自分とは考え方が違う人への対処について思ふこと

なんで自分とは考え方が違う人の意見を聞こうとせずに、単に反対だけを述べたり、挙句聞き入れなかったり、相手が馬鹿げていると感じて答えないことに対して罵倒する人というのは、決めつけたくはないのですが同じような対処をする傾向があると思っています。

まるで自分の方が賢いとマウントしたり、自分が正しいということを押し付ける、法律では~と言いながら感情論だったり、いざ改憲議論になったらそれは違うと言ってみたり、おもしろいことに同じような行動をとります。

そして、それらの方の傾向の多くが「ノイジーマイノリティ―」でしかないように思われ、それを意識していないということがよくあるパターンなわけです。

先日もなんちゃら反対派がTwitterにて現れたわけですが、最後は罵倒ですよ(爆)

「黙れ小僧」って、私が言うならいいとして、もうすぐ56歳のおっさんに小僧って笑うしかありませんって。

結局、自分の言うことを認めないと、そうした言葉を投げかけるわけです。

別の方は「法に」・・・って、社会的な活動や個人の活動において、権限を越えた場合には当たり前に罰を受ける覚悟でやっていますよ。

人を守るためなら、自分がどうなるかなんて考えていられない場面ってのもでてくる。

そこを割り切ってやっているなら、私はその人の考え方次第ではリスペクトする。

覚悟をもって臨んでいるから。

それなのに覚悟もなく、外野からわいわい騒ぐだけの方は全く生産性がない。

先日もそうだが、全く時間の無駄と思ってしまう。

議論できるかと期待したのであるが、残念ながら聞く気がない人とは議論などできないと改めて思った。