3月11日が近づいてきました(1)

ニュースも先週からあれから五年モードに入っています。

あの日の記憶はまだ霞んでいないのは、私の中でよほどの衝撃であったからなのでしょう。

あの時間、私は文京区のお客様の所にいました。

登場経営していた会社の一番最初のお客様の定期訪問で、システムのメンテナンスをしていました。

ちょうどフロアに男性社員がいない時間で、女性スタッフはデザイン部門に、隣り合った営業のところで私は作業をしていました。

グラッと揺れた、でかい!そう感じた時、女性社員の悲鳴が聞こえたのです。

私は書庫を背中に向かいのスタッフの方の机で作業をしていたのですが、持っていた携帯電話のワンセグを起動しました。
たぶんこれは無意識にやったもので、情報収集をしなければと思ったからです。

その時、奥の社長室にいた奥さんが社長室のドアをあけて出てこようとしていたので「ドアを開けたままにして机の下にもぐってください!」というと、社長室の一番近い机の下に身を隠していました。

女性スタッフを見ると、スチールデスクの下に隠れている人と、必死で書庫を抑えている方がいたので、それではつぶれると思い、書庫から離れて身を隠してください!と大声を上げました。
NHKでは落ち着いた声で「上から落ちてくるものに気を付けてください」と言っているも、声に焦りが感じられるほどでした。

3分を過ぎても大きな揺れが収まらないため、フロアの中は女性が「こわい~」などと言っているのが聞こえたので、口から安心のためのでまかせを言いました「5分を過ぎて大きく続く地震はありませんからもう少し隠れていてください!!!」と。

私はその少し前に、借りていた担当者の机の下に潜り込もうと思ったら、段ボールで足下が完全にふさがれており、逃げ場がないと思ったので書庫を抑えながら担当者の机に足をかけて、とにかく耐えていました。
力がなかったらどうなっていたのか・・・などとは思いましたが、幸いにも女性たちがいたスペースも、私の側のスペースも重い書庫が倒れることがなく、そのまま5分過ぎの揺れが収まるまで無事でいることができました。

揺れがある程度おさまると、女性たちも隠れていた場所からそろそろと出てきます。

社長室にいた奥さんも出てきました。

「工藤さん、すごい揺れでしたね・・・」と、大きな揺れのショックと、おさまった少しの安堵感がある不思議な表情をしていたのを今でも記憶しています。

私は3階のフロアにいたのですが、屋上の倉庫にあがっていた男性スタッフも戻ってきて、「凄かったね~!フロアの被害は少なくてよかった。上はすごい揺れたよ!」と興奮して話をしていました。

みんなはそれぞれワンセグを見たり、情報収集をはじめたのですが、鮮明に覚えているのはお台場の昭和シェルが入っているビルが火災で燃えているものだったでしょうか。

社長はお台場方面に車で行っていたので、交通状況がどうなっているか頭をかすめました。

私は今日は作業にならないと思ったのと、主要メンテナンスは終わっていたことから、帰り支度をはじめたところに社長が車で戻ってきたのです。

すでにお台場から会社に向かっていたため、交通状況が悪くなっていないこともありそのまま会社に車で戻ってきたとのことでしたが、道は混み始めていたとのことで、状況を説明して帰宅をすることにしました。

今もそうなのですが、基本的に私は自転車で移動していたために、交通に影響されることが帰宅するまでありませんでしたが・・・続きはまた(2)に。

3月11日が近づいてきました(2)