マスコミの愚

めずらしくまた「嵐」の話である。

スポーツニッポン記者である桑原なる人物が「無責任じゃないかという指摘への思いは」などという質問を投げかけた。

 ――無責任じゃないかという指摘への思いは

 櫻井「我々からの誠意はおよそ2年近く、感謝を伝えていく期間を設定したこと。それが我々の誠意です。そのパフォーマンスを持って無責任かどうかを判断していただければと思います」

わざわざ二年間の感謝の思いをコンサートなどを通じて行うのであるし、たとえグループが解散しようともそれはグループまたは個人の自由であり、何が無責任なのか全く理解ができない。

これが公人であり、いきなり何もかも放り出したというのであれば「無責任」という議論にもなろうが、一芸能人、一芸能グループが自分たちの意思で何をしようと、法に触れないことであればまったく構いはしないであろう。

本当にマスコミの質が問われるわけだが、これがスポーツ紙だから云々などではない。

東京新聞の記者であったり、朝日新聞や毎日新聞の編集委員はツイッターで馬鹿みたく毎度反日、反政府の書き込みを必死で行っている。

議論は必要と思うが、最初から政府には反対というだけのスタンスでは、まともな報道などできるはずもなく、それを社を代表とする顔などとするものだから、彼らも当然ながら調子に乗っているのであろう。

「嵐」について個人的に思うことだが、悪いがSMAPを越えることはできなかったと思うため、ここまで大きなニュースにする必要があるのだろうかというのが少々疑問である。

もちろん芸能ジャンルにおける大きなニュースではあると思うが、SMAP解散以上のインパクトはなかったというのが本音である。

ファンのひいき目はわかるが、まあ・・・という感じ。

クローズの難しさ

アイドルグループである「嵐」の2020年大晦日での活動休止は、私のようなものにとっても驚きを感じられるものでした。

日頃特にアイドルに興味がないものの、役者として活躍している二宮くん、松本くん、キャスターとして活躍している櫻井くんなどなど、目にする機会が多い(松本くんに至っては娘たちが大ファンですし)ため、その動向を知ることは多いわけです。

その彼らが二年間の猶予をもって活動休止を宣言したのは、同じくアイドルグループであった「SMAP」とは対照的だと感じました。

SMAPは結果として最終的に空中分解のまま、ファンを置き去りにしてなくなってしまった感じがするわけで、SMAPの中の人達のエゴが結局そうさせてしまいました。

特に私はSMAPという存在が好きでしたので(大ファンというわけではありませんが)、それをたいへん残念に思っています。

しかし、嵐は活動休止前に二年間ファンへのお別れを(一次的なのかは不明ですが)することができるわけです。

それぞれに思うことはあったでしょうが、ピンでもやっていくことのできる5人ですから、こうした結論を出したのだと理解していますし、商売として嵐というグループでの活動をすることが彼らにとって今までは有用なことであったわけですが、もうおじさんになろうとしている彼らに、それぞれエゴが芽生えても仕方がないことだと思います。

そうしたソフトランディングにならなかたのがSMAPであり、嵐とは対極的に感じるわけです。

仕事でもそうなのですが、どうやってソフトランディングさせるのかというのが重要になります。

会社を変わる時、会社をたたむ時、引退をするので引き継ぐ時などさまざまなシーンでどういうランディングをするのかというのが、その人の仕事の評価になることもあります。

終わらせ方がうまい人は比較的評価が高くなるわけですが、それは「いやな思いを周りにさせないようにする」という努力をしたことにつながるのだと感じます。

いきなり終わりが来た時に、どう終わらせることができたのかというので、下手をするとその人のその後の評価が定着してしまいかねません。

私も先日、1996年来お付き合いのあった会社が、別の会社の子会社になるということで、それまでシステム的にサポートしていたものを、終了することができました。

ソフトランディングをするために、どのタイミングでとはかっていたわけですが、私個人は2020年を目途にサポートの領域を徐々に減らしていき、ソフトウエアを含めた環境を一般的なものに置き換えて、どこの会社であろうとサポートが可能な形で引継ぎをしようと考えていました。

しかしながら、先方の会社が今後の会社の在り方を考えた時に、単独では生き残ることができないということで、会社を買ってくれるところに売ったのです。

そのため、今後大規模改修が必要なシステム等については、親会社が担当することとなったため、私は必然的に離れるという形になりましたが、残っていたハードウエアのサポートを先日終わらすことができ、23年のお付き合いを終了することとなったのです。

その際、先方の会社の方々からいろいろあったけれどお疲れ様という言葉をいただいた時に、ああやっとソフトランディングができたのだなとほっとしました。

今後も個人的には担当の方と話をする機会もあると思いますが、一旦は会社対会社(私は5年前に会社ではなくなっていますが)の関係をなんとか終わらせることができました。

今回の「嵐」の終わらせ方というのも、ソフトランディングとしてはよいものだと感じることができたのは、その過程を明確にしたことだと感じます。

本当かどうか真偽は不明かもしれませんが、二年前の6月にリーダーからの申し出があり、昨年の6月に2020年末までの活動と決めたという非常に難しい決断だと感じさせるものがありました。

当然彼らにとっては基盤が「嵐」であったわけですから、それがなくなるのは苦悩があったと思います。

しかし、自分たちで選んだソフトランディングは2年間のお別れ期間を設けたことで、いきなり断ち切られたという感覚はなく、ファンに惜しまれながら嵐というグループの幕引きをすることができるように感じるのです。

もちろんこの方向が今後彼らの活動に良いものとなることを信じているわけですが、SMAPのような仲違いという形で終わらなかったことを評価したいと思います。

役所や社会保険事務所などの公的な場所は土日もあけるべし

私の父は長年北海道の役人として生きてきた。

父の言葉で一番覚えているのは「公共は最大のサービス業だ」というものだ。

その父は北海道のため、身を粉にして働いていたのをよく覚えているし、道庁でも知事や議員ともおかしいことがあれば喧嘩をしている姿をあちらこちらから聞いたものだ。

議会が始まると顔をしばらくみないなんて言うのは当たり前だったし、母に聞くと「帰ってきたのが3時で出ていったのが4時」なんてのもざらだった。

しかし、父は北海道のため必死だったからこそそこまでやっていたのだと今でも理解をしている。

では実際の役所の窓口はというと
・9時~17時半まで
・土日祝はお休み
・延長営業も19時まで(週1日)
なんていうレベルのもので、普通に月~金で仕事をしている人たちは「仕事を休んで」窓口へいかなければならない。

年金事務所もそうだし、社会保険事務所もそうである。

いやいや、公務員も休む必要があるでしょう、なんていうのであれば、民間だってシフトで勤務しているところなんてのはざらにあるのだから、個々人がシフトによって休日が変化する方法をとればいいだけのこと。

多くの人が土日休んでいたとしたって、実際に街に出ることがあれば働いている人はやまほどいるわけで、特にサービス業なんてのは休みはシフトによってきまってしまうのは当たり前のことだ。

民間出身の市長なんかが出たところは、窓口も「一時的に」休みの日でもあいたこともあるようだが、職員労働組合が強固に土日祝休みと主張されて負けてしまうようだが、結果としてそれが一番よろしくない。

職員労働組合なんてのはサービスを得る側からしたらただのやっかいな組織でしかない。

そもそも、公共を選んだのだからそこに準じる覚悟をしろと言いたい。

わが父を思い出しながら、そう感じた。

ロシアの非常識さは世界から呆れられている

昨今、韓国のレーダー照射や徴用工問題で国際的な条約を無視したり、他国を威嚇したりすることが注目されているが、世界大戦及び太平洋戦争以降その元祖といってもいいのが「ソビエト」=「ロシア」という非常識国家である。

昭和16年に日ソ中立条約が締結されている。
それには
・相互不可侵
・第三国との争いの場合の中立
・満州国とモンゴル人民共和国の保全と不可侵
が定められていた。

また期間は5年間であり、これを廃棄するにはその満期1年前「までに」一方の国が廃棄を通告しなければならないとなっていた。
※ここ重要!

ソビエトが対日参戦をしたのは1945年8月9日であり、1946年まで有効である日ソ中立条約を破っていることは明白。

また戦闘が降伏文書調印までの1945年9月2日までだから占領は問題ないとしているが、ソビエトが戦闘を行っていたのは1945年9月5日までであり、樺太、千島、北方領土を占領してから終結したのは明らかになっている。

要するに
1. 日ソ中立条約発効中である1945年8月9日より不可侵を破り参戦している
2. 降伏文書調印後においても戦闘を継続している
ということで、ソビエトは非常識なことをしたのだというそしりを免れないのだ。

またソビエトは民間人への攻撃も行っており、1945年8月22日には樺太からの引き揚げ船(三隻)を攻撃し1708名もの民間人を殺害している。

ちなみにこの船には私の祖母、母、叔父が乗船していたが、奇跡的に助かっているため19年と1日後に私はこの世に生を受けることができた。

さらには捕虜を不当にとどめたシベリア抑留もある。

ロシアは「不当にとどめていない」という姿勢をとっているが、なにをどうすれば複数年以上50万人以上の捕虜を強制労働させていたことが不当にとどめていないとなるのかは全く理解ができない。

ちなみに、母方の祖父はシベリアに抑留され、大平正芳氏が外務大臣の時に銀の盾が送られたが、こんなものなんの足しにもならないと言っていたのを覚えている。

また、従兄弟には当時の苦労などを聞いたものはないだろうが、祖父は私に当時のことをぽつりぽつりと話をしてくれていた。

そのような非常識国家であるソビエトを、ロシアは否定することなく現在まで至っていることがロシアの非常識さを示しているといえる。

我慢を重ねたとしても、共同宣言にある「二島返還後の平和条約締結」はのんだとしても、それ以上の譲歩などできないし、二島返還をしてもロシアの法律が優先など、まったくお話にもならないことだ。

このような国と平和条約など締結する必要などない。

その意味において、先日の外務相会談で共同宣言をせず、物別れに終わったのは評価できるし、日和らなかったことはようやく日本がロシアへ立場の表明ができたと考えている。

そもそもロシアを成熟した国家などと思ってはいけない。

ソビエトの幻想を背負ったままで、結局強力なリーダーを求めた結果がプーチンであり、その間にも他国への侵攻、経済封鎖、米国との不仲、Chinaとの争いなどさまざまな問題を起こしている。

戦争に負けることがこれほどつらいことはないという例としてソビエト=ロシアの態度でよくわかるわけであるが、彼らは北海道までをも占領しようとしていたのは明白であり、この国家が最初の二点を認めない限り平和条約など全く無意味のものであるといえる。

南樺太及び千島列島についてはそれぞれ争った経緯があるため、戦争における結果に従う部分はあるが、北方四島は日本の固有の領土であり、あくまでもソビエトが火事場泥棒である対日参戦の後に強奪した土地である。

これを取り返せというのは日本として、日本人として当然のことであるし、これが最低限であるということを知るべきだと考える。

町田総合高校にみる未成年の暴走

町田総合高校で「教師の暴力」と最初ニュースが報じたようなのであるが、冷静に公開されている動画などを判断するにつけ、教師が生徒を殴ったことはいけないものの、生徒「達」の大人を舐め切った姿勢に徹底的にお仕置きをすべしと考えている。

子供たちに学んでほしいのはたったひとつ「大人をなめるな」ということだけ。

過去にある場所で私に対して「いきった」(って表現で正しいんだっけ?)高校生がいたが、まあ名前の特定は簡単だったし、注意喚起をするにはたいへん楽だったのでそれだけで終わらせた。

まあそれで学ばなかったとしたなら、勝手に落ちていけばいいと思っているため、私がした警告は無駄だったと残念な結果になるだけなのだが、そのあたりを気を付けて過ごしていってくれれば、大人に対して間違った態度をとらないであろうと感じている。

果たして彼はその後どうしているのだろう?

子供が「大人なんかちょろい」なんて思っていたら大間違いだし、本気で怒らせたら立場などによっては社会的抹殺だってしてしまうような人だっているわけだ。

子供にはできない社会的抹殺って言葉が、実は大人だと本気で出てきたりするから恐ろしい。

そういう恐さを理解してくれればよかったのだが、残念ながらこうした行動をする子供たちの親は、そうしたことを学ばせてあげられなかったのだとなんとも残念な気持ちになる。

子供が手に負えなくてというとしたなら、必死で体をもってしてでも止められなかった責任だし、放置をしたのだとしたらそれだけで子供にとってはよいことではない。

やり方は別として、わが父は私を暴力的に止めていたがおかげで「大人ってのは本気になったら恐い」ってのを身に染みてわかっていた。

だから子供の時も、大人になってからも大人をなめるなんてことをしなかった。

そうしたことを本来教えるのはやはり親でしかないのであるが、彼らの親がどのように育てたのかは興味がある。

結果として彼らの今後がどうなるかというのは厳しいことになりそうである(なにせネットでは本名が出回っている)し、彼らを擁護する偽善者である校長は、学校経営者として部下を守らない情けない上司だとそう思う。