デジタルな技術とアナログな技術

現在、日本と韓国は外交関係が悪い方向に向かって言っており、韓国が部品などの内製化を進めていくなどの発言をしています。

当然ながら日本の一部の方は「日本に影響があるじゃないか」とおっしゃるでしょうが、そうではないこともあるのだという、日本と米国、そしてドイツの強いアナログな技術について考えてみようと思います。

韓国やChinaが最近IT分野の工業製品や、白物家電で優れているのは、「簡単な加工やデジタルの基本的な技術を移管できた」ということです。

白物家電に限れば、部品点数はそれほど多くはなく、動作する部分も限られており、制御もそれほど難しいことはありません。

対して、自動車産業に力を入れている韓国やChinaに於いて、重要な部品の大半は、海外からの輸入に頼らざるを得ない状況となっています。

なぜならそこにアナログな技術が満載されているからです。

例えば本日話題に上がった変速機ですが、これはもう大半が日米独の独壇場になります。

マニュアルトランスミッションどころの騒ぎではないオートマチックトランスミッションに至っては、その細かい部品の数々と、制御については一朝一夕に作られるものではありません。

日米独はモノづくりと開発をそれこそ気の遠くなるような年月、何度も失敗を繰り返しながら、経験によってさらにアップグレードした製品を提供し続けています。

その基礎技術こそアナログな技術であり、そうそう真似ができるものではないわけです。

その証拠としてエンジンを使わない電気自動車産業にChinaは力を入れるわけですが、それはエンジンと言うとてつもないアナログ技術の塊を作るのを断念し、モーターと電池に頼るという「エンジンを作るアナログ技術をあきらめる」という選択をしたに近いこととなるのです。

モーターはエンジンのような精度はいりませんし、ある意味燃費なんてのを考えなくていいわけですから、簡単な技術応用だけで可能となるからです。

フッ化水素という最近話題となった材料に対しても同じことが言えます。

韓国では数年前に高純度フッ化水素製造の特許が申請されていたのですが、これを商業化することはありませんでした。

タイミングを逸したこともあるのだと聞いていますが、なによりすでに日本から輸入しているフッ化水素は、その特許で可能となる純度が日本の1/10以下であったこと、特殊な条件下で製造しても日本のレベルまで追いつかないということもあり、韓国で高純度フッ化水素を商業化するに至らなかったわけです。

その時にもし製造をはじめて、少しずつでも精度を上げていれば現状の日本製品のレベルに追いついた可能性があったかもしれなかったのですが、それから数年を経てしまえば日本のアナログ技術はそのもっと上をいっているわけです。

日本を悲観する人の中には「Chinaにも韓国にも工業製品で敵わない」と言うわけですが、日本だけではなく米独もこのアナログな基礎技術の練度をあげていっているわけですから、他国が敵いようもないわけです。

そこで手を抜かないのが日米独であり、工業国としてのアナログ技術の錬成、技術向上はこれからももっと続けていかねばならないわけです。

それらを踏まえて、原子力発電の技術というのも考えなくてはなりません。

私は新設の原子力発電所(原子核反応を使った)はもう作らずに、40年を経たら順次廃炉にしていくべきだと考えています。

ですから原子力発電所の運用技術よりも、今後は廃炉にかかる技術を磨いていかなくてはなりません。

きれいに片付けるためにどうするのか、その技術を磨いているのは数か国しかありません。

現在、乱立しているChinaは建設するだけで、その次を考えていません。

運用としての技術は磨いたとしても、耐用年数は40年程度なのですから、その後の廃炉の技術を磨かねばならないわけですが、そう考えると日本はすでに廃炉を含めての経験が数十年先んじているわけです。

そのアドバンテージを埋められないために行うことは、アナログな技術を磨いていくということにほかなりません。

日本はその未来を悲観するのではなく、基礎技術研究を徹底的に続けていき、他国に敵わない技術を蓄積していくことで工業的には生き残ることができます。

生き残るというより、堂々と生きている状況でしょう。

悲観するようなことはなく、他国の足音が聞こえない状況で、徹底的に競争をするべきです。