たまにスポーツ選手で海外に移籍したとか、移籍したいとかいう人の中に、「麺をすすらない」という人がいます。
私はパスタなど西洋の麺においてはその通りすすりませんが、ラーメンや蕎麦、うどん、素麺などなど、和麺や中華麺についてはすすって食べます。
それはそれぞれの食べ物についての食べ方があると思っているわけですし、それぞれの文化があるからこそそこに従うのが良いのだと思っているからこそそうしているわけです。
西洋の麺においては、麺というよりはソースとともにいただくのですが、このソースがそもそも和麺と根本的に「出汁」という面で異なっています。
今や日本の「出汁」というのは世界の料理界でも注目されており、その理由は「うまみ成分」ということがわかっています。
そのうまみ成分を香りと共に引き出しているのが和麺のつゆであり、スープであるのです。
そのため、香りを引き出すためにも麺をすするわけですが、これをすすらないで食べてみると実に味気ないのです。
実際にやってみるとわかるのですが、香りが半減・・・どころではない騒ぎで味が薄まるような印象となります。
対してクリームソースやトマトソースなどのパスタソースは、香りというより、ソースそのものに味を凝縮させているイメージで、鼻というよりも舌で味わうことが良いように感じます。
もちろんすすってみれば香りもするのですが、西欧の方はそうやって食べないのは、ソースを味わうからこそであり、そこはすすらない文化であるからこそのソースなのだというのがわかるのです。
微妙なのは日本で生まれたスープパスタなどで、魚介の出汁などで作ったスープなどはすすった方が香りがたつわけですが、パスタとはそういう食べ方をしないわけですので、これが実に悩ましいわけです。
しかし、パスタは西欧の食べ物であるという理解をしているため、こちらはすすらないようにして食べています。
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和麺、とくに蕎麦やうどんですすらないで食べてみてください。
見事なまでに香りが半減どころの騒ぎでは済まない感覚に陥りますから。
それを日本まで来て「すするな」とかいう外国人は、他国の文化に理解を示さないわけですから日本にいらっしゃらなくて結構だと思っています。
郷に入りては郷に従えということわざがある通り、それぞれの文化をたいせつにするというのであれば、相手の文化に合わせるべきなのだと思いますし、日本料理と海外で掲げるのでしたら、当たり前に日本の食べ方をしてもよい場所なのだと思います。
逆に日本にある海外の料理はその食べ方に従うべきだと思うのは、それぞれの文化だからこそ思うことであって、食べ物についても全く同じことが言えるのだと思っています。
他の国の人が人間以外の動物で変わった生き物や愛玩動物などと食べていると反対運動などが起こりますが、文化は文化ですから人間を食す以外はその国の文化でいいじゃないかと思うわけです。
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日本はIWCから脱退して本日より商業捕鯨を再開するわけですが、捕鯨は日本の食文化の一部なのですし、過去の取りすぎと言われた時代を反省してクジラの保全に努めながら鯨を食することになります。
それを西欧の基準で「鯨は賢いから」などと言われたくはないですし、では牛や豚はどうなのだと感じます。
彼らは牛や豚は食物として神が遣わしたものなどと言い訳しますが、鯨を食べることと意味合いは変わることはありません。
命を奪って食するわけですから、そこに種の差別はないのだと理解します。
まあ、これを曲解して過激な運動をする人たちもいますが、彼らは彼らで自分たちの中でやっていただければ結構ですし、一部の過激派以外は好きにしてと思っているので、それはそれで尊重しようと思います。
また信条として動物を食べない決断をした方をDisることはありませんが、他者に強要したり妨害することは全く不要だと考えます。
食人以外はそれぞれの文化でいいじゃないと思いますよ。