差別解消活動にみる活動家の無理

このところ、差別解消で目立つのはLGBT活動なのであるが、これがまた当事者と活動家の乖離がすさまじく、当事者にほとんど支持されていないのは、この活動をご覧になっている方にはよくわかることだと思われる。

差別解消活動は今までもいろいろあり、例えば部落差別や在日差別などと言われてきたが、残念ながらそもそも部落差別なんてのは過去のものであり、わざわざ探し出さないとないようなもの、そして在日外国人(特に特別永住許可)については差別ではなく「区別」に過ぎないことで、到底世の中に蔓延した「差別」ではないと考えられる。

部落差別は、北海道生まれの私は全く知らないものであったが、それこそ20代のころこれはなんだろうと調べてみるとなるほどと理解ができた。

部落リストなるものがあったのであるが、これは残念ながら部落差別を訴える人々が過激になったからこそ企業側も当然ながらリスクを避けるために「活動家となりそうな人々」がいる地域を知っておきたかったのは事実であろう。

そして部落活動についてはどんどんアンタッチャブルになり、そもそもの利権となっていったのは、大阪の肉卸関連の事件で明らかになったのであるが、残念ながらマスコミが忖度をしてきちんとした報道をしなかった。

在日(特別永住外国人)については最早区別というものであり、差別などではない。

もし差別というのであれば、それは日本人全体のものではなく人心によるものが大きいと考えるうえ、「〇〇人を〇せ~」などとやるのはネトウヨや右翼でもなく、ただの差別主義者であるのは間違いがない。

だが、これらが日本人を代表するかと言えば全くしないというのが現実である。

たまに「くどうさんって、外国人とか嫌いなのですか?」とかわけのわからない質問をする人がいるが、私は肌の色や人種、性別で差別することなどはない。

在日に関して言えば、サッカーのコーチとして何人であろうと、特別永住外国人であろうと区別さえしたことはなく、ただ所属している選手としての扱いをしただけで、誰も差別も区別もしたことはないし、今でも付き合いがある。

性別やLGBおよびトランスジェンダーについても同様で、個人においてそれぞれの生き方があり、そこに多様性が生まれるだけのこと。

それなのに生きづらいとかわけのわからない理由で差別的だと断定して、自分達の要求を拡大していくのはまるで部落や在日と一緒のこと。

隣にゲイやレズビアンがいようが、そんなの他者に迷惑をかけなければ何も関係がないし、友人や知人がそうだからとなぜ差別などするのか理解ができない。

いいじゃない、人は人であり、自分ではないのだから。

ただしゲイについては私個人には意見があり、私は異性愛者であるためゲイについては愛情を持たれても応えることができないため、ゲイの仲間や友人には「私に愛情だけは向けないでくれ」と言っている。

だって友人や仲間としてはたいせつな人間なんだから。

・・・で、ほとんどの日本人はこういう感覚であるのは、テレビを見てみればよくわかるであろう。

マツコ・デラックスさんやミッツ・マングローブさんが毎日のようにテレビに出て、まじめなコメントまでもする番組からバラエティーまで出演しても、何ら講義などの行動が起きないことでもわかる。

最後に、LGBとトランスジェンダーは異なるものだと理解している。

LGBは「性的指向」であり、トランスジェンダーはMtFやFtMと言われたりもするが、生まれてきた肉体的な性と異なる性を持った方であるため、根本的に違うものである。

しかし、LGBT活動家の多くはトランスジェンダーを「わざと」含めようとするのは、裏になにかあるんじゃないのか?と邪推してしまう。

明確に分ける方が良いと考えるうえ、トランスジェンダーは場合によっては「治療が必要」なのであるから(生まれたときの肉体的な性と異なる性を合わせる手術など)なのだが、LGBと同様にするというのはどう考えたって無理がある。

ちなみに私は同性婚には反対であるが、それは婚姻が男女に基づく法的な手続きであるからという理由であり、同性での婚姻と同様の権利は養子縁組でも得られることから不要という考えである。

これもトランスジェンダーとは異なりますしね。(戸籍の性別を変えることで、異性婚ができる)

写真:© NHK SONGS スペシャル