六月四日に思ふこと

毎年六月四日は、なにをどうやっても六四天安門事件(第一次天安門事件が1976年[四五天安門事件]にあるため区別します)を思い出す。

China共産党の最大級の悪事と言っていいでしょう。

虐殺はなかったとする側があまりに恣意的であるため、私は悪事だと考えているわけです。

なかったと言っている側は恣意的にビデオは編集されたと言っているのだが、少なくともわずかながら残っている映像からは発泡シーンがあったようであるし、全くなにもなかったなどということは考えられない。

また戦車が天安門広場に突入していないというが、タイトルの写真が有名であるが、すくなくとも進行してきたのは事実であろう。

旧社会主義国家の崩壊が実現されていようとしている中、Chinaにもその風が吹いていたのですが、人民解放軍は共産党の意思で自国の若者を少なからずも殺したのです。

若者の側も人民解放軍の兵士を殺した事実もあるだろうが、無血革命はそうとう難しく、それこそ改革派のメンバーの言葉には「血が流されなければ変われなかった」というものがあった。

このとき、China共産党は危機的状況にあったはずだったのだが、徹底した情報統制(外国メディア締め出し)と軍事力で民衆の、特に改革は自由主義者を取り締まり、ある者は監禁し、ある者は国外追放を行われた。(もちろん支援者による国外亡命をした者もいる)

そして「天安門外」での粛清がどれだけ行われたのかという部分にフォーカスがあたることは少ないが、そうした部分での共産党が行った粛清が話題になることもなく、「天安門広場では大虐殺はなかった」としながらも、事件の全容をすべて知るには材料が足りなさすぎる。

ただし、何かが行われ、死者がでたことは事実であり、そしてそれらを必死に今も隠し続けているChina共産党は、確実に隠したい事実があるのは間違いがない。

それは今も言論統制をしていることからもわかる。

また、チリの外交官の言葉では、少なくとも数百人は殺害されたとされているわけで、何もなかったというメディアをまるまる信じることはできない。

なぜなら「彼らは未だにChinaに居続け、『報道』することを許されているから」である。

実は日本政府はなんとこのChinaの味方をしている。

アルシュ・サミットが行われているのだが、その際に宇野宗佑総理は円借款を停止したが、三塚博外務大臣とともに「Chinaを孤立させない」などとサミットで主張している。

サミット前には対中制裁反対派の中曽根康弘、鈴木善幸、竹下登元総理と会談しているわけで、自由民主党の一部にChinaに味方する一味がいたのは間違いなく、この一件をみても中曾根康弘という人を信用しきれない原因になっている。

さらには翌年に海部俊樹内閣が円借款再開について述べ、1992年10月にChina共産党の要請を受けた宮沢内閣が悪夢の「天皇皇后両陛下の中国御訪問」を閣議決定して、実施されているのだ。

これら一覧の自由民主党総理総裁を間違いなく不審の目でいたため、私は未だに自由民主党を信用しきれないのである。

まあ、それ以上にChina共産党を信用できないのは当たり前なのだが、Chinaの人民というのは実利をとることが多く、現在でも片方では貧しい者がいようとも、都市生活者で共産党と仲良しであれば金持ちになっていて、文句さえ言わなければいい、自分がよければいいという人達が多いように感じてしまう。

よく日本に金持ちが信用ならないなんていう人がいるが、日本の金持ちは悪事に長けているなどとは言い難いが、Chinaでは金持ちになるためには共産党に魂を売っているといって過言ではない。

内面では共産党を批判したとしても、表面では支持しており、ばれた場合には粛清される・・・

それが30年間いまだに続いている状況だというのに、まだChinaを積極的に応援しようとする日本人、国会議員がいることに辟易する。

ブログをはじめた2004年からずっと述べていることであるが、東トルキスタン(新疆ウイグル)や西蔵(チベット)を軍事占領し、民族粛清までしているChinaをどうやっても支持などできようはずがない。

六月四日が来るとあらためてそう誓う自分がいる。

それはChinaが軍事占領をやめ、内蒙古や満州を手放したうえで、独裁をやめることがスタートだと考える。