東京大空襲の日に思ふこと

70年前の今日、米軍は東京に対して無差別殺人を行い、10万人もの東京市民が無くなっています。

敗戦国に語る言葉はない?なんてことで、未だに米国から反省の弁など聞こえてこないわけですが、民間人の虐殺をしたことは事実であり、それは広島、長崎の原子爆弾投下という実験でピークになります。

あれから70年ですから、当時を知る人も少なくなり、私たち戦争を知らない世代とはいえ、当時のことを直接聞くことのできた世代は、戦争の恐怖、狂気、そうしたものを次の世代に正確に伝える必要があると思っています。

しかし、必要以上に恨みつらみを残すのではなく、ただ平和をさけんでみても意味がないということを知ってもらい、平穏な世界を求めるためには本質としてなにが必要か、現実としてなにをするべきかというのをそれぞれが考えるべきです。

いまNHKの朝ドラ「マッサン」で北海道における太平洋戦争(大東亜戦争)のことが描かれていますが、北海道は内地や沖縄に比較して圧倒的に被害が少ないわけですが、私の母方は樺太でしたので命からがら逃げてきたのと、祖父はシベリア抑留の経験を聞いています。
高校の先輩の中には北方領土に住んでいた両親を持つ方がいらっしゃり、ソヴィエト軍が迫ってくる中北海道に逃げてきたという話を聞くこともありました。

何度か私のブログで書いていますが、母と祖母、叔父は三船殉難の生き残りであり、祖母は北海道で抑留された祖父を幼い子供二人と待つ(生きているかどうかもわからない中)、さらに叔父は生きるか死ぬかの病気となり本当に不安だったと思います。

それでさえ沖縄どころか内地の被害には及ばないわけですから、東京大空襲はどれほど悲惨だったのだろうかと、そう感じてしまいます。

いまさら米国に「謝れ」と言っても何も生まれないわけですが、米国には今までの歴史を反省してもらいたいという部分はあります。

建国以来戦争ばかりで、今も省みることなく戦争を行っている国に、少なくとも「反省」をしていただきたいのは、日本だけではないでしょう。
まして自分が育てた悪党が大きくなったからと戦争を仕掛けるような国に、世界の警察官など勤まるはずもなく、また正義などあろうはずもありません。

沖縄の上陸戦、東京・大阪など大都市の大空襲、広島・長崎の原子爆弾投下は人類史上における犯罪のひとつであり、それを彼らが認めることが本当の意味で平和の一歩になるのではないかと信じています。

といいながらも、建国の歴史が戦争と虐殺から始まっている国家に、それをしてしまうと国家としての礎が・・・ともなり兼ねないので、望むことが難しいのもわからなくはありません。

しかし、それでも省みていただきたいのは、彼の国が日本に与えたる影響が大きかったからこそなのですが・・・