『アジアのエリートは、なぜ日本企業で働きたくないのか?』って記事をみたので

アジアのエリートは、なぜ日本企業で働きたくないのか?グローバル・ビジネスリーダーの育成と活用【第5回】(Diamond Harbard Business Online)

日本企業の人気が落ちているそうで、その理由について考えてみた。

人気がない理由は以下で、日本企業に働いたことがある人ほど、より働きたくないと答えているそうだ。

・給与や昇進が年齢や勤続年数で決まる。
→これには賛成。マネジメント能力で昇進がきまるべきだし、給与は職能であるべきだと思っている。ただし、それをどう数値化するのかというのはどこの国でも悩むところなんですがね。
・規則が多すぎる。
→これも多いと感じますね。しかし、海外企業の場合は就業に関しての契約が膨大で、そちらと比較した場合実は日本企業は少ないんじゃないの?と感じますよ。
・キャリアパスが見えない。
→これは一番目とかぶっていることで、結局サラリーマンとしては昇進と昇給しか興味がないわけですから、それをはっきりした形で道をつくってあげなければならないでしょう。
・ローカルスタッフを尊重しない。
→そんなことはない会社をいくつかしっています。
・マネジメントポジションが日本人で占められる。
→これまたそんなことはない会社をいくつかしっています。そして海外企業がローカルスタッフをそんなに尊重するかと言えば、そこまで尊重されていませんが昇進などに関してうまくやっているなという印象です。
・現場での改善活動を行っても、それが当然とされ、評価してくれない。
→これに関しては同じ考え方で、改善することをもっと評価する必要があると感じます。
・職場でのプレッシャーが大きい。
→なにがプレッシャーなの???とサラリーマンではない私が言ってみる(苦笑)
・時間管理が厳しい。
→日本の会社の時間については厳しいかもしれませんが、意外にホワイトカラーの現場はそうでもなかったりするので笑ってしまいます。現場レベルで時間管理が厳しいのは、実はドイツの工場なんかもそうだったりするわけで、それはそれぞれの国の考え方によるものだと思っています。
・少しのミスも許されない。
→これに関しては当てはまる部分があると思いますが、もう少し失敗に寛容になってもいいとは思います。
・残業、長時間労働が評価され、効率的な働き方が評価されない。
→これに関しては全面的に賛成。定時に帰ってきちんと仕事をこなしているのに、なんで白い目で見られるのかわかりません。ある現場で「なぜ定時に帰ろうとするのですか?」と聞かれ「当たり前でしょ。まして全部納期通り以上にやっているのに何の問題があるの?」と聞き返してクビになったことがあります(笑)まあ、そんなところは仕事をしたくありませんがね。
・仕事が多い割に給与が低い。
→どうなんでしょうね・・・ただし、最低給与をきちんと保証されるし、仕事があまりできなくとも正社員であれば身分を保証されるのでなんとも言えないでしょう。上昇志向の人であれば、そんなところにはいないリスクの高い職場がいいでしょうね。
・日本人はいつも日本式のやり方を押し付ける。
→これも一部のような気がするわけです。

ってことで、これをみて思ったのはいわゆる「外資」のハイリスク・ハイリターン構造を好んでいるというのが見て取れるわけですが、うまくいけばハッピーなあの世界も、いちど落ちてしまうととてつもなく深い泥沼だということを理解した方がいいでしょう。

そして、このアンケートに回答したであろう人達は、上昇志向の人達であって、日本人のように「平均がいい」という人たちではないというところに気が付きます。
ということは、自分の能力を高いと思っているわけですからハイリスク・ハイリターンでいいのです。

いろいろなところで仕事をさせてもらって、某自動車会社の東南アジア系ローカルスタッフの優秀さとその肩書き(当然マネージャークラスです)に驚くこともありますし、素晴らしい人たちを多く知っていますが、その反面というか工場のローカルスタッフは目を離すとサボろうとするという二極化状態であるのもまた事実です。

日本人のようにあるいみ平均的なものを持っている状態ではないため、当然ながら給与格差は広がりますし、それは日本以上だということです。

昨今、日本の一部で貧困が話題になっているようですが、日本の貧困は彼らの比では全くありませんし、日本の場合はある意味努力で何とかなるケースが多く見られます。
当然、救わなければならない家庭などもあるわけですが、残念ながらその貧困の責任が自分にあるということを理解したとしても、その考えを努力に結び付けられない人もいます。

・・・と、最後は国内の方になってしまいました^^;

つい最近知った驚愕の事実

まちがいなく名曲の一つである Lenny Kravitz の It Ain’t Over ‘Til it Over です。

 

 

・・・・・が・・・・・私は最近まで誰の曲か知らないでいたのです。

そして、先日聞いていたラジオでこの曲が流れ、「レニー・クラビッツの・・・」と聞き驚いた次第です。

そりゃそうですよ。

私の中での Lenny Kravitz といえばこれです!

Are You Gonna Go My Way

このイメージなものですから、It Ain’t・・・が結びつかなかったわけです(苦笑)

でもさあ・・・当時 Tokio Hot 100 聞きまくっていたはずなのに、誰の曲かすっかり抜けていたとは^^;

細かいことが気になる^^;

なんで満員電車のドア付近で、降りないで頑張っちゃう人がいるんだろう。

なんで満員電車だというのに、ゲームに必死で自分の手の置き場を相手を押してでも確保しようとする人がいるんだろう。

なんで満員電車だというのに、デイバックなどを背中にしょったまま他人の迷惑を気にせずグイグイ押してくる人がいるんだろう。

なんで満員電車だというのに、自分のバッグがずれるのを気にして蹴ってでも場所を確保する人がいるんだろう。

なんで満員電車だというのに、他人の背中に雑誌や携帯を当てて読んでも気にしない人がいるんだろう。

ほんの少し周りの人を思いやればトラブルにもならないでしょうに、自分だけということがこういうつまらないことになってしまう。

ほんの少し、ほんの少し・・・それだけでいいのにね。

3月10日に思ふこと

1945-3-10-2

昭和20年3月10日0時7分、東京で空襲が始まった。

実に300機以上もの戦闘機が、東京に雨あられのような焼夷弾を降り注いだ。

そして8万人以上の直接の死者を出した・・・

今では、たった一回の民間人への誤爆で大問題となるのに、民間人をターゲットにした虐殺であるにもかかわらず、米国は謝ることさえしない。

それは数十万人を虐殺した、広島と長崎における原子爆弾投下に対しても、自分たちは正義だという名の下に正当化されている。

何年前だったろうか、エノラゲイの搭乗員だったかがテレビ朝日のニュースワイドに出て、リメンバーパールハーバーなる言葉で日本人に対しての差別的な発言を続けたが、彼らはこうした大量虐殺に対して正義を前面に出して反省する様子はない。

これらを繰り返してはならないのは当たり前で、それを阻止するためにはどうするか、意見は分かれてしまうのはやむを得ない。

勝つことのできる国を作る?なんてのは私は理解できない。

他国に勝っても負けてもそれぞれ遺恨は残るからだ。

だが、負けない国にするという備えは必要だと考えている。

いわゆる中国の軍拡に対してアライアンスを組んで守ることも必要であるし、自国の防衛をするのも当然のことと考える。

日本国民の中に「殺させない」という言葉で防衛などに対する軍備に対して反論を述べるものがいるが、それ以前に「殺されない」という予防をして初めて「人を殺す場所にさせない」ということができるのだと申し上げたい。

今の連合国による統治への協力にしても、日本は戦闘地域ではなくなったところに行っている。

私はそれでいいと思っているし、それが国際貢献の一つであると考える。

だからこそ米国との対等同盟を理解し、集団的自衛権を認める必要がある。

ただし、米国は虐殺の歴史を持っている国であるし、今のシリアの前の湾岸戦争時においても、彼らのいう正義はあたらないと感じているので、彼らが「一緒に攻め込もうぜ」というのにはきっぱりNoをつきつけ、しかし彼らが日本近海等において日本にも敵国にあたるであろう国家に無条件に攻撃された場合には助けるために動くということをし、まずは「殺させない」を徹底するべきだと考える。

憲法第九条が日本を守ってきたわけではない。

米国に保護されてきたから戦いにでる必要がなかっただけの話だ。

米軍基地がなかったとしたなら、米国の守りがなかったとしたなら、日本は日本たることはなかったと考える。

個人的には自主防衛ができなければならないと考えているが、残念ながら戦後70年を過ぎてもその議論さえさせないようにしようという情けない人たちがいる。

自分の身は自分で守るのが普通だし、それが当たり前であると思う。

一日も早く、日本が普通の国として成り立つよう、みんなが議論をし行動をするべきだと思う。

3月11日と10日のエントリーを逆にしてみたのは、わざとです。

3月10日という私が生まれる前にあったことも、私が5年前に経験したこともどちらも重要でかつ残念なことです。

3月11日が近づいてきました(4)

3月11日が近づいてきました(3)からの続きです。

朝は10時頃まで寝ていました。

昨夜使ったガソリンは普段たった30分の距離で1/4程度でしたので、あの渋滞はどれほど無駄な消費だったのかと思いますが、妻の女性が多い職場の自宅への期間を考えれば仕方がなかったと思っています。

そして、土曜日でしたがサッカースクールも地震の影響でお休みすることとし、布団の上でうだうだやっていたところ、携帯電話がなりました。

電話の主は私の弟です。

「兄貴・・・今日暇?(笑)」

「いやあ、暇っちゃ暇だけれどどうした?」

と、理由を聞いてみると仕事場の大田区から自宅のある八千代台まで帰ろうと思ったのだが電車が止まってしまったこと、止まった場所が我が家の最寄駅である青砥であること、そして電車の運行復旧の見込みがないことで要は家まで送ってほしいとのことだった。

まあ時間がありあまる状況でしたし、子供たちには母親がいるしということで、男二人でドライブがてら葛飾から八千代市まで走ったのです。

考えてみれば弟と二人で二時間以上サシで話すこともなかったため新鮮な時間を味わいました。

昨日のすさまじい混雑よりはましになったとはいえ、やはり市川橋は混んでいました。

昨夜はこんなものではなかったというと、彼は仕事場で泊まったことなどを話してくれました。

空港では動けなくなった人が大勢いて一晩を過ごしたこと、仕事場で結局安全のために泊まったことなど、いろいろと聞くことができました。

ワンセグをつけながら車を走らせていましたが、あの津波には二人とも声はでませんでした。

今自分が生きていること、生かせてもらっていること、そういうものが半世紀近く生きているとわかってくるのですが、震災で若い命が多くなくなってしまったことなどなど、そういう話もしながら彼の自宅に向かっていました。

そういえば、彼の子供は二人とも都内の学校に通っていて、一人は我が家の近くだったのでもし動くことができなければ我が家に迎えようと思っていたのですが、早い時間に既に自宅にいたことがわかりことなきを得ました。

もう一人は高校生の男子でしたので、工藤家の男子ならなんとでも生き残れと思っていたので放置でしたが(笑)

そんなこんなで彼の家についたところ、ほっとした顔の彼の奥さんの顔を見ることができ、うれしかったことを覚えています。

こちらもいつもは60分かからないところを二時間半ほどかかりましたので、まだ混雑している状況でしたが初日よりははるかにましという感じでしたでしょうか。

帰りはもう少し時間がかからなかったことを覚えています。

それからの一週間はたいへんでした。

福島第一原子力発電所の事故が起こり、まず飲み水確保と思い実家にペットボトルをケースで送ってもらったりしたのですが、買った翌日に売り切れてしまっているなんてこともありましたし、近くのコンビニエンスストアやスーパーマーケットではミネラルウオーターがすべて売り切れていました。

拙宅には事故の二日後には届いていて、近所の赤ちゃんのいる家庭にも数本程度は分けられる状況でしたので、ミルク用にと軟水であるミネラルウオーターを持って行ったこともありました。

ガソリンもスタンドには大行列ができていましたが、私は二日目までに半分と少しガソリンがタンクに残っていた状態で、気持ちに余裕がありましたし、もし何か福島でそれ以上の事故があった場合にまずは西に避難するだけのガソリンは残しておこうと思っていたので心は余裕がありました。

それと父が原子力の研究者であったことも幸いしました。

私も理系でしたがそれ以上に専門家である父の言葉は孫を心配する祖父であり、正確な情報と知識で千葉や東京の危険度を測っていたようです。

余談ですが後に私が「泊原発ってのは立地としてよくできたところにあるもんだね」と話をしたところ、札幌から遠すぎずも札幌に影響を与えにくい場所ということで選んだ土地だと知り納得をしました。

福島第一の事故でそれまでの理系の知識をフル稼働した上に、さらに学んで知恵をつけ、父からのアドバイスを受けたおかげで、冷静に東京の事故後を考え、発言することができたのはこういうことがあったからです。

その後、子供を守る活動だけに専念するため「東京連合こども守る会」に仲間で参加をしたり「守る会@葛飾(葛飾区の子供達を放射能の被害から守る会)」などというので活動をし、ニュースで紹介されたこともありました。

今でもそのころのことは鮮明に覚えていますが、あれほど真剣に動いたのはPTA以来だったでしょうか。

震災から明日で5年が経とうとしています。

被害の大きかったところではまだ復興とは言えない状況ですが、各個人がそれぞれ考え、動き、努力することで必ず解決できることだと思っています。

支援だけが必要ではなく、人の心の問題で合ったりもしますが、自分を信じて復興をめざしていきましょう。