2019年のF1初戦のアデレードで、HONDAエンジンを搭載するASTON MARTIN RedBull HONDA Racingは表彰台三位に立った。
これはたいへんうれしいニュースだったのだが、実は昨年いろいろと知ることがあり、HONDAのモータースポーツ部門だけではなく、エンジニアリングそのものに少し懐疑的になっている部分がある。
今のHONDAには1999年から2009年まで製造されていたS2000のような尖った車は作れなくなっているのではないかと感じるのです。
それはHONDAのエンジニアだった方が、HONDAに見切りをつけて他の会社に移られたりしている現状を見るに、心配になっているのです。
「必要な技術は買えばいい」というのは、ある意味製造業では正しい部分でもありますが、自社の独自技術が重要であるというのは製造業においては他社に対して確実な「売り」を持っているのですから、たいへんに重要な話となってきます。
1980年代後半から1990年代のF1シーンにおいては、HONDAは社内から選りすぐったエンジニアをHRDに投入していた。
しかし、昨年F1のエンジニアを外部から募集していたのである。
これには愕然としたというかがっかりしたといった方がいいだろう。
本田宗一郎という日本でも屈指のエンジニアが社長をつとめていたHONDAという会社が、まさか他からエンジニアを募集するなど考えられるはずもなかった。
HONDAはHONDAであるという独自性を発揮するのがHONDAという二輪と四輪、そして今は確実に尖った航空機を開発、製造、販売をするのがHONDAだったはずだ。
しかし、外に人材を求めるということはHONDAがHONDAではなくなったと言ってもいいとさえ思っているほどだ。
(二輪に乗っていたころは日本ホンダ党と名乗っていたほどの大ファンなんで・・・)
ジェットエンジンでさえ、他社に協力を得たことで少し残念になっているというのに、F1に外部人材などあり得ないと思ったのだ。
もし、HONDAにスポーツの精神がなくなったとしたら、それはTOYOTAと大差がないということになる。
私がTOYOTAをモータースポーツで評価していないのは、スパイ事件、日本グランプリ強奪、日本グランプリ放棄、リストリクター事件などなどモータースポーツに対して不敬であるからこそである。
もしHONDAが今後F1鈴鹿開催をやめるなどがあったとしたなら、そこに私の愛するHONDAはなくなったのだと思うであろう。
だからこそHONDAに期待するのは「内部人材をもっと育てる」という部分である。
エンジニアに絶望され、他の会社にいってエンジニアを続けるような、そういう若者を出さないでほしい。
走る実験室に若手をつぎ込み、そこからHONDAを作り上げていってほしい。
なんか散文であるが、私はHONDAがHONDAでなくなることを望まないからこそHONDAに懇願しているのである。
我が愛するHONDAが永遠に続くことを願う。