このところ思ふこと

選挙戦が始まっているわりには、周囲の関心度が高くないと感じる。
そのため、私の周りにはよく考えて投票に行くようすすめている。

投票をすすめる振りをして、ある一定投票行動へ誘導するものが多いと辟易する。
反原発の連中は、北海道でこの冬電力需要が厳しいため、札幌の地下鉄の暖房を止めるという。
その他大手企業も暖房を控えるなどしているというのに、現実として利用可能な泊原発の再稼働は「感情的に」反対なんだそうだ。
事故が起こったら危ないなどというが、今まで大規模な事故は原発が稼働しはじめた50年で一回、しかも震災の時であり、古いタイプの原子核反応炉であることをこの人たちは考えようともしない。

戦争反対だから保守政党はやめようというが、保守だって戦争をしないための備えをしているだけのこと。
ただ無闇に反対している人たちは、支那が南沙諸島でしていること、チベットでしていること、東トルキスタンでしている軍事占領と民族浄化をなんと考えるのか。
支那の軍事は良くて、日本の軍備はダメという理由にはならない。

秘密情報保護はダメというが、政府のすべてを国民が知る必要はない。
必要なことは開示されるのだが、特定の役所や政治家が何らかの意図を持って隠そうとするなら、国民が声を上げればいいだけ。
不都合がなければ、彼らは開示するわけで、不都合なら必死に守ろうとするので叩けばよい。
自分が正しいと思うなら、法律を破って罪を受ける覚悟で開示すればよい。
その覚悟がないから、法案に反対するだけ。
つまりは考える力がないだけ。

今の日本が独裁だという人がいる。
そういう発言ができることこそ「言論の自由が保証」されているわけで、どこに独裁とやらが存在するのかが理解できない。

集団的自衛権には反対という人がいる。
その同じ口で「米国が守ってくれるとは限らない」という。
矛盾ということを知らないのか?
集団的自衛権を発動するにも、文民による統制がある。
まして国連PKOで駐留をする際に、隣の別の国のキャンプが攻撃されていても、自衛隊は人が殺されるのを黙って見ていなければならない。
日頃、人道だ何だという連中が、都合によって解釈を変えるのはなぜだ?
集団的自衛権があっても、例え同盟国に大義がないのであれば、日本はつきあう必要はない。
それは日本に対しての同盟国も同じこと。
だから米国が必死で日本と支那に「仲良くしてよ」という。

想像力が欠落した人たちに言いたいのは、自分の頭で考えているか?ということ。
人の話を受け売りにしていないか?ということ。
本当に日本国と日本人を最優先に考えているか?ということ。

他国となかよくしたいのはやまやまだが、まずは自分たちの足下じゃないのか?

あれ?そういえば、そういう考えられない奴のほとんどは、今書いたことに反対しているかもね(笑)