昭和20年3月10日0時7分、東京で空襲が始まった。
実に300機以上もの戦闘機が、東京に雨あられのような焼夷弾を降り注いだ。
そして8万人以上の直接の死者を出した・・・
今では、たった一回の民間人への誤爆で大問題となるのに、民間人をターゲットにした虐殺であるにもかかわらず、米国は謝ることさえしない。
それは数十万人を虐殺した、広島と長崎における原子爆弾投下に対しても、自分たちは正義だという名の下に正当化されている。
何年前だったろうか、エノラゲイの搭乗員だったかがテレビ朝日のニュースワイドに出て、リメンバーパールハーバーなる言葉で日本人に対しての差別的な発言を続けたが、彼らはこうした大量虐殺に対して正義を前面に出して反省する様子はない。
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これらを繰り返してはならないのは当たり前で、それを阻止するためにはどうするか、意見は分かれてしまうのはやむを得ない。
勝つことのできる国を作る?なんてのは私は理解できない。
他国に勝っても負けてもそれぞれ遺恨は残るからだ。
だが、負けない国にするという備えは必要だと考えている。
いわゆる中国の軍拡に対してアライアンスを組んで守ることも必要であるし、自国の防衛をするのも当然のことと考える。
日本国民の中に「殺させない」という言葉で防衛などに対する軍備に対して反論を述べるものがいるが、それ以前に「殺されない」という予防をして初めて「人を殺す場所にさせない」ということができるのだと申し上げたい。
今の連合国による統治への協力にしても、日本は戦闘地域ではなくなったところに行っている。
私はそれでいいと思っているし、それが国際貢献の一つであると考える。
だからこそ米国との対等同盟を理解し、集団的自衛権を認める必要がある。
ただし、米国は虐殺の歴史を持っている国であるし、今のシリアの前の湾岸戦争時においても、彼らのいう正義はあたらないと感じているので、彼らが「一緒に攻め込もうぜ」というのにはきっぱりNoをつきつけ、しかし彼らが日本近海等において日本にも敵国にあたるであろう国家に無条件に攻撃された場合には助けるために動くということをし、まずは「殺させない」を徹底するべきだと考える。
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憲法第九条が日本を守ってきたわけではない。
米国に保護されてきたから戦いにでる必要がなかっただけの話だ。
米軍基地がなかったとしたなら、米国の守りがなかったとしたなら、日本は日本たることはなかったと考える。
個人的には自主防衛ができなければならないと考えているが、残念ながら戦後70年を過ぎてもその議論さえさせないようにしようという情けない人たちがいる。
自分の身は自分で守るのが普通だし、それが当たり前であると思う。
一日も早く、日本が普通の国として成り立つよう、みんなが議論をし行動をするべきだと思う。
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3月11日と10日のエントリーを逆にしてみたのは、わざとです。
3月10日という私が生まれる前にあったことも、私が5年前に経験したこともどちらも重要でかつ残念なことです。