「日々思ふこと」カテゴリーアーカイブ

LINEのセキュリティは残念ながら思った通り危険だった件

2019年7月に書いたエントリーです。

ここに

PayPayは提携先の問題があるので問題外ですし、Line Payはセキュリティの問題が高いと考えている(国境のこともありですね)ため、どちらも採用することはありませんが、私が通常利用しているキャッシュレス決済は「Mobile suica」となります。

と書いてありました。

『国境のこともあり』というのがその本質であり、LINEが日本法人であったとしても親会社の影響を受け、そしてその親会社の国籍が問題になるのは、今回はっきりしたわけです。

通信インフラに近い部分において、このセキュリティの甘さは壊滅的な影響を与えるはずなのですが、予告しておきますがほとんどの日本人は「いま使っているし、セキュリティやデータは構築しなおすって言っているから使い続ける」ってことになると思っています。

この甘さはどこから来ているかと言えば「平和ボケ」でしかありません。

国家に対しての帰属意識が希薄になり、そして国境を意識しなくて済む島国で、米国に守られて国防費も少ない状況であることから、日本がいま危険な状態にあることを知らないわけです。

もし次の対戦が起こるのであれば、間違いなく東シナ海・南シナ海周辺であると考えています。
(この海の名前でなんで『シナ』がOKなんでしょうかね?)

そういう危機的状況にあるなかで、インフラおよびその周辺を他国に任せるなどという能天気な人はいてはならないと思っています。

水道が危ないというくせして、インフラが危ないとは言わないのです。

そこに欺瞞があるとも思います。

そのうち思い出したり、資料がどこかに落ちていたら、話題となっている「FISCガイドライン」について書いてみます。

〇〇Payを運用しているところは、絶対にこのガイドラインに従って3以上のセキュリティを求めるべきです。

LINEで個人情報に対してのセキュリティ問題発生

LINEはLDHという日本企業が開発して、日本法人が運営しているから大丈夫という人は、ちゃんと事実を見るべし。

LINEの個人情報管理に不備 中国の委託先が接続可能
編集委員・峯村健司、大部俊哉
2021年3月17日 5時00分

 無料通信アプリ「LINE」が、中国にある関連会社にシステム開発を委託するなどし、中国人技術者らが日本のサーバーにある利用者の個人情報にアクセスできる状態にしていたことがわかった。LINEはプライバシーポリシーでそうした状況を十分説明しておらず、対応に不備があったと判断。政府の個人情報保護委員会に報告する一方、近く調査のための第三者委員会を立ち上げ、運用の見直しに着手する。

中国の4人に接続権限 LINE「日本に人材おらず」
LINE、中国に情報漏れうる実態 識者「重大事案だ」
 LINEの親会社Zホールディングスの中谷昇常務執行役員は「プライバシーとそれを守るセキュリティーが第一であり、情報の取り扱いについてわかりやすく説明していくことが非常に重要であり、データの国外移転に関わることはより積極的な対策が必要であると認識しております。皆様に不安や心配をおかけし、誠に申し訳ございません」とコメントした。

 個人情報保護法は、外国への個人情報の移転や外国からのアクセスに制限をつけ、必要な場合は利用者の同意を得るよう定めている。LINEの規約は「お客様のお住まいの国や地域と同等の個人データ保護法制を持たない第三国にパーソナルデータを移転することがある」などとしているが、昨年6月に成立した改正個人情報保護法(2年以内に施行)に関し、個人情報保護委員会は、原則として移転先の国名などを明記するよう求めている。

 急速に普及したLINEは、国や自治体の新型コロナの通知アプリに使われるなど社会インフラとしての性格を強めている。このため同社は、規約の説明は不十分だったとして「正確、詳細な表現の検討を始める」(舛田淳・取締役最高戦略マーケティング責任者)としている。(編集委員・峯村健司、大部俊哉)

LINEはLDHで開発したから大丈夫などという能天気なことを言っている人に、Zホールディングスの危うさを理解できないのはどういうことなのだろうかと感じる。

そもそもLINEはLDHが開発したわけだが、韓国企業に買われ、Yahoo!との交渉を経てZホールディング入りした。

Zホールディングスが危ういのは、今に始まったことではなくソフトバンクグループとして立ち上がった時からである。

さんざん書いているがソフトバンクは書籍関連の販売時代から購入する会社に負担をかけ、「無料のインターネットいかがですか?」と赤い袋を持って帰らせていたころから信用などできない。

そして、データを東アジアのサーバー等に置いておくことは危険だとさんざん言ってきたし、今回はさらに外国人スタッフが個人情報を取り出すことが可能だったなどとは、言語道断である。

金融機関ではシステムを構築、サーバーの配置などについてFISCガイドライン(FISC=金融情報システムセンター)というのがあり、サーバーの置き場所であったり建物の強度、データの種類によってどういうセキュリティ、また国内外についての定めについて細かく指定しているものがある。

個人情報管理においては、FISCガイドラインと同様にすべきだと考えるわけだが、そういうものがないためこうした会社が「安いところ」に委託するような状況が生まれるため、同様の厳しいガイドラインが必要だと感じる。

LINEが危ないと言ってきた結果がこれです。

3月11日に思ふこと

過去の自分のエントリーですが、そもそもこれは原子力発電所の発電量と稼働年月から40年を区切って、どの原子力発電所は使うことができるのかというのがスタートになっています。

その大元は10年前の福島第一原子力発電所の事故であり、それによる電力不足や計画停電によって考えさせられることが多くあったからで、本当にいろいろなことがあったものだと感じました。

福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、東京都東部でホットスポットとなった場所があり、子供達のことを考えてまずは葛飾区に除染と線量を計測していただきたい旨の西岸のために、別団体と共に署名を集めました。

これについてはたった一週間で11万筆もの署名が集まり、区から早急に行うと回答をいただいた事案でした。

そりゃ11万筆は圧力ですよね(苦笑)

他のブログなどでも書いていましたが、私の父は泊原子力発電所の建設にかかった物理学者でもあります。

孫を心配する祖父として、そして原子力の専門家の意見は本当に貴重でした。

門前の小僧状態なのか、私も原子力発電についてはこうではないかということが想像でき、父に確認をしたり聞いてみたりしたところ、だいたい当たっていることが多かったのは父のおかげなのか、理系脳のおかげなのか役に立ちました。

そしてそのそれらを発信していくうちに、仲間と葛飾区と話をするための団体を作ることになり(当時はPTA関係では有名でしたし)子供達を守る会を結成、その後東京連合に参加して中心メンバーとして活動させていただき、東京都との話し合いや、国会での勉強会などさまざまな活動をさせていただいたことも覚えています。

それもすべて福島第一原子力発電所の事故があったからなのですが、その検証を当時の総理大臣だった人が全く理解しようとしていないことで問題がずっと問題のままでいるような気がしてなりません。

先日、国連関連団体から福島の事故ではがんの発生率などについて、当初予測より低くなると言ったレポートがでてきました。

本当に良かったと思っています。

同じことを繰り返さないためにも、10年前も思ったことですが、自分ができることをしていこうと10年目の今日、思ったことです。

3月11日に思ふこと

© 産經新聞
もう、なのかまだなのかはそれぞれの人によって受け止め方は異なるでしょう。

東日本大震災から10年という今日、やはりさまざまなことが頭の中をめぐります。

一昨年、東北旅行をした際、まだ復興中の場所を見たり、震災の被害が残っているところを見た時に、まだ復興は終わっていないのだと気持ちを新たにしました。

自分としてもできることを継続してと考えましたし、そこからもまだ続いている状態です。

東京で震度5でさえさまざまなことが起こったというのに、震度6~7および津波の被害とは私達には想像ができないものだと感じます。

私は体験していない人にはわからないことがある(震災だけではなく)と考えるため、軽々しく「たいへんだったね」とか「わかります」とかは言いません。

ですからどう寄り添い、できることをしていくのかというところで私は先に震災の後遺症から逃れられたのですから、次は人へのなにか助けとなることをすべきと考え行動しています。

携帯電話の画面の中に、津波から避難するようにアナウンサーが珍しく強い言葉でしゃべっていることと、津波の画像を見て自分は何を体験しているのだろうかと、脱力したこともはっきりと覚えています。

これを起点に、福島第一原子力発電所の事故も起こりました。

検証は残念ながらまだ続いているのは、未だに当時を省みることができない、当時の日本国のトップがいるからでしょう。

・・・と、今日は心穏やかにいこうと思っているので、このあたりでやめないとヒートアップしますね。

地震を風化させてはいけないという意見があるのはわかります。

災害があった地域は、その後も災害の危険があるため、その事実と対策を記録&記憶しておくことは必要です。

しかし、風化させるべき記憶もあると思っています。

なんでもかんでも記憶していれば、辛くなる方もいらっしゃることも私たちは知っておくべきです。

せめて鎮魂のために、今日一日は心穏やかにいようと思います。

3月10日に思ふこと

明日3月11日は東日本大震災から10年となるため、昭和20年3月10日東京大空襲関連のニュースが例年より少なく感じる。

なにもいつまでもアメリカを恨めということではない。

戦争の記憶として留めておくことが必要であるし、人間とは正義の名のもとに民間人虐殺を正当化するということの一つの例として記憶しておくことが必要だということだと思っている。

米国は原子力爆弾も各都市への集中爆撃も「戦争を早く終わらせるため」という言い訳を使用しているが、虐殺はやってはならないとなっている中で、言い訳を利用しながら(ここは軍事基地だった、そこと区分けはできないなどの幼稚な言い訳含む)東京やその他の都市を空爆して数万人規模での死者を出しているというのに、これを虐殺と言わない。

つまりは戦争に負けた側は何も言えないだけであって、勝った側の歴史の通りにしかならないということがはっきりする。

私は戦争はすべきではないと当然ながら思っている。

それはどちらも加害となり、人を殺す行為を正当化するものであるからだ。

どちらかが一方的に加害者であり、被害者であるなら、それは虐殺などと定義されるが、戦争は双方が加害者である。

だが、もし今後日本が戦争に巻き込まれる、行わなければならない状況が発生した場合、一つだけ言えるのは「負けない戦争をすること」としか感じない。

それが太平洋戦争の教訓の一つであると思う。

なぜなら3月10日になってさえ米国に嫌味の一つもいえず、それどころか先日の国際女性デーの在日米国大使館のヘッダーには、マンハッタン計画で原子爆弾を作成したメンバーの一人の華人女性をしれっと紛れ込ませるというたいへんに失礼な行為をやってのけている。

日本はいつまで敗戦国のままなのだ?と、またそれに対して抗議のひとつもしない自称右派を残念に思う。

横網に戦争の爪痕が保存されているが、見に行ったことのある人はどれくらいいるのだろうか。

当時を繰り返してはいかんと思いながら、頭を下げる人はどれほどいるのだろうか。

行動もせず、想いもせず、自分のことだけというのは、なんとも残念なことではないのだろうか。