小中学校で先生の業務に影響があるので、部活をやるとたいへんだからやらないように法制化してくれという意見がでているそうです。
元高校教師で、バレーボール部の顧問兼監督だった父を見ているので、なんでそういう意見がでるのかな?と不思議になります。
つまりは、現行の学校制度はそういうものがあって成り立っていることを知って教師になったのではないかと感じるわけです。
父の言葉を借りれば、「教師は仕事じゃなく生き様だ。職業として捉えたら公教育は成り立たない。」というもので、私はこれに強く賛同しています。
例えば、機会平等の意味も含まれているわけで、勉強ばかりを取りざたしていますが、芸術やスポーツも子供たちには必要です。
学校に部活がなければクラブチームや教室に通えばいいじゃないかという意見も聞こえてきますが、公教育の部活動でかかる費用でそうしたクラブチームや教室に通うことはできません。
それではまた、ここに教育にかかる機会平等が失われてしまいます。
じゃあ、部活に外部指導員を呼べばいいじゃないかという方もいらっしゃるでしょうが、指導のプロを安く呼ぼうと考えるから軽く言えるのです。
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すこし教育から逸れますが、私はプロとしてサッカーを教える側にいますので、外部指導員制度に一言あります。
プロを格安で呼ぶことばかりを考えないでいただきたいと思っています。
そして、アマチュアで成り立っているものと、プロフェッショナルで行われるものを区別していただきたいと考えます。
例えば、学習塾や音楽教室、絵画教室ではプロの先生に教えてもらいます。
本気でゴルフに取り組もうと思ったら、レッスンプロに習うはずです。
しかし、特にサッカーと野球にアマチュアの無償ボランティアが美徳という風潮があります。
私はこの風潮に異を唱えています。
無償のボランティアでコーチをされている方は尊重します。
すべてがプロフェッショナルのコーチでまかなえないからこそ無償ボランティアのコーチのクラブがあって成り立っているのは理解しています。
しかしながら誤解を恐れず言えば、公教育と同様で突き抜けてできる選手などの受け皿にはなりにくいのが事実です。
中学校以上で、無償ボランティアのチームからナショナルトレセンのようなところにでる選手をこのところ見ていません。
なぜなら、プロフェッショナルのコーチのいるところに、その保護者や周りの人が送ろうとするからです。
それは何かといわれれば、責任の違い、つまり極端な言い方をすれば結果責任の違いだと理解しています。
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東京下町出身のプロ野球選手とJリーガーを例に挙げますが、始めたときは無償ボランティアのチーム(会費は数千円)で、レベルを上げるために町クラブに入り(会費が一万+遠征費)、全国大会出場レベルの高校に進学し、そこからプロフェッショナルの選手として活動しています。
レベルを上げた段階で指導者の質も、お金も断然変わってきています。
これが事実です。
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そうしたより上へ・・・と進む前の、入り口としての部活動というのがあるべきだと思いますし、それは公教育の中で「教育機会の平等」として担保されるべきだと考えています。
ですから、もし教員が単なる仕事であり部活動をしないような法制化をされるようであるならば、それに代替する部活動の在り方を考えなければならないわけで、そこには現実として今以上のお金がかかるのだという理解が必要になります。
そしてでき得ればプロフェッショナルが指導をするという形が間違いなく望ましいと考えます。
プロフェッショナルとは・・・あるCMの言葉を借りれば「結果にコミットできる」人ということです。