いまいる場所が悪くなったら

サラリーマンを7年経験し、その後フリーランスに。

16年会社を経営して、またフリーランスにと、自分の場所を変えています。

また、会社経営は成長をしたとき、顧客の倒産によりスタッフに次の仕事場に移るまで見守ったり、協力したりしました。

そして少数で会社経営の後、一人になり、離婚でフリーランスになったわけです。

その時、その時で立ち位置を変えているのは、そこにいては環境が良くないから動くということをしていました。

その中でも顧客の倒産は数億円の売り上げがパーになったり、フリーランスの時にも数十億の利益が見込める仕事のプレゼンに参加できなかったり、まあいろいろなことがありました。

いつまでも悔やんでみたって時間は戻りませんし、環境は変わらないどころか余計に悪くなるわけで、そこにとどまるのは「変わらない時」以外は動いた方がいいというのが私の経験からよるものです。

さて現在は新型コロナウィルスによる世界的な経済の縮小で、個人の生活さえ脅かされている可能性が高いですし、明日さえわからない人もいるのはわかっています。

ただ、そこに思うことは「金よこせ」と他人に依存していては、結局自分から浮上することはありませんし、生き残る戦略をたてることができない、言ってみれば生きる力がないとみられる人さえいるように感じます。

たいへんなのは本当によくわかりますが、わたしだってバブル崩壊後の1997年に2.2億円のとりっぱぐれが発生しましたし、リーマンショックの時には仕事が全くなくなるということも経験しました。

しかし、そこで他者に頼っても、公的扶助に頼ってみても、結果は一瞬だけ永らえるだけで、根本的な解決にはならないわけで、私はプライドなんか関係なく、食うために、生きるために仕事の内容を変えてでもまずは生きることを優先しました。

夜勤の時給1200円の棚卸とパッキングの仕事をやってみたり、Uber Eatsができる前にあるお店のデリバリをしてみたり、システムや業務コンサルティングなんかと全く関係のない、そんなところで日銭を稼ぐ時もありました。

「金よこせ」の前に自分がなにをするか、必死で時間1000円くらいの金を拾いに行く努力をしたか、そういうところが後々の生きる力になると思っています。

国会前などで「金よこせ」と叫ぶのは余裕があるからできるのです。

明日、食うものがなければまずは生き残るために何をするのか、その後どうやって浮上していくのか冷静に判断することこそ重要だと感じます。

新型コロナウィルスの影響でたいへんな時期だからこそそう思います。