「最近の若いもんが…」が通用しなくなるとき

それはあなたが「老害」となったときなのでしょう。

良い老い方とはいくつもあるでしょうが、例としては後輩達に託したり、任せたりすることであったり、呑み込むことだと思われます。

しかしながら、世の中には残念な老害が山ほどいるようでなりません。

いつまでたっても自分の経験が後輩より上だと思っている人、自分をより大きく見せようとする人、こういう人を見ていると痛々しくてなりません。

例えばスポーツの解説者、とりわけプロ野球を例に取ると、ご意見番と言われる人の多くに「大谷翔平は成功しない」という意見が見られます。

世間一般から見れば、ご意見番のことばなんてどうでもいいわけで、さらに言うならば「あなたにはできなかったのに、その尺度でしか物事を言うな」とさえ感じるわけです。

これだけ投手と打者の分業が進んだプロ野球の中で、エースで四番をやろうとしている選手がいると面白いと思うファンがいっぱいいておかしくないですし、事実として野球にあまり興味がなかった人でさえ、大谷翔平の一打、一球に視線を注ぐ人さえいるのです。

ご意見番は四番だったり、エースだったりしたのかもしれませんが、プロとして通年でエースで四番をやったことがないわけで、どんなことかが理解できないのでしょう。

先日も元暴力ピッチャー(笑)が、俺の記録にも満たないと思うなどと言っていましたが、そんなの知ったこっちゃないわけです。

むしろ年を重ねれば「前例がないなら突き破れ」と言えるくらいの懐を深くするべきだと感じています。

還って、実社会でも同じだと思っています。

いつまでも総合職を優遇する大企業、その中から取締役を選ぶ不可思議。

マネジメント専業や、生え抜きを選出することしか考えていないこと。

いつまでもコストカットのみを考え、付加価値を生み出そうとしないこと。

などなど、世界を語るなら残念ながら日本企業の大多数は決定スピードが遅すぎる。

いい加減にしないと、本気で周回遅れどころか「メイドインジャパン、なにそれ?」もしくは、「メイドインジャパン、やすくてお得なやつね」としかならない。高付加価値のメイドインジャパンのために、開発スピード、意志決定スピード、そして老害の考えを捨てさせる(いい老い方をする)それを同時並行ですぐにでもしなければ、日本はただの経済がよく見える中身のない国になる。

いい加減気づけよとは思うが、我が身がかわいいのだろうね。

未来への準備

大げさなタイトルですが、これは死ぬまでずっと続いていくことであり、なんだかんだ重要なことでもあります。

私も一時期動く気が無くなって停滞したときもありましたが、今は前を向いて明日以降への準備をしています。

高校生以下の皆さんには、その一日が未来に大きく影響を与えるのだと知ってほしいと思います。

その努力が一年後は無理でも十年後に結ばれることさえあるわけです。

悲観的な人は「努力しても報われない」というのですが、「努力をしなければ報われるチャンスはなかなかやって来ない」わけで、努力こそが結果を呼び込む大きなファクターになるのは間違いがありません。

キャリアプランニングをするに当たり、その目標に対してどうアプローチするかが重要になるわけですが、遠回りを避けるのであれば、大学などの進学時の選択は大きな分岐点になります。

その分岐点に立つことができるかというのも、実は努力がなければそこに立てる資格さえない時があるのです。

自分のキャリアをどうするのかは、その選択肢が現れてから考えるのではなく、目標に向かうときどのような選択肢が現れるのかを予想してそこに備える、つまりはそこを乗り越えるための努力を先にしておかねばその選択肢は答えが分岐しておらず、ただの一本道になってしまい、分岐点に気が付かないことさえあったり、壁が見えたりするのです。

だからこそ未来への準備を、いまからでもスタートすべきでしょうが、そもそも生きることすべてが未来への準備だったりするわけです。

未来を明るくしたくないために今日をサボるのもある意味準備ですが、明るくしたいのが普通の感覚だと思います。

フレッシュマン&ウーマン

昨日、仕事場に向かう途中出くわしたのがタイトルの彼ら。

キラッキラしてやがって、希望に満ちあふれているのがよくわかるのですが、なによりもわかるのは、スーツに「着られている」からでもあります。

私には残念ながらそれがなかった…

童顔なのに同期から「何年目ですか?」と聞かれたのは一度や二度じゃない^^;

その理由は、学生時代はホテルフレンチのホールでウイングコートやタキシードを着ていたので、スーツなんか余裕だったわけです。

中身はおっちょこちょいのガキんちょだったのですが、入社試験の面接で「ずいぶん落ち着いていますね」と言われたのも数多く^^;

その理由はすべて仕事できていた制服にあったとは。

ま、あとは会社の同期から「態度がでかかった」といわれますが、若かったからなのかどんな相手にも正論で臨んでいたから、ぶつかりまくっていたわけで、態度がでかかったわけではないのです。

幸いにもその姿を上司や経営層もわかってくれて潰されなかったから、その後も伸び伸びとやっているわけですが、新入社員の頃はギラギラしていましたね。

兎にも角にもフレッシュマン&ウーマンの未来に幸あれと願うわけです。

おさいふケータイはなくなるのか?

結論から言えば当面はなくならないであろうと思っています。

理由の大きなものとして、なくなるといっている側の「決済は世界的にQRコード」というのがあるのですが、これだけでは根拠としては薄いものだと考えます。

日本国内で言えば、FeliCaということで考えると、鉄道会社の改札および決済に使われていることを考えれば、これは不便ではない訳ですし、なにより鉄道会社が設備に相当な投資をしたことを考えればFeliCaの利用を当面はやめるわけもありませんし、他にもFeliCa読み取り端末を導入した店舗やチェーンを考えれば、なくなることは考えにくいわけです。

しかも携帯電話とFeliCaの組み合わせは、決済だけではなく端末の特定がしやすくなるため、認証には便利な面もありますからおサイフケータイがここ数年で消えることは考えづらいと思われます。

ただし、決済としてはNFCやFeliCaに頼らないQRコードの方が圧倒的にコストがかかりませんし、余計な端末を持つ必要がないのもありますから、強いのは間違いがないと思います。

しかしながらセキュリティーの面から言えば弱いので、その強化は必須だともいえます。

景気とは

世の中で景気拡大がなされていないとか、他国は経済成長しているのに…などと聞かれるわけですが、成熟局面にある日本(米国は未だ人口が増えている成長局面)が、他国ほどの経済成長なんてのは望むべくもないわけです。

では悲観する必要があるのかといえばそうではなく、どうやって付加価値を見いだすかに特化する必要があるのです。

悪いのですが、誰でもできる簡単なお仕事については、余程のことがない限り大幅な賃金アップはありません。

誰でもできる簡単ということは、付加価値がつかないからです。

事務系の仕事にしてもそうですし、体力系のお仕事にしても、他人にあっさり取って代わられる仕事は付加価値が付きません。

ではどんなものかといえば、他にやっている人が少ないが人から望まれるものや、その人と取り替えが付かない、その人がその分野で圧倒的な力を見せているなどというところに付くわけです。

なんで私が20年ほど教育のブログに「勉強しろ」とやったかといえば、人との差別化をするために、まずはその権利を手に入れるチャンスを持っておかなければならないからこそ、次のチャンスのために勉強をしておいた方がいいという意味で言っていました。

今やらなくていい、じゃあいつやるの?ということなんですが、今やらなくていいのは、後々になってもやらないことが多く、気が付いたときにやっておけばいいわけです。

その点、学生時代に勉学の進捗度は明らかになっており、その段階で気が付くのですから、勉強はやっておいた方がいいのです。

マスコミは貧困がどうしたとかきれい事を言っているのですが、じゃあ生まれつきの貧困以外の人は貧困にならない努力をしましたか?と訪ねたのかと。

不幸の連続でたまたま貧困になる人もごく僅かながら存在しますが、そうではなく努力をしないで俺貧困と言う人を、どう見ていますか?と問いたい。

私は昭和30年代出身で、周りも貧乏でしたがそこからの脱却をしました。

高度経済成長の恩恵があったのも事実ですが、自営で20年以上やって50歳を超えてなお付加価値を見いだしていただけるお客様を持っていることができるのは、少なからず努力をしたからだと思っています。

ま、学生時代の努力はどぶに捨てたのでサラリーマン時代に苦労をしましたが、今はそれ以降の努力が報われています。

そして報われるための足掻きをしてきました。

そこまでやってもし貧困にいるのであれば、それは凄まじく運のない人生なのだと嘆いているでしょうが、少なくとも努力は報われることがあるので、今がんばるべきでしょう。