8月6日に思ふこと

昭和20(1945)年8月6日、広島に原子爆弾が落とされ多大なる犠牲が出ました。

こんなことがあってはならないと考えるのは、ほとんどの人であろうと信じているわけですが、それは当然ながら私もそう考えるわけです。

しかし、現実には世界中に世界を何度も破壊できるほどの核兵器があるというのが実態です。

世界の核弾頭一覧 2016.6.1版 長崎大学核兵器廃絶センターより引用します。

国名退役・解体待等全保有数
ロシア
~2,740
~7,300
米国
~2,500
~7,000
フランス
~10
300
China
30
260
英国
0
215
イスラエル
0
80
パキスタン
0
~130
インド
0
100~120
北朝鮮
0
~10

ロシアと米国がその大半を持っていますが、日本を敵視している国に300発弱の核兵器があることに驚きを禁じえません。

そして、それが兵器として使われないのは、はっきりいえば米国の核の傘にあるからこそであるのは事実でしかありません。

核兵器は抑止力以外に現段階で利用することができないのは、一か所で使われた場合において、それが連鎖的に利用される、または自動的に利用されるなどが考えられ、世界を滅ぼすことになるからこそです。

ですから、危険を承知で保持している国家であればいいのですが、もし万が一世界なんざどうでもいいというようなテロリストや、国家を名乗る団体がでてきた場合に、使用されることによる危険性というのは飛躍的に広がります。

ですからその管理は徹底されるべきなのですが、それよりもまず数を減らしていきましょうというのが当たり前なのですが、残念ながら米国とロシアで取り決めた削減計画は、その通りに実行されていないのが事実です。

先ほど、米国の核の傘にあるからこそ守られているというのを書きましたが、もし日本が米国から離れ本当の意味で普通の国家として成立させようということになれば、300発に対抗するために核を保有しましょうという議論が出てくるのもやむを得ないというのもまた事実で、では日本が核兵器を持たないようにするには(& 他国の侵略を許さないようにするには)、米国の核の傘の下にいるのは現実的な措置だと考えられます。

極論として「核兵器を持つ or 持たない」というのは、日米安保条約が効果を持っている状況では不要だとして、日米安保を根本的に見直す、または効力を発揮しないという状況にするのであれば、その議論が必要になってくる可能性があります。

そして日本が米国から独立していないというのであれば、その議論は間違いなく必要であるとともに、現実としての国際社会の現状に照らし合わせれば、軍事力(この場合特に核兵器)が抑止力になっているというのが間違いなく現実です。

唯一の核兵器における被爆国である日本が、核兵器を世界的に使わせないということを発言するのであれば、そうした事実も踏まえたうえで発言せねば無責任ともなりかねないことを知らなければなりません。

発言のみで理想しか語らない人は、そういう現実を全く無視しているわけで、やはり現実を知ってこうした発言をするべきだと思いますし、その言葉に責任をとるべきだと考えます。