前提として、私はトランスジェンダーの権利と言うものに対して、必要以上の権利はありませんし、人として当たり前の権利しかないと思っています。
それは平たく言えば「誰でも一緒」だと考えています。
しかしながら、このところのLGBTの権利についての報道を見ると辟易してきます。
女性競技、しかも体力系競技にトランスジェンダー(男→女)がオリンピックに出場するとなっております。
それに対してベルギーの女性選手が
これに対し、ハバード選手と同じ女子87キロ超級のアナ・ファンベリンヘン選手(ベルギー)は、トランスジェンダーのコミュニティーは支持するとしつつ、受け入れに当たって「他者の犠牲」があってはならないと主張。「何人かの選手が五輪出場やメダル獲得といった人生を変える機会を失う」と訴えた。
と言っているわけですが、この発言が当たり前にならないというのは間違いなくおかしいことだと感じています。
もしどうしてもオリンピックに出たいのであれば、肉体としての男女の別を考えるべきであって、その上でトランスジェンダーで性転換をしたけれども出場したいというのでしたら、オリンピックにトランスジェンダー競技を設ければいいのではないかと感じるわけです。
特に問題となるのは性自認が女性で、女性となるための手術をされた方への対処ですが、生まれながらにしては男性の機能を持っていたわけですから、どうやっても女性と同じ扱いをすることに対して無理があります。
これは女性の権利への冒涜に他ならないとさえ感じるわけです。
それを良しとする意識他界系の連中に対しては、異常だとしか考えられません。
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トランスジェンダーのことであればさらにお風呂やトイレの問題がクローズアップされています。
性自認で性を決めてしまい、女性の心を持っていれば女風呂やトイレを利用すればいいなどという極論(だと感じます)が見られるわけですが、これは異常としか言えないでしょう。
性自認がどうであれ、女風呂にペニスを付けた女性が出入りすることは、どう考えても変なものでしかありません。
そして、世の中に女風呂に入りたいがために、女装をして声色を変えて入ろうとする変態(性自認も男)もいるわけで、これを区別することはできないわけですから、ペニスの有無は非常に大きなものとなります。
性自認だけで区別せよとなった場合に、こうしたことをする人はあくまでも「女性です」と言っておけばなんら問題がないこととなり、こういう人物による性犯罪をなくすることができなくなるわけです。
それをLGBT活動家という人たちは、「なんの問題もない」と言うのでしょうか。
私は友人にLGBTすべておりますが、彼らのパーソナリティも理解していますし、生き方も尊重しています。
そして、ひとつはっきりしているのは「トランスジェンダーはLGBとは異なる」ということです。
彼らが生きやすいような世の中と、必要以上の権利を求めることは全く違うことです。
必要以上の権利を求めることと認めることは、それ以外の人々に別の影響を与えることになります。
そのため、普通にしませんか?
言っておきます「大多数(男女)が普通(多数)」であって、それ以外を認めないのではなく、特に日本では今までも共生してきたというのに無理やり必要以上の権利を訴える、認める必要などありません。
特にマウントしたい活動家には嫌気がさします。