タカタへの非難と人命に思ふこと

タカタのエアバッグで、破裂した際の部品が人を怪我させるおそれがあるとして問題になっている。

なるほど、タカタは真摯に対応しより安全な製品への交換をしなければならないのはわかった。

ただし、間違ってはいけないのは、タカタのエアバッグがなければ、その人はどうなっていたのだろうかということ。

米国のこうした取り組みを見ていて思うのは、「対人間」となると過保護だと考えられる。

たとえば、マクドナルドのコーヒーを足にこぼして火傷をしたから損害賠償などとは、少し前の日本人なら考えられなかった。
(過去形にしたのは、日本もそうなりつつある)

つまり、そう訴える人たちというのは、自分が何かをして失敗したことはさておき、自分に起こった不幸をただ拡大するのだ。

「本来、人を守るはずのものが、人を傷つけた。だからタカタには…」
私には、事故を起こしたことを忘れ去った発言としか見えない。

もちろん、そうした安全性が確保できないのであれば、タカタはリコールをして安全性を担保した製品に交換することは必要だ。

だが、今の米国で起こっているヒステリーは、想像力が欠如した人たちの叫びのようにしか見えないのと、人命を商売にする弁護士と、政治家の餌としか考えられない。