何だろう、くだらない教育改革とやらと、甘い親のおかげでこういう子供が育ったのだと思う。
上昇志向もなく、ただ黙ってでも生きていける、それこそ1日1$で生きていかなければならない人達から見ればはるかに甘えられる日本という社会だからできること。
人のために生きることを考えもせず、自己の都合だけを優先させた結果がこれだ。
私は厳しいかもしれないが、生きる価値がない奴だと思ってしまう。
私が保護者として学校と向き合っていた時期、たとえ他人の子供であろうと真剣に接してきたつもりだ。
だからこそ彼らが大人になっても、また新しい関係ができ、大人としてのつきあいができるようになった。
彼らは私が優しいけれども「恐いおじさん」であるのを知っているが、そこになにがあるかを感じてくれているからこそ、これからの自分がなにをなすべきかを真剣に考えている。
だからこそ私も彼らを応援するんだけれどね。
親の力が足りないと思う家庭が増えたなら、こんなお節介おやじが出張ったっていいじゃない。
疎まれても、そいつが後で真剣に生きる奴になりゃいいじゃない。
そう思う。