夢や理想を語るのは必要だが現実はそう甘くはない

とまあ、約55年を生きてみて思うわけです。

警察官・・・というか官僚を夢見ていたわけですが、警察関係に入ることができないことがわかり(しかも自分が原因ではなく)自暴自棄になっていた二年間を経て、自分で立つためにはどうするかと二十歳の時に逆算して、目標通り企業を一回りの12年で成し遂げながらも、結果的に16年で会社をたたんだり、離婚したりとまあ見事なまでに人生なんてのはうまくいきません。

私は波乱万丈な方なのかと言えばそうではないと思っている方で、自分がこうありたいと考えることがちょいと普通ではない部分があったからこそ難しい人生になってきたのだと思っています。

しかし、今は好きな仕事とは言えませんが、少なくとも人に感謝をされながらも収入的には比較的満足をできるレベルにありますし、誰でも彼でもやらせてもらえるような仕事ではないため、まあこのレベルでキャリアを締めくくることができそうだというのは、若い頃に思った不遇を耐えてきたからなのかもしれないなどと思ってみたりもします。

そもそも警察関係が敗れた時に、実は物書きにもあこがれていたために、いろいろ短編やら長編やら書いてみたりもしたのですが、仲間に物書きの卵みたいなやつがいて、彼との差に「才能がねえなあ・・・」と気が付いたので、パッと諦められました(苦笑)

しかしその仲間でさえ残念ながら物書きにはなることができませんでした。

今でも夢や理想を持っていますし、こうしてみたいと公言していることがあります。

あと何年健康で今のようにいられるかわかりませんが、不可能ではないと思っているため実行するための努力をしています。

夢を語ったら、現実にするための努力をしなければ意味がありません。

でもその夢を語ることができているのは、今の私が足下をきっちりさせてもらえているからこそできることなのだと思っています。

たとえばこれが食うや食わずであれば、夢を語ってみたってそこに対するアプローチなど考える余裕がありません。

しかし、今は仕事もそれなりにできていますし、健康には自信がありますし、なにより妻や子供の理解があります。

それが本当に大きいと思うわけですが、そうするためには最低限の努力はしてきたつもりです。

生活を建て直すためにどうするか、離婚後に子供達との関係を良好にするためにどうするか、そして再婚後に新たに家庭を築くためにどうするかなどなど、仕事の落ち込み、離婚、再婚と人生の岐路をこの十年あまりで経験してきましたので、それらの努力はしてきました。

これらを得るには当然ながら周りの方々の協力がありましたし、なにより今の家族や仕事仲間の理解があったのは大きいと感じています。

タイトルに現実は甘くないと書きましたが、これは努力していない人には甘くないではなく「基本的に誰も何もしてくれない」と思いますし、他人が勝手に手を差し伸べてくれるなど考えてみたところで、自分で立ち直らねば本来は何も改善することはありません。

今の自分が不遇だと思うのであれば、そこからどうするのかを考え、立案し、実行することで目標に近づくことがあります。

そして私はそうさせてもらえたと思っています。

これらは自分だけではなく、周りの協力があったればこそです。

夢や理想を語る時、その人が努力をどのようにしているのか、周りの人はちゃんと見ています。

そして納得をした人の中で余裕がある人が、その夢や理想への手助けをしてくれることがあります。

それらはチャンスを得るための努力をしないと基本的には無理です。

もちろん世の中には棚ぼたな人生を歩んでいそうな人もいますが、その人が有名なのは圧倒的にそんな例が少ないからであり、宝くじより可能性が低いのですから、地道に活動すべきです。