差別と区別と言い分と暴力

このところBLMの活動が行われているようだが、私は「現状の」BLM活動については否定的です。

なぜなら「そもそものスタートは犯罪者であった者」であるからです。

確かに彼を殺していいということにはならないが、それと黒人差別とは分けるべきだと考えます。

先日、大坂なおみ選手が大会を棄権する原因となった警官による発砲事件においても、警官が何度警告をしても車のドアを開けて何かをしようとしているシーンが動画として出てきています。

私が思うのは「警官は日本とは大きく違って生死の境にいるのだ」ということで、警官に制止された状態で行動を止めなかったことに対してのリスクが生じただけだということです。

それに対して黒人を中心としたBLMを叫ぶ人々が暴動と略奪をしていることに対し、全く賛同ができないということになります。

なんだ工藤は差別主義者かと言う方は早合点です。

私は欧米に対して、植民地時代の補償を行うべきであると考えていますし、中東、アフリカの現状においては、間違いなく彼らの収奪の歴史と、その後の放置が大きな原因だと考えています。

そのため、移民に対してよく日本は受け入れないといいますが、この移民の原因は欧米にあるわけで、彼らが引き受けるのは当然だということから私は申し上げているだけなのです。

ここに日本に大きな責任はないからです。

私は欧米の白人至上主義に対して一貫して反対していますし、あれこそが差別だと考えています。

歴史を知らない阿呆が騒いでいるようですが、そもそもの差別とは何かを考えるべきです。

その意味においてなんやら日本の土人保護法の本来の意味合いと趣旨を理解しない阿呆が「アイヌに対しての差別」とか言うことに対して呆れるとともに、日本の政治家が「差別」という言葉になんの疑問もなく言いなりになってしまう馬鹿さかげんにその頭の軽さを嘆かざるをえません。

差別と区別は違うわけですし、嫌なものを嫌だという個人的な理由を止めることはできません。

差別的な考えだということを諭すことはできたとしても、法律で縛ることはできませんし、まして他人から見て「こうだ」と決めつけてしまうような「差別的な言動」など、恣意的な運用がされるに決まっているわけですから私はやめるべきだとはっきり申し上げます。

今一度、差別と区別、そしてそれを発端にする言動と暴力について、冷静にかつ第三者的に考えてみませんか?

なんでもかんでも「悪い」と決めつけてしまうと、本質から離れてくることもあります。