とまあ、テレビを見ながら仕事場に到着した私ですが、解説?をしていた女性の一方的な意見に、若干「おいおいおい」と思っていたのは・・・
私たち還暦世代のことを考えてみて、札幌居住の独身者と、東京居住の独身者で、ある意味差があるのかなと感じています。
私は小学校6年生の時に札幌から渋谷区に転居したため、それをじっくり見ることができています。
独身者の数が多いのは圧倒的に渋谷区側で、金持ちの家に生まれた人の中で特に女性に多い印象です。
渋谷区の男性側独身者は、なぜこの人が結婚しないんだろう?という人がいたりしますが、お金は十分すぎるほどあるのに???と思ってしまいますが、ヒアリング(って言うか?w)をしてみても同性愛であってカムアウトできないとかではないので、本人としては「結婚する必要性を感じなかったから」とか「子供が好きではないから」という回答があったりします。
札幌の場合は特に男性では「収入に問題があり結婚できなかった」というのがあります。
正直なところ、この世代で200万円台の給与となっている人がいるのが事実で、結婚をしても相手に迷惑をかけるというのがその意見です。
札幌の女性の場合は「なんとなく」であったり、「親との関係(介護など)」、「結婚したい人がいなかった」というのが聞こえてきます。
あとは、「仕事が楽しいから」というのもあります。
それぞれ理由はいろいろありますが、特に渋谷側は結婚していない人が多い(私の周りだけなのかもしれませんが)という印象です。
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あさイチでは「主婦」というものの変遷を話していましたが、1970年代のインテリ主婦と言ってもいい戦後教育の中で生まれた「勝ち取った主婦像」をやっていました。
私もこの主婦像はすごいなあと思いますし、これぞ当時の主婦の考え方なんだなと感じ、「何もしていない女」的な雰囲気は全く感じませんし、一緒に家庭を作っていくには素晴らしい考え方だったなと思いました。
しかし、1980年代の中盤、男女雇用機会均等法くらいの男性の発言については、ちょっと恣意的に感じましたが、それにしても男性の「女性はなにもできない」的な風潮があったのは、ある程度事実だったのではないかと感じています。
事実として結婚を前提とする女性の場合、キャリアをストップしてしまったり、中断してしまったりするため、企業側としては育てるのをどうしたらよいのかというのがあったでしょう。
また、当時は就業人口における男性比率が多いわけで、「俺が養っている」的な考えの多い男性が多かったのは事実です。
しかし、俺が・・・と言ってみても、実際に子育ての大部分を仕事を言い訳にしてやらなかった男性が多くいましたし、その後は定年後離婚が増えたり、女性が男性側に愛想をつかせて家庭内別居などをしていたのもまた事実で、男性側の問題も大きいのは間違いなかったと思っています。
保守でありながらフェミニストであった父は、兄弟から馬鹿にされていた部分がありました。
それは重要な話し合いの中で決定を求められた際、父は母の意見を聞いてから返答すると言っていました。
それを父の兄弟は「いくじなし」などと思っていたようですが、家庭で見た両親の関係性は対等であり仕事で忙しいときであっても家庭に関与し、議会で家にいないとき以外は洗い物をする父というのが当たり前でした。
父に「洗い物をするのはなぜ?」と聞いたことがありますが、他のことが苦手で一番できるのがこれだからと言っていたことを思い出します。
ちなみに母は私が6歳の時から働いていて、その後ラタンクラフトの先生をやっていたりしましたが、中学3年の時から自動車修理工場の事務&自動車保険担当で昨年まで仕事をしていました。
そのため、我が家は昭和40年代から共働きが当たり前であったため、主婦という感覚が全くありません。
我々子供たちも積極的に家事を行っていたので、これが家庭だと思っていたら、よその家庭は全く違っていたことがほとんどでした。
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私はといえば、前妻は主婦願望の強い人でした。
しかしながら経済的な事情などがあり、パートで仕事をしていたのですが、家事は分担していましたし、子育ても分担していました。
私がPTAにかかわるようになり、学校行事や学校の作業などについて妻がかかわらなくて良くなったことは、彼女にとって別のことに時間が割り当てられるため、よかったというのは聞きました。
子供が生まれてから私は朝昼晩の食事は家で採るようにし、夕食後に子供たちを風呂に入れ、寝かしつけてからまた仕事に戻ったり、飲みに行ったりという感じでした。
自分で仕事をしていたので時間的な制約から解き放たれていたからこそできたというのもありましたが、私は実家の転勤族であったこと、議会対応で時間的な制約ができたことが嫌でしたので、転勤のない仕事と、自分で時間を考えることのできる仕事ということで、フリーランスであったり、会社代表というのを選択しました。
現在の妻は自分でもやりたい仕事があり、それに対してアプローチしているので、私としてはこちらの方が目指している姿であったと思っているわけですが、ではどちらが良いのかと言われても、それぞれに条件があるためどちらがどちらとも言い難い部分があります。
まだ人生が続くので、そこは最後まで宿題と思っているので、今の環境をどうするのか話し合いながら決めていきます。
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ちょいととりとめもなくなった感があるので、思ったことの羅列になりましたが、バービーさんが1970年代の主婦の方の意見を聞いて「なんか虐げられているイメージを持っていたけれど、そうではないと私も偏見を持っていた」という趣旨の発言をされていましたが、世間一般では主婦と言うとそういうイメージがいまだに根強く残っているのか?と思ってしまいます。
メディアでは男女の仕事の差がどうのこうのと言っていますが、参考にするのは北欧や欧米というところになります。
なぜそれらの国で女性が働くのかというと「労働人口が不足しているから」ということがあるのですが、そういうところには触れずに均等に~とか言っているのをみると不快になります。
しかし、日本の現実として労働人口の減少が見込まれる中で、今まで主婦としていられた層がなくなり女性も仕事をすることを求められる社会となっているわけで、そこに働きやすさと子育てのしやすさというのが必要になります。
そういう事実を濁したままで「男女同権で」とやるのはいかがなものかと思うわけですが、私なりに考えるのは女性は子供を産むことができる唯一の性であるため、これを守るべき存在だと考えています。(男が産めるのうんこだけといったフェミニストや政治家は阿保とw)
だからこそ働きやすさが必要ですし、キャリアの中断があっても復帰が容易にできるようになる仕組みが必要だと感じます。
なんちゃらの自由なんて呑気に言っていられる時代ではなくなっているというのに、ツイフェミの方々は完全に方向を間違っていると思うわけですが、女性を優遇するのではなく男性も家庭の一員であるという意識で、もっと家庭にいる、振り返る時間を多くしていかねば、日本という国は人が減っていって衰退するだけとなります。
人口が減ったとしても工夫で変えることができるのですが、男女でいがみあっていたり、どちらかを優遇するというような趣旨では、結果としてただ衰退を見ているだけとなるでしょう。
あえて男性として言いますが、女性をたいせつにするべきだと考えていますが、必要以上な要求は不要だと考えています。
前妻に一番感謝しているのは、私との間に子供を作ってもらい、一緒に子育てができたことです。
そこには素直に感謝しています。