「日々思ふこと」カテゴリーアーカイブ

いろいろずれているんだよなあと政府に思ふ

Go Toの一時受付停止などがニュースになっているのだが、7月からはじまったGo Toトラベルを根本的な原因として止めてしまうことに知性のなさを見て泣けてくる。

過去のウイルスを見ていて、かつ新型コロナウイルスも含めて、低い気温と乾燥ってのがウイルス活性化の起爆剤になるってのは素人が見たってわかること。

いくらGo Toをどうこうしたって、このウイルスの感染は変えられないわけで、人の移動を制限するってことでは意味を持っているが、旅行やその他において手洗いやら消毒やらマスクを続けている分については、たいした影響はないと考えるのが普通。

どこにいようと、なにをしようと「手洗い、消毒、マスク」ってのがウイルス対策に効果的だってことなのだから、Go Toを止めようがたいした変わりはない。

だっていうのに、アホなマスコミやら、それにあおられた民衆の意見を聞いて「やめます」って・・・そういうのを衆愚政治っていうんじゃなかったっけ?と。

専門家会議もアホなことばかり言っているんじゃないよと。

科学に基づく意見を述べてくれ。

感情ではなく結果だ、科学だ、エビデンスだ。

それが理解できないなら専門家や科学者っていうのをやめた方がいい。

新型コロナウイルスと風邪の決定的な違い

コロナウイルスは風邪と一緒!・・・という意見は理解しなくはありません。

ただ決定的に違うことがあります。

対症療法にせよなんにせよ、現在においては特効薬がない。

そして悪化した時の劇症化について、確実に特殊な医療器具が必要であり、その機材には限りがあるということです。

その限りというのも、それほど多くはないということでしょうか。

またウイルスだとわかっていて、ワクチンもまだないわけですし、そのワクチンができても症状を軽くできるのか、それとも発症しないで済むのかさえわからない状況なのです。

つまりは普通の風邪とやってしまうには、リスクが大きい部分があるということになります。

確かに私もインフルエンザの死者数よりも少ないじゃないかと思う部分もありますが、それは各人が備えているからこその結果であって、もしこれが蔓延してしまった場合には機材が足りなくなり、助かるかもしれなかった命が助からなくなるという現実が見えてくる可能性があるということです。

今年の春に外国で機材が足りなくて死ぬのを見ているしかないという発言を、医者が泣きながらしていた動画を見ました。

世界的にそうならないとは言えないからこそ新型コロナウイルスはこわいのだと感じるわけです。

とにかく、今以上に警戒を続けながら、経済活動も並行して行っていかなければならないわけです。

寒くなってきてまた新型コロナウイルスの感染者が日本全国に広がってきました。

これからが冬の感染予防本番となります。

みなさん一人一人が警戒を怠らず、特効薬やワクチンができるまではできることをやっていきましょう。

いまいる場所が悪くなったら

サラリーマンを7年経験し、その後フリーランスに。

16年会社を経営して、またフリーランスにと、自分の場所を変えています。

また、会社経営は成長をしたとき、顧客の倒産によりスタッフに次の仕事場に移るまで見守ったり、協力したりしました。

そして少数で会社経営の後、一人になり、離婚でフリーランスになったわけです。

その時、その時で立ち位置を変えているのは、そこにいては環境が良くないから動くということをしていました。

その中でも顧客の倒産は数億円の売り上げがパーになったり、フリーランスの時にも数十億の利益が見込める仕事のプレゼンに参加できなかったり、まあいろいろなことがありました。

いつまでも悔やんでみたって時間は戻りませんし、環境は変わらないどころか余計に悪くなるわけで、そこにとどまるのは「変わらない時」以外は動いた方がいいというのが私の経験からよるものです。

さて現在は新型コロナウィルスによる世界的な経済の縮小で、個人の生活さえ脅かされている可能性が高いですし、明日さえわからない人もいるのはわかっています。

ただ、そこに思うことは「金よこせ」と他人に依存していては、結局自分から浮上することはありませんし、生き残る戦略をたてることができない、言ってみれば生きる力がないとみられる人さえいるように感じます。

たいへんなのは本当によくわかりますが、わたしだってバブル崩壊後の1997年に2.2億円のとりっぱぐれが発生しましたし、リーマンショックの時には仕事が全くなくなるということも経験しました。

しかし、そこで他者に頼っても、公的扶助に頼ってみても、結果は一瞬だけ永らえるだけで、根本的な解決にはならないわけで、私はプライドなんか関係なく、食うために、生きるために仕事の内容を変えてでもまずは生きることを優先しました。

夜勤の時給1200円の棚卸とパッキングの仕事をやってみたり、Uber Eatsができる前にあるお店のデリバリをしてみたり、システムや業務コンサルティングなんかと全く関係のない、そんなところで日銭を稼ぐ時もありました。

「金よこせ」の前に自分がなにをするか、必死で時間1000円くらいの金を拾いに行く努力をしたか、そういうところが後々の生きる力になると思っています。

国会前などで「金よこせ」と叫ぶのは余裕があるからできるのです。

明日、食うものがなければまずは生き残るために何をするのか、その後どうやって浮上していくのか冷静に判断することこそ重要だと感じます。

新型コロナウィルスの影響でたいへんな時期だからこそそう思います。

差別と区別と言い分と暴力

このところBLMの活動が行われているようだが、私は「現状の」BLM活動については否定的です。

なぜなら「そもそものスタートは犯罪者であった者」であるからです。

確かに彼を殺していいということにはならないが、それと黒人差別とは分けるべきだと考えます。

先日、大坂なおみ選手が大会を棄権する原因となった警官による発砲事件においても、警官が何度警告をしても車のドアを開けて何かをしようとしているシーンが動画として出てきています。

私が思うのは「警官は日本とは大きく違って生死の境にいるのだ」ということで、警官に制止された状態で行動を止めなかったことに対してのリスクが生じただけだということです。

それに対して黒人を中心としたBLMを叫ぶ人々が暴動と略奪をしていることに対し、全く賛同ができないということになります。

なんだ工藤は差別主義者かと言う方は早合点です。

私は欧米に対して、植民地時代の補償を行うべきであると考えていますし、中東、アフリカの現状においては、間違いなく彼らの収奪の歴史と、その後の放置が大きな原因だと考えています。

そのため、移民に対してよく日本は受け入れないといいますが、この移民の原因は欧米にあるわけで、彼らが引き受けるのは当然だということから私は申し上げているだけなのです。

ここに日本に大きな責任はないからです。

私は欧米の白人至上主義に対して一貫して反対していますし、あれこそが差別だと考えています。

歴史を知らない阿呆が騒いでいるようですが、そもそもの差別とは何かを考えるべきです。

その意味においてなんやら日本の土人保護法の本来の意味合いと趣旨を理解しない阿呆が「アイヌに対しての差別」とか言うことに対して呆れるとともに、日本の政治家が「差別」という言葉になんの疑問もなく言いなりになってしまう馬鹿さかげんにその頭の軽さを嘆かざるをえません。

差別と区別は違うわけですし、嫌なものを嫌だという個人的な理由を止めることはできません。

差別的な考えだということを諭すことはできたとしても、法律で縛ることはできませんし、まして他人から見て「こうだ」と決めつけてしまうような「差別的な言動」など、恣意的な運用がされるに決まっているわけですから私はやめるべきだとはっきり申し上げます。

今一度、差別と区別、そしてそれを発端にする言動と暴力について、冷静にかつ第三者的に考えてみませんか?

なんでもかんでも「悪い」と決めつけてしまうと、本質から離れてくることもあります。

ビジネスモデルという考え方について

最近、ある読み物でAmazonと楽天を否定し、Yahoo! Japanショッピングをあげている記事を読みましたが、正直なんだかなあと感じるわけです。

Amazonや楽天は出店料や手数料が高い、Yahoo!は基本的にないとか書かれていましたが、それがなに?と思うだけのことです。

コンビニエンスストアでもそうですが、自店を目立たせるのを一人でやってごらんなさいと感じるわけで、Yahoo!だってストア出品をしても、買ってもらわなければ全く意味がないわけで、Amazonや楽天は買ってもらうための仕組みを提供しているため、そこにお金がかかるのは当然だと感じます。

つまりはビジネスモデルを提供していることで利益を得ているわけで、そこに疑義はないわけです。

だったら個人や一企業だけでやってみましょうということです。

15年以上前に友人がある商品を取り扱っていましたが、ウェブサイトで告知をするということからスタートし、ネット販売を少しだけスタートさせました。

ドメインが合致したのと、ちょうど流行に乗ったこともあり、ネット販売もそこそことなってきたときに、ショッピングモールからの出店についての営業があり、彼はその営業に乗りました。

そうしたところ売上高は少量しかでていなかったところから十数倍の売上となり、ショッピングモールの中でも知られるようになり、今では大手との取引も行われるほどになっています。

それは小規模なネットショップではできることではなく、ショッピングモールの影響が大きかったのは間違いがありませんし、使い方次第でショッピングモールによる影響を最大限に引き出すこともできます。

クレジットカード手数料にしてもそうです。

日本のクレジットカード手数料は前よりは少し安くなって3.25%-3.75%程度というのが主流となってきました。

また決済金額の入金も短いところでは翌日、ちょっと速いところで2-3日で振り込まれるため、一か月後などに入金されるような日本のサービスでは無理なのは決まっています。

まして手数料が5%などはお笑いでしかありません。

あと言い方は悪いのですが、現金のみでの商売をしている場合の経理的負担は、一売上単位についての手数はキャッシュレス決済のエビデンスを得られることを考えれば、その工数は十分すぎるくらい得ることができます。

現金商売で伝票を税理士に整理してもらうのと、キャッシュレスのエビデンスとファイルを得て会計ソフトを通し、税理士にチェックをしてもらうので、どれだけ金額が違うのか理解したことがあるのでしょうか。

個人商店などの人件費を無視して話をしている方々は、時は金なりという言葉を知らないように感じてなりません。

まあ、もちろんカード決済金額がまだ高いとは感じるために、どんどん淘汰されるレベルでの決済手数料合戦をしていただきたいわけですが、それはこれから進んでいくことを期待しています。

このクレジットカードもビジネスモデルなんですがね。

だったら自分で掛け売りをやってみろって話ってことです。