「日々思ふこと」カテゴリーアーカイブ

タカタへの非難と人命に思ふこと

タカタのエアバッグで、破裂した際の部品が人を怪我させるおそれがあるとして問題になっている。

なるほど、タカタは真摯に対応しより安全な製品への交換をしなければならないのはわかった。

ただし、間違ってはいけないのは、タカタのエアバッグがなければ、その人はどうなっていたのだろうかということ。

米国のこうした取り組みを見ていて思うのは、「対人間」となると過保護だと考えられる。

たとえば、マクドナルドのコーヒーを足にこぼして火傷をしたから損害賠償などとは、少し前の日本人なら考えられなかった。
(過去形にしたのは、日本もそうなりつつある)

つまり、そう訴える人たちというのは、自分が何かをして失敗したことはさておき、自分に起こった不幸をただ拡大するのだ。

「本来、人を守るはずのものが、人を傷つけた。だからタカタには…」
私には、事故を起こしたことを忘れ去った発言としか見えない。

もちろん、そうした安全性が確保できないのであれば、タカタはリコールをして安全性を担保した製品に交換することは必要だ。

だが、今の米国で起こっているヒステリーは、想像力が欠如した人たちの叫びのようにしか見えないのと、人命を商売にする弁護士と、政治家の餌としか考えられない。

このところ思ふこと

選挙戦が始まっているわりには、周囲の関心度が高くないと感じる。
そのため、私の周りにはよく考えて投票に行くようすすめている。

投票をすすめる振りをして、ある一定投票行動へ誘導するものが多いと辟易する。
反原発の連中は、北海道でこの冬電力需要が厳しいため、札幌の地下鉄の暖房を止めるという。
その他大手企業も暖房を控えるなどしているというのに、現実として利用可能な泊原発の再稼働は「感情的に」反対なんだそうだ。
事故が起こったら危ないなどというが、今まで大規模な事故は原発が稼働しはじめた50年で一回、しかも震災の時であり、古いタイプの原子核反応炉であることをこの人たちは考えようともしない。

戦争反対だから保守政党はやめようというが、保守だって戦争をしないための備えをしているだけのこと。
ただ無闇に反対している人たちは、支那が南沙諸島でしていること、チベットでしていること、東トルキスタンでしている軍事占領と民族浄化をなんと考えるのか。
支那の軍事は良くて、日本の軍備はダメという理由にはならない。

秘密情報保護はダメというが、政府のすべてを国民が知る必要はない。
必要なことは開示されるのだが、特定の役所や政治家が何らかの意図を持って隠そうとするなら、国民が声を上げればいいだけ。
不都合がなければ、彼らは開示するわけで、不都合なら必死に守ろうとするので叩けばよい。
自分が正しいと思うなら、法律を破って罪を受ける覚悟で開示すればよい。
その覚悟がないから、法案に反対するだけ。
つまりは考える力がないだけ。

今の日本が独裁だという人がいる。
そういう発言ができることこそ「言論の自由が保証」されているわけで、どこに独裁とやらが存在するのかが理解できない。

集団的自衛権には反対という人がいる。
その同じ口で「米国が守ってくれるとは限らない」という。
矛盾ということを知らないのか?
集団的自衛権を発動するにも、文民による統制がある。
まして国連PKOで駐留をする際に、隣の別の国のキャンプが攻撃されていても、自衛隊は人が殺されるのを黙って見ていなければならない。
日頃、人道だ何だという連中が、都合によって解釈を変えるのはなぜだ?
集団的自衛権があっても、例え同盟国に大義がないのであれば、日本はつきあう必要はない。
それは日本に対しての同盟国も同じこと。
だから米国が必死で日本と支那に「仲良くしてよ」という。

想像力が欠落した人たちに言いたいのは、自分の頭で考えているか?ということ。
人の話を受け売りにしていないか?ということ。
本当に日本国と日本人を最優先に考えているか?ということ。

他国となかよくしたいのはやまやまだが、まずは自分たちの足下じゃないのか?

あれ?そういえば、そういう考えられない奴のほとんどは、今書いたことに反対しているかもね(笑)

今日のニュースより – 北海道企業が窮地 泊原発再稼働が遠のき電気料金が異常な値上がり – ライブドアニュース

http://news.livedoor.com/lite/article_detail/9523555/

ここに電源開発における反原発派の矛盾がはっきりとみえる。

電気料金はあげるな、だが原発は再稼働させないというのは、まやかしでしかないのだということをまざまざと見せてくれる。

ここに出てくる函館市長はきれいごとのみで、現実手段を考えていない。

サヨクの多い赤い北の大地は、他にも馬鹿なところを見せてくれる。

札幌の市営地下鉄が冬の暖房を停止するというのだ。
これが電力会社を圧迫するとともに、地下鉄利用者にただ迷惑をかけることとなる。

札幌の場合は、知事も市長も馬鹿だから、函館市長と同様に現実を見ることができない。

北海道での生活が大変なのは、生まれ故郷であるからよくわかるが、知恵もなしに中央に泣いてすがっても意味はない。
すぐさま電力を確保するための手段は一つしかないのだ。

その上で現実策を講じる必要があるというのに「気持ち」「感情」だけで、経済を破壊していることに気が付かないのだろうか。

サヨクの嫌う戦時中の「欲しがりません勝つまでは」とでもやっているのか?

現実を見ろ。

ちなみに、建設中の原子核反応炉は、ほぼできあがっているものをのぞき、すべて計画は中止すべきだと思っている。

ただ、稼働可能な原発を動かすことは、現実として必要だと考える。

だまっていても、37年くらい後にはすべてが止まることになるのだから。

解散総選挙に思ふこと

なるほど、今回の解散総選挙は公約として平成27年10月の消費増税を行わず、平成29年にずらすための選挙だということには理解はした。
だが、景気条項というのがあったはずで、東北復興と景気浮揚が条件だったため、前者の理由は半減するのではないかと思っている。

そして今なお、解散総選挙を今行うことの理由に納得がいかない。

ただし、野党もだらしがない。
みんなの党は解党が既定路線になり、民主党なり次世代の党に流れるのだろうとは思うが、選挙互助会であったことがばればれである。
結いの党とやらもあるが、結局は党内の金と権力の争いであって、なんともつまらない。

そしてここに至っても民主党の情けなさは顕著で、海江田代表はただただ反対を叫ぶのみで何をしたいのかが全く見えてこない。

次世代の党もまた情けない。
まだ石原氏、平沼氏の求心力にすがるのみで、党としての魅力も個人の魅力も残念ながらない。
山田氏が唯一気張っているようにはみえるが、彼も若いとは言い難い。

維新は小沢氏がいることで、これまた選挙のための政党としか見えないし、明らかにその方向性は決して保守的ばかりとは言い難い。

社民党はその存在がまだあるだけで奇跡だし、共産党は自らを省みることがないため私の中では論外。
共産党は総括をして一度解散を経て、世に問うた方がまだ良いとさえ思っている。
ただし、共産主義全面で民主主義を言うのはやめていただきたいが。

兎にも角にも選挙であるが、これまた投票率が大したことがないのだろうと思うのでよけいに鬱になる。
80%を超えるようなら国民が目覚めたかとも思うが、相変わらずの半数程度かと思うと残念でならない。

それまでに、正しい判断ができる人を少しでも増やしておきたい。