いちいち最初から説明するのが面倒なのと、政治的だけを取り出すのも面倒なのでWikipediaで解説をご覧ください。
ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立とされる言葉や表現を使用することを指す。「政治的妥当性」、「政治的公正」、「政治的適正」、「政治的正当性」、「政治的正義」などの訳語も使われる。
1980年代に多民族国家アメリカ合衆国で始まった、「用語における差別・偏見を取り除くために、政治的な観点から見て正しい用語を使う」という意味で使われる言い回しである。
ポリティカル・コレクトネスは差別是正活動の一部として、英語だけでなく日本語など英語以外の言語にも持ち込まれ、一部の表現の置き換え・言い換えにつながった。
で、こいつを金科玉条のように取り扱う企業やらメディアやら、意識「他界」系の方々がいろいろと述べてくれる。
最近ではNikeがやらかしたわけだが、なにを勘違いしているのか日本の中にある「在日社会での問題をまるで日本の差別のようにする」ような動画が流れたわけだ。
そもそもポリコレが欧米で言われるのは、これらの差別が日本なんかでは想像もできないほど深く、実際に行われていることがあり、それをなんとかしたいと思った意識高い系の方々がはじめたことで、それ自体は悪いことではなかったはず。
しかし、今はこれを利用する人の多くが、被差別側の意見のみを取り出して、「すわ差別だ」とやるから多くの人に嫌われてしまう、そしてそれを気付かないor気付いてもそれを「差別だ!」と言ってのける神経を持っているからどうしようもない。
人にはそれぞれ意見があっていいと思うし、その意見を遮ることは極めて難しいと感じる。
たとえ差別的な言葉であっても、それはその人の信条に基づくものであり、それを遮っても根本的理解がない限り、やめることややめさせることはまず無理だと考える。
そしてまた、それはポリコレを金科玉条のように扱う人と同様、言っても全く理解をしようとしないのであるから、これらのアプローチは変える必要があると感じる。
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例えば女性の社会進出という面を取り出してみる。
①女性が社会進出を阻害されていて、偉い人が少ない社会である
②女性が社会進出と、家庭に入る選択をすることが可能な社会である
日本でよく言われるのはこれでしょう。
なんで北欧において女性の社会進出が多いかと言えば、理由はさまざまあるかもしれませんが、その一つに「労働人口不足」があるというのもまた事実。
その意味において日本はまだ余裕を持っているから専業主婦を選択する余裕があると(といっても、あと数年で崩壊すると思っているが)いうことなのだと考える。
そのため私は子供達に「これからは共働き(共稼ぎではない)が当たり前になってくるから」というのだが、子供達ほどそれを痛切に感じているのは言うまでもない。
なぜなら実態としての給与レベルであったり、社会環境が少なくとも親の代である私達の時代ともすでに違っていることを身を以て体験しているからなのだろう。
そのため女性の社会進出が進み、どんどん変わっていくことに結果的になるのだと感じる。
そして私は前々から言っているのは「優秀であれば性別も年齢も全く関係ない」と思うわけで、優秀な人であればその社会的立場が高くなるのを阻害する必要はないわけだが、自分こそ優秀という人の中に、数多く優秀でもなんでもない人たちがいることを理解しているため、「社会進出が~」という意見に賛同することはない。
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人種差別についてであるが、日本において差別は少なからずあるものだと理解しているが、欧米のそれとは比較しようがないものだと理解している。
欧米人の人種による序列ははっきりしているし、ある国においては社会的な身分制度が色濃く残っている部分もある。
しかしながら、日本における差別はそんな色濃いものではなく、すでに消えようとしているものと、被差別側とされる方のアピールが過ぎるから嫌われるのだとそう理解している。
特別永住・在住外国人はあくまでも「外国人」なのであって、日本国籍を有する人とは違うことを意識する必要がある。
そのため、例えば生活保護や学校や個人への補助については、日本国籍のみとすべきなのは差別ではなく区別に過ぎない。
特に生活保護であるが、日本国において生計をたてられないのであれば、それは国籍国にお帰り頂くのが筋だ。
それを表現して「ポリコレに反する!」なんてのは、アホ丸出しの意見だ。
他国へ行って同じことを聞いてみればよい、「外国人にそんな施しをする必要はない」と言われるのがオチだ。
「いやいや、欧米は難民を受け付けているじゃないか」というが、搾取のための植民地を宗主国として運営していた責任は、残念ながらその後本国としてほとんどサポートしていない国家としての道義的責任でしかないと、私はそう考える。
「朝鮮や台湾にも日本は責任がある」と叫ぶ人もいるだろうが、少なくとも韓国と台湾に至ってはその国家はある程度の成熟を見せており、台湾は日本への賠償など考えてさえいない。
しかし、韓国に至っては日韓基本条約にて独立の資金を北朝鮮分も含めて支払い、それ以外にもさんざん協力して今の国家ができあがっているのであるから、日本にいる特別永住というものの立場をいい加減見直すべきだと考える。
北朝鮮に至っては、国家として「好きにしたら」としか言いようがないし、それに忠誠を誓う国民に対して、なぜ日本で施しをせねばならないのか全く理解ができない。
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なーんてことを書いたら、ネトウヨだなんだと言われるわけだが、そっち方向の人から何を言われてもハイハイとしか思わないのは、彼らのやり方がそもそも間違っているからであり、また根拠が薄弱であるからだ。
差別と区別が違うこと、国籍がどれほど重要なのかということ、国としてどういう労働人口の構成なのかということ、それらさまざまな条件を考えなければならないというのに、ただ一点をみつめて&他国の「良さそうな」状況を取り出して「こうだ!」とやることは、表現としてまた議論として幼いということを知る必要があるが、そう説いても理解をしないのがそういう方々なので、こういう風に書いてもわからないだろうね(苦笑)