対テロリズムと対話と紛争と

パリでISISが声明を出したテロリズムによる複数地点への攻撃が行われた。

これに関しては絶対に認めることはできない。

私が国家が言うテロリズムで認めないのは、他国を侵略していながらその国の人がその国内で自衛を行うことをテロリズムとは言わない。
(例えば新疆ウイグル内で自由活動家による行動など)

私が言うのは自己の目的を果たすために、国内もしくは国外に無差別の攻撃を行うことであり、彼らが自由と平和を訴えるなど絶対に認めることはできない。

ISISは国家として認められるものではなく、また他と相いれるつもりがないのは明白であり、戦闘によってのみその拡大を続けるということは、他の宗教や国家にとって迷惑極まりなく、また同じ宗教を信じる人々にとっても迷惑な存在でしかない。

また何よりも無差別攻撃という卑劣なことを「表現」などとは言えず、いわゆる戦争とは間違いなく違うものである。

ではそれに対してシリア国内のISIS拠点に対してフランスが国家として攻撃を行った。

それをどう考えるかというと、テロリズムこそ言葉が無意味であることを示しているものがなく、この攻撃を良しとはしないが黙って見逃すことができないという意味で消極的に賛成せざるを得ない。

武器が無意味だという人にまず考えてもらいたいのは、ではテロリストやいわゆる中国の他国侵略に対して言葉が一度でも有効であったことがあるかということである。

南沙諸島でさえ言葉で解決できないというのに、それ以外に言葉で通用するなどというのは甘いという以外の何物でもない。

私個人は武力は威嚇にのみ有効であり、使ってしまえばどちらかが殲滅されるまで続く可能性を秘めていると思っている。
その最たる例が核兵器であり、核兵器こそ持っていること自体が威嚇となり、他国への警戒を呼び起こさせるものとなっている。
良くわかるのは北朝鮮に対してのいわゆる中国、米国の対処であるが、未熟であれ核兵器を使われてしまえば、その周辺が汚染される可能性があるからこそ武力を行使できないでいるのである。

じゃあ武器をなくせばいいじゃないかという意見もあるが、これは現実的ではない。

沈黙の艦隊という漫画があったがそれをヒントに、連合国(UN)の下で戦略原潜が複数存在し、一斉に全世界が武力蜂起できたとして、ではその戦略原潜もしくはUNは何を考えるかということを思うと、とても現実的ではない。

つまり地球国家というものは少なくとも現状ではあり得ないため、武器というのは無くなることはない。

たいへんなるジレンマであるが、言葉で解決ができない以上、残念ながら抑止力としての武器、武力を持たざるを得ないというのが現在である。

悲しいが現実である。