかるほどの魅力がないから、結果として金を払ってまで人を呼ぶわけだ。

寂しい限りだねえ。