議論をするということ

異なる意見の人と議論をするということは良いことだと思っています。

ただし、質の良い議論をしたいというのが当たり前のことになりますので、以下の点に注意しています。

  • 言葉遣い
  • 調査(リサーチ)
  • 裏付け(コラテラル)
  • 証憑(エビデンス)

言葉遣いは社会人として当たり前のことで、最初から「おまえ」だの「あんた」だのという言葉を使えば、相手は当然ながら話す気さえ失せてしまうことがあります。

ちなみに私はこうした人が大嫌いでして、これを書かれるとかなり冷たいあしらいになります。

せっかくまともな議論をしている人に対して「おまえさー」などとやられたら、とてもではありませんが萎えます(笑)

そのため自分ではそうしないように気を付けていますが、しつこい人などに対しては「おまえが馬鹿なのはわかった」などと突き放します。

それから自分が反対する政治家や人物について呼び捨てにする、カタカナ表記にするなどの人はやはり冷たいあしらいになります。

私は例え嫌いな政治家であれ「一応」「氏」とか「さん」とつけるようにしています。

まして一国の宰相(さらに言えば日本国の首相)を呼び捨てなど言語道断だと思っていますので、議論の際には言葉遣いをきちんとするべきだと考えています。

調査ですが、議論をするための最低限の知識というのが求められるはずなのですが、最近のTwitter民の中には「教えろ」とくる人がいます。

まずそうきた場合には、私の中で「無知」というフラグが立ちますので、ほとんどが冷たいあしらいになります。

はっきり「パヨク」と書きますが、彼らには道理であったり常識が通用しません。

彼らは常に自分が正しく、社会正義に満ち溢れ、人のことを考えており、賢いと勘違いをしています。

ディベートの基本は自分の意見が正しいというところからスタートするものですが、それが正しいのかを実生活の中では振り返る必要があります。

しかしながら、彼らは自分が正しいですから相手の意見を崩すことしか考えていません。

もう一点、幼稚です。

「〇〇とはいつ言ったか?」など文脈を無視してわめき始めることがあります。

それなのに相手に対しては「おまえはこう言っただろう」と勝手に相手の考えを決めつけてしまうことが多々あります。

ステレオタイプという言葉がありますが、大多数のこうした人々に見事なまでにあてはまるため、最初から決めつけはしませんが、途中で「パヨク」フラグが立つのは普通のことになってしまいました。

さて、話す内容の調査ができて方向が決まったからといって、そこですぐに感情に任せて発言をしてはいけません。

裏付け作業が必要になります。

そのためには証憑(エビデンス)が必要であり、法律であったり、発言であったり、それぞれの議論に対して必要な情報を集め、話の方向に対しての裏付け作業が必要になります。

Twitterでよく見る正しい人は、きちんとエビデンスをつけて「いついつこういう発言があったがどういうことか」と質問をします。

それは当然ながらわかりやすいものですから、相手に対して証拠能力を持った問いかけということになります。

で、パヨクの皆さんというのはそこらへんをすべて吹っ飛ばします。

法律の成り立ちを無視し、物事の順序を無視し、社会規範を無視しても自分の「想い」が通ると思っています。

そのため当然ながら裏付けも、それにかかる証憑もでてこない状態で、ただただ「想いの話をする」(議論ではない)のみとなるため、議論にならなくなってしまうのです。

先日も消費増税について、そもそも民主党政権時に成立をさせ、金融庁が書いた図に従っているというのに、消費増税をしないためにアベなら強行採決をしてなんとでもなるなどという、「とんでも」な発言をする人がつっかかってきました。

スタートが金融庁の法律に対して、その法律の廃止案を金融庁がそうやすやすと書くものではありません。

政治家はこうしたところを官僚に頼らざるを得ないため、決めた法律を廃止するためには相当な努力が必要となります。

しかしながら消費増税については、過去二回の延長があるため、金融庁が納得して廃止案を書くなどとは考えにくいのは当然のことなのですが「できないことはない」と想いだけで綴ってくるわけです。

頭の中では「アホか」と浮かんできて(しかも法律施行について教えろときて、後出しで難しいといいはじめる)議論は無理と断りましたが、その後「知らないのか」などとリプライしてきましたが、完全無視しました。

それらの理由は上にすべて書いてありますが、議論に値しないからです。

例え反対意見であっても、正しいものをぶつけ合うのであれば議論として成り立ちます。

それができないから議論できないと打ち切らざるを得ないという残念な結果となるわけです。

きちんとした議論をしたいものです。

政治こそ一番身近なものです

たまに政治のことを政治など考えたことがないという方と話すときによく言われるのは・・・

  • 政治家が変わっても政治は変わらない
  • 政権が変わっても自分には関係がない
  • 政権が変わっても日本は変わらない
  • 自分には関係がない

というものです。

それは全く違うのですが、諭すように話してみても全く取り付く島もないことが多々あります。

それでも政治は身近なものなのだと、ブログでちらっと書いてみようかななどと思っているわけです。

直近で日本にて政権交代が起こったのは2009年のことです。
少なくとも私にとっては悪夢の三年間だと考えていますが、そう思わない不思議な方がいらっしゃるので「少なくとも」とつけてみました。

あの三年間で円高が続き、経済は混迷し、政治空白が叫ばれ、消費税10%が決められたのです。
いわゆる311後には絶対に無理だと言われた再生エネルギー法を試行し、買取が高額で続くわけのない電気の買取を義務付けました。

それらのつけが現在の自民党政権に現れているのが事実ですが、自由民主党から民主党へ政権が移行したことで、これだけ日本が変化しているのです。

それでも政権が変わっても日本は変わらないのでしょうか。

民主党政権を受け入れたのは当時の国民意識が「自民党ではだめだ」となったからだと思われます。

今でも私は自由民主党が一番優れているとは思っていません。
むしろもっと野党の中にまともなものができてくれないのかと思っており、民主党ができたときに少しは期待をしたものですし、維新が盛り上がってきたころに少しは期待をしたものです。

しかしながら彼らは自分で自分の首を絞めるような行為ばかりを繰り返しましたし、維新は別として民主党は自由民主党に対して反対意見を述べるだけの党というイメージになってしまいました。

今でもまともな野党を作るため。作ってもらうためいろいろな会合に出かけたりすることはありますが、少なくとも自民党を全否定する人たちの意見はあまりに建設的ではないため、そういうところに足を運ぶことはなくなりましたし、日本共産党から応援されるような人は絶対に応援をしません。

日本共産党に対しての理由は単純で、あれだけ安倍政権に対して長すぎる・飽きたなどと言っている政党が18年間も無投票で代表が変わらない状況ですし、なにより戦前よりの活動に対しての総括も反省もない政党を認めることなどできようはずもありません。
しかしながら日本は60年代70年代の安保闘争で一定数の共産党支持者や共産趣味者を生み出し、いまだに支持をしている現状があります。
これは恥ずべき事態だと考えています。

言論の多様性は認めますので、共産主義を論じるのは結構だと思いますが、旧ソビエトと中国共産党の状況を考えるに、共産主義は夢であったと言わざるを得ないと少なくとも私はそう考えております。

私は地域の政治家と積極的に話をするようにしています。

それは国会議員も含まれるわけですが、幸いなことに地元の平沢勝栄代議士は会話のできる方ですし、きちんと事務所で秘書の方を通せば必要な場合には話をすることは間違いなく可能です。

当たり前のことですが、私たち日本国民は選挙権があり、彼らを選ぶ立場にあるのですから、その話を聞かない政治家など選ぶはずもありません。

貴重な意見をもらえるとなれば、秘書から代議士に伝わり「では会ってみましょう」ということになります。

もちろん、そこの木がどうしただの、下水管が詰まるだなどと役所で済むようなことを事務所に言っても相手にしてくれませんので、その程度で話をしてくれないなどと怒るのは全く論じるところが違うことになります。

そうそう、地元のことだけを相談するのであれば、市町村区議会議員が話をきいてくれると思います。

現在、経済が上向いているのは間違いがなく、少なくとも私の周りの業界では単価が上がっていたり、人が足りないということをよく聞きます。
それだけ仕事が生まれているということは上向いていると考えられ、日本が良い状況になっているのだと感じています。

もっと良くするには政治をよくすることも必要となります。

つまりは身近にある政治、政治家を使わない手はないわけです。

自分の環境をよくすることを考えるのであれば、一度きちんとかつ冷静に考えるべきです。

北海道のブラックアウトについて

一部自分のツイッターを引用しています。

北海道電力は現在、石狩湾新港発電所を建設中。
これは311以降に計画されたものであり、電力の安定供給を目指して作られたもの。
2014年に着工し、試運転は今年後半から行い、2019年の早い時期に営業運転を開始しようとしている。

しかしながら、これは3機あるうちの1号機であり、発電量は56.94万kwである。
ちなみにこちらはLNGでの発電。
今、動かしている古い火力発電所一基と比較すれば大きいかもしれないが、石狩湾新港発電所は同じ規模のタービンを2機予定しているため最終的に170.82万kwとなる。

今回停止した北海道最大の火力発電所である苫東厚真発電所は以下の通り。
1号機 35万kw
2号機 60万kw
4号機 70万kw
合計 165万kw
こちらは石炭での発電。

北海道全体で9月初頭に必要なピーク電力は380万kwだったわけで、夜中であれその半分弱を担っていたこちらの発電所が直下型の地震で停止してしまい、発電が安定せずすべての発電所が停止してしまった。

これを防ぐ目的のためにも、石狩湾新港発電所が必要だったわけで、少なくとも安定的に電力を供給するには「三カ所」の大きな拠点が必要となるのは、専門家の方が発言しているのでここでは割愛するが、三か所ということであれば、大規模に発電できるのはもう一カ所ということになる。

それが泊発電所、つまりは原子力での発電ということになる。
1号機 57.9万kw
2号機 57.9万kw
3号機 91.2万kw
合計 207万kw

あらためてこの三つの発電所を並べる
170.82万kw 石狩湾新港発電所(LNG)
165.00万kw 苫東厚真発電所(石炭)
207.00万kw 泊発電所(低濃縮ウラン)
これらの合計は542.82万kwで、ほぼ北海道のピーク電力とイコールとなる。

しかしながら、これら合計9基の発電機は定期点検がそれぞれ必要であるし、故障があるかもしれないことを考えれば、これだけで足りるわけでもない。

また今回の周波数が不安定となって他の発電所までも巻き込んで落とすことを考えれば、一定以上の余剰電力がなければ北海道がまたブラックアウトする可能性がある。

だが、これら三カ所が安定稼働していることができれば、ピーク時からみても一カ所が途絶えたとしても、残り二ヵ所でなんとか一瞬まかなって他の発電所にも頑張ってもらって安定発電に乗せることは可能であろう。

もしフルで動いていて200万kwが途絶えたとしても、300万kw以上が供給されており、他の発電所からの発電もあるため、今回のような極端な電力不足に陥ることはない。

これらを前提に考えるに、安定的に電力を供給するには「三カ所」の大きな拠点が必要であるならば、この三カ所をうまく使うことで北海道のでんりょくを安定的に供給することが可能となる。

ただし、泊発電所には40年まであと11年の余裕しかないため、さらに安定を求めるなら3号機の仕様年限である2049年までに150万kw級の安定的発電所が必要となるはず。

そのためにも石狩湾新港発電所の1号機営業運転開始後より、早急に次の議論をしておく必要があると考える。

私は将来的に原子核反応炉をなくしていくべき(新規は作らない)と考えているため、今あるものはつかっていくことでまずは安定を求めるべきと考えている。

というのがツイッターで連続投稿した内容です。

これに追記するのは、まず泊原発における非常電源についてです。

すでに共産党の小池晃氏の発言が無知だとたたかれまくっていますが、泊原発が今回のブラックアウトの際に非常用電源になるのは当たり前です。

なぜなら、泊原発が動いていない状態で、北海道のすべての電源が落ちたわけですから、当然ながら非常用電源になるわけです。

これを「異常事態」としている人は、そもそもの話し合いに入る資格さえありません。

この部分を否定する程度の「理科力」しかないのであれば(物理だの化学だのの前です)、それ以上の議論などできません。

そして放射脳の多くに、こうした発言が見られます。

つまりは「非常」というだけで脊髄反応をするだけであって、冷静な判断能力など期待できようはずもありません。

改めて

発電所 苫東厚真 石狩湾新港
1号機 35.00万kw 57.90万kw 56.94万kw
2号機 60.00万kw 57.90万kw 56.94万kw
3号機 -  91.20万kw 56.94万kw
4号機 70.00万kw -  - 
合計 165.00万kw 207.00万kw 170.82万kw

今回は、一番右の石狩湾新港がない中で、380万kwのうちの165万kw(夜中なのでもっと大きい比率のはず?)という大部分をロストしたため、2/3程度の電力を保つことができず、ブラックアウトしてしまった。

では、泊が動いていたらブラックアウトしなかったのかといえば、一時的に制約はあったにせよ、全面的なブラックアウトにならないのは、207万kwの電力が確保できれば、ブラックアウト起こる2/3程度を下回ることがないからです。

「いやいや周波数が安定しなかったら泊も落ちたのではないか?」などという質問が起こっているが、非常停止以外では運転そのものを止めることはできません。

それは構造上のものですから、発電は停止しない限り止められることはないわけです。

「そんなんじゃ危ないじゃないか」って言います?本来、原子炉は数秒で停止できるのですが、放射脳には理解できないでしょう。

まあ、そんなときのための非常電源なわけなんですが、原子炉さえ停止しなければ発電は続くわけで、安定して発電が続けばブラックアウトが起きることが少ないだけの発電量を泊原発は保有しているわけです。

一時的に一部が停電したとしても、全面的なブラックアウトは起きないであろうということですし、火力発電所の再発電までの電力も確保できるのですから、少なくとも今回のブラックアウトとは問題にならないくらいの速度で電力の復旧はされたと考えられます。

はっきり書きますが、泊原発を止めているのは北海道にとって悪夢です。

2049年までは91万kwを確保できますが、それまでに少なくとも150万・・・というのはツイッターに書きましたね。

付加価値というもの

先日、長瀞へ行った際、話題のかき氷を食べてみたいと伺ったのですが、いろいろ感じたことを書いてみます。

それこそその土地のカキ氷の氷は、その会社の氷しかないんじゃないか?くらいの勢いでした。

「氷」の幟があるところにははっきりとその名前が書いてあります。

その名は「阿佐見冷蔵」。

で、岩畳そばのある一件にお話を聞いたのですが「私達はこの値段(450円)でずっと昔からやっているが、この会社は最近1000円以上でやっているけれど高すぎるよねえ…」とのこと。

そちらのお店は450円でそれなりに稼いでいらっしゃるのでしょうから、どうこう言ってもしかたがないのですが、反論するとしたら「あなたのお店には行列はありませんが、あちらはそのお値段で行列ができていますがなぜでしょう」というものでした。

つまりは付加価値の問題だと感じたわけです。

今のままでよければそれはそれでいいのでしょうが、阿佐見冷蔵さんは氷の販売だけではなく、カキ氷の高額差別化でさらに利益を出しているわけです。

それで、実際に登山口店に行ってみました。

はっきり言えるのは、シロップが有り物を使っているわけじゃないというのと、氷の削り方を氷屋さんだからこそわかっているというものでした。

前述のお店の方は有り物のシロップをかけて販売する訳ですが、そのシロップの三倍の単価をかけても粗利は一緒になりますが、せいぜい二倍程度でシーズンだからこそスタッフを増強して…でも、二時間近い待ち時間のお客さんが途切れないのですから、その利益たるや想像に難くないわけです。

どちらのお店がいいかなんてのは本人の考え方次第ですが、企業として利益を出すことを考えるのであれば、間違いなくこの両者は参考になるものです。

あなたは付加価値を持っていますか?持とうとしていますか?ということだと思いますし、持たなくてもいい人生の選択も有りだということです。

非正規はそんなに悲惨か?

というわけで、非正規=派遣労働者です。

じゃあ、対価が低いかと言えば、低いと言ったら世の中一般の方から袋叩きされそうなれべるです。

テレビを見ていると非正規の悲惨な現状なんてのをやっているわけですが、私はサラリーマン7年の後、非正規を3年、会社代表を16年、そしてまた個人事業主or派遣を5年やっていますが、食うに困るほどの困窮はないといっていいでしょう。

運もあったと思いますが、私は100%付加価値を生み出さないと企業から切られる仕事ですので、それこそ必死で結果を残さねばなりません。

結果を残してもマネージャが変わって気に入らないからと切られたり、そもそも入るプロジェクトが潰れて別のプロジェクトのPMに入って要件定義3ヶ月だけで放り出されるなんての日常茶飯事です。

それでも困窮しないのは、運と人脈と努力しかなく…といっても、努力なんてのはほぼ全員がしていると思っていますが、日々結果を残し続けなければならないわけで、運だけでも生きてはいけないのが真実です。

じゃあなぜ非正規なのに困窮しないのかというと、誰もができることをやらないのと、こいつじゃなきゃだめだと思わせることをしているからで「誰でもできる簡単なお仕事」では、特に非正規なら報酬は低くなって当たり前です。

そこにたどり着くまでに自分はなにをしてきたか、運をつかむことはできたのか、付加価値を相手に認めてもらえたのか等々冷静に自分のたどってきた道を眺めてみると、今の自分の置かれた場所が見えてくるのではないでしょうか。

もちろん運の悪い人がいるのも事実で、そういう方はセーフティーネットを使うことができるようにしたり、次の場所に立つための手伝いをする人々が努力すればいいのです。

しかし、ほとんどの人はそれまでの結果が全てだと(運、人脈、努力、その他)思うべきで、嘆いている暇などないはずです。

あなたは今なにをするべきなのでしょう。

私は100%の付加価値を認めてもらうため、今日も結果を出すのみです。