3月11日に思ふこと

今日は日本人ならだれでも知っているといっていい、東北地方太平洋沖地震を発端とする東日本大震災のスタートの日でした。

あの日亡くなられた方々を思ふために、14時46分には目を閉じて祈りたいと思っています。

もう4年なのか、まだ4年なのか・・・と感じていますが、時は前に進んでいくため生き残った私たちは生きていかねばなりません。
ただ風化をさせることはなく、しかし悲しい記憶が被災された方々から少しでも無くなるようにとも祈っています。

今でもテレビでみたあの被災の様子は忘れることがありません。
洪水が恐ろしいものであるとわかっていたはずなのに、そこにあったものは自分の想像を超えたものでありました。
それゆえに備えるべしと思うわけですが、人の思いとは土地にもあるようで、なかなか離れられないのもわかります。
ですが、多くの人が亡くなることの無いよう、さまざまなことを考えていただきたいと願うものです。

また福島第一原子力発電所の事故による汚染はまだ当分収まる様子もなく、私が生きているうちには到底すべての地域がきれいになるとは思えません。
しかしながら除染をすることで安全となる場所には、それぞれが工夫をして少しでもきれいにするべきです。
私も微力ながらそうした手伝いをしていければと思います。

無責任に国が悪い、誰が悪いというのは楽なことですが、批判する前に自分は何ができるか、何をするのかと考えるべきです。

行動だけではなく、為政者と話すことも活動となるものです。
引き籠って自分たちだけで話をしていても何も生まれません。
ただし自分の思いだけが正解と思っては成り立ちません。
人との話し合い、意見が違う人との討論を通じて、より明るい道を探ることこそ重要です。

これからの何十年、この日がくる度にこうしたことを思うのです。

苦しんでいる方々が少しでも明るくなることができるよう、自分は自分のできることをやっていくしかないと感じます。