「ゆとり」とは

私の仕事は基本的にお客様のところでの作業が多いので、いろいろな場所にお伺いします。

そして社会人となってから30年近くを見ていますが、世の中が「ゆとり」と言い出してあれから20年くらいが経ったのですが、余計に働いている人が多いような気がしてなりません。

私はブラック企業なんてのを言っている人をなんだかなあと思うわけですが、今の碌を得るためにどれだけの価値を生み出せているのかと感じてしまいます。

言い方は悪いかもしれませんが、今もらっている給与はある意味その人の労働価値を表しているわけです。
それが即その人の評価というわけではありませんが、労働対価というのはその人の労働に対する価値を表しているので、おおはずれしているとは思っていません。

よく中途半端な人ほど仕事はしたくないけれどお金はほしいと言う様に感じるのですが、お金がないと嘆くならなぜ空いた時間に仕事をしないのだろうかと感じます。
時間が空いているならお金を稼げば思ったとうりとは行かないかもしれませんが、少なくともその時間分の対価は増やすことができます。

まして起業をしたいのでお金を必要としているというのであれば、今の価値が少ないのであれば時間を多くして働く以外にお金を増やすことはできません。

世の中が「モーレツ」と言っていた頃?もしくはその後から勉学に対してであったり、働き方に「ゆとり」を求めるという動きがありました。

皆さんもご存知のとおり「ゆとり教育」というのはすでに破綻をし、そもそものゆとりの考え方の違いというのが世の中に示されました。
知識を持つことこそゆとりができることであり、時間的なゆとりを教育に持ち込むと、学習に対するゆとりがなくなります。
そのため「ゆとり教育」は失敗し、見直しがされているのです。

では一般がいうゆとりとは何かと考えると二つの側面があると思われます。

一つは時間的なゆとりです。
時間を自由に使うことができるような働き方をする、趣味に時間を割くことができるような時間を自由にするということです。

もう一つは生活のゆとり・・・はっきり書けば金銭的なゆとりです。
金銭的なゆとりがあれば、生活空間もゆとりができますし、海外旅行だ、余暇だといろいろなチャレンジが可能となるわけで、実際に金銭で余裕ができるということです。

しかし残念なのは両方を得ようとするのはいいのですが、それに対してのアプローチをしていない、もしくは短期的にそれらを得ようとするのが間違いであると思うのです。

例えば金銭的な余裕を得ようとするのであれば、働く場所を考えなければならないでしょう。
いわゆる一流企業というところに勤め、数年間の修業の後四年目くらいから急激に給与水準が上がっていき、その後は成果を争って勝ち残った人がどんどん給与を上げていくということです。
もしくは肉体労働で時間を無視して働き続けお金を得ることであったり、技能を磨くことで付加価値を生み出し金銭的な対価を大きくすることとなります。

ただしそこに時間的な余裕が生まれるかというと、最初の頃はほとんど生まれてこないのが事実です。

朝晩関係なく働き、残業も毎日のようにし、自分と家族の金銭的な幸せを目指し、とことん働き詰めるのです。

そして「偉くなる」もしくは「絶対的な成果をみせる」ことで、ようやく時間的なゆとりを得ることができるようになります。

さて、時間的な余裕を最初から得ようとするのであれば、一時期流行ったようなノマドワークスのような方法や、フリーター、一番すごいのはニートになるなんてのもあります。
時間的な余裕があるということは、最初のうちは普通に考えて対価が少なくなるのは当然です。
余程世の中から必要とされているような仕事についている人は別として、基本的には対価が低くなるため金銭的なゆとりはなくなる人がほとんどでしょう。

外資系コンサルの人たちなんかは、偉くなってからようやく「少し」時間的な余裕ができるわけですが、最初は本当に働き詰めでどんどんふるい落とされていきます。

勤続○年で一ヶ月の休暇をもらおうと、留学のチャンスを得ようと、それまでは本当に時間関係なく働く人が多く、だからこそ金銭的なゆとりを得ることが可能となります。

その中で時間的な余裕を得るためには「絶対的な評価を得る」ことが近道となるでしょう。

その人がいることで企業にメリットをもたらす人、そこにいるだけでお金を生み出せる人になればいいわけで、こうした仕事が優秀で時間もお金も「ゆとり」のある人を見ますが、皆さん共通しているのは努力の人だということです。
若い頃は馬車馬のように働き、そこで認められたからこそ今そうしていられるわけです。

それを一朝一夕に得ようとするから問題なのですし、簡単に得ようと思うからすぐに失敗したと思うのです。

私はフリーになってから20年を過ぎましたが、良い時も悪い時もありました。
今はそれほど良いと思っていませんが、しかし必ず好転すると信じてとことん仕事をしてみるのです。

おかげで時間的な余裕は少なくなっているかもしれませんが、それでも時間をやりくりしているため、時間的な余裕があるように見られます。

ゆとりを得るためにはまずはとことん努力をすることが必要だと思っています。

あと10年で60歳となるため、そこに時間的、金銭的にもゆとりを得るために、まずは今努力をしなければなりません。

甘いことを言う前に、考えながら走る・・・それが凡人のやり方に他ならないでしょう。