ブログを頻繁に更新することがなくなったのは、いろいろな人が自由に発信するようになったのと、自分の中でブログへの落ち着きというか、発信するものが減ったということもあり、書かなくなっています。
テレビに出たときからしばらくは、読者数やページビューも凄まじかったですし、自分が保護者として発信すべきものがあったので、日本テレビなどに今でも感謝をしています。
あのころの情熱はないのですが、最近世の中が本気で劣化してきたなあと感じるのです。
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ひとつは遊びがなさすぎること。
これはテレビがつまらなくなったことではっきりとわかります。
あっちたてればこっち状態で、すべてのクレームを排除しようとするからそうなるのです。
私達が子供の頃にはドリフターズが、青年期にはビートたけしさんや明石家さんまさんが全国PTA連合会などの組織から目の敵にされましたが、そんなものは知ったことかと、他人ではなく自己を犠牲にして笑いを取っていました。
しけし、今は何かをすれば差別だ、いじめだとやかましい人々がいるわけです。
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二つ目は大人が大人ではなくなったと感じることです。
日本大学アメリカンフットボール部が典型的な例で、日本大学は大学の名前と監督を守ろうとしているようにしか見えません。
古き良きものがいいとはいえませんが、自分に責任があると言っておきながらも、加害選手の発言は異なるとか、監督と選手間でそのような話ができるはずがないと言ってみたりとか、守るべきものはなんなのか、完全に間違えていることがあるのです。
あと、友人がよくつぶやいていますが、食べ物屋に行って、マナーのなっていない大人のことを書いているわけですが、肘をついて食事をするなどといった、大人であるなら間違いなく知って実行できなければならないマナーができない人が増えました。
また、金を払っているのだから店員に悪態をついても問題がないとか、恫喝しても良いだとか、当たり前ではないことをさも当たり前のようにしてしまう大人が増えました。
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おかげで日本人はこうなってのから、どんどん外れるような気がしていて、過去に築き上げていただいた日本の名声が失われているような感じさえします。
政治や経済もそうで、日本人と言えるのかさえ危うい政治家がただ声がでかいだけでのさばっていたり、与党だからと胡座をかいて、とんでもない発言をするなどよく見るわけです。
経済にしても規制と既得権と成功体験から抜け出せず、Chinaに置いてけぼりになる技術などもどんどん出てきています。
とにかく決定が遅く、スピード感が全くないことに、危機感さえ感じるわけです。
それは私がブログを始めた13年前には感じられなかったこと、もしくはあまり感じなかったことだというのに、今は嘆かわしいことが重なっているようにしか見えません。
日本が好きな日本人だからこその危惧です。