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3月11日に思ふこと

今日は日本人ならだれでも知っているといっていい、東北地方太平洋沖地震を発端とする東日本大震災のスタートの日でした。

あの日亡くなられた方々を思ふために、14時46分には目を閉じて祈りたいと思っています。

もう4年なのか、まだ4年なのか・・・と感じていますが、時は前に進んでいくため生き残った私たちは生きていかねばなりません。
ただ風化をさせることはなく、しかし悲しい記憶が被災された方々から少しでも無くなるようにとも祈っています。

今でもテレビでみたあの被災の様子は忘れることがありません。
洪水が恐ろしいものであるとわかっていたはずなのに、そこにあったものは自分の想像を超えたものでありました。
それゆえに備えるべしと思うわけですが、人の思いとは土地にもあるようで、なかなか離れられないのもわかります。
ですが、多くの人が亡くなることの無いよう、さまざまなことを考えていただきたいと願うものです。

また福島第一原子力発電所の事故による汚染はまだ当分収まる様子もなく、私が生きているうちには到底すべての地域がきれいになるとは思えません。
しかしながら除染をすることで安全となる場所には、それぞれが工夫をして少しでもきれいにするべきです。
私も微力ながらそうした手伝いをしていければと思います。

無責任に国が悪い、誰が悪いというのは楽なことですが、批判する前に自分は何ができるか、何をするのかと考えるべきです。

行動だけではなく、為政者と話すことも活動となるものです。
引き籠って自分たちだけで話をしていても何も生まれません。
ただし自分の思いだけが正解と思っては成り立ちません。
人との話し合い、意見が違う人との討論を通じて、より明るい道を探ることこそ重要です。

これからの何十年、この日がくる度にこうしたことを思うのです。

苦しんでいる方々が少しでも明るくなることができるよう、自分は自分のできることをやっていくしかないと感じます。

東京大空襲の日に思ふこと

70年前の今日、米軍は東京に対して無差別殺人を行い、10万人もの東京市民が無くなっています。

敗戦国に語る言葉はない?なんてことで、未だに米国から反省の弁など聞こえてこないわけですが、民間人の虐殺をしたことは事実であり、それは広島、長崎の原子爆弾投下という実験でピークになります。

あれから70年ですから、当時を知る人も少なくなり、私たち戦争を知らない世代とはいえ、当時のことを直接聞くことのできた世代は、戦争の恐怖、狂気、そうしたものを次の世代に正確に伝える必要があると思っています。

しかし、必要以上に恨みつらみを残すのではなく、ただ平和をさけんでみても意味がないということを知ってもらい、平穏な世界を求めるためには本質としてなにが必要か、現実としてなにをするべきかというのをそれぞれが考えるべきです。

いまNHKの朝ドラ「マッサン」で北海道における太平洋戦争(大東亜戦争)のことが描かれていますが、北海道は内地や沖縄に比較して圧倒的に被害が少ないわけですが、私の母方は樺太でしたので命からがら逃げてきたのと、祖父はシベリア抑留の経験を聞いています。
高校の先輩の中には北方領土に住んでいた両親を持つ方がいらっしゃり、ソヴィエト軍が迫ってくる中北海道に逃げてきたという話を聞くこともありました。

何度か私のブログで書いていますが、母と祖母、叔父は三船殉難の生き残りであり、祖母は北海道で抑留された祖父を幼い子供二人と待つ(生きているかどうかもわからない中)、さらに叔父は生きるか死ぬかの病気となり本当に不安だったと思います。

それでさえ沖縄どころか内地の被害には及ばないわけですから、東京大空襲はどれほど悲惨だったのだろうかと、そう感じてしまいます。

いまさら米国に「謝れ」と言っても何も生まれないわけですが、米国には今までの歴史を反省してもらいたいという部分はあります。

建国以来戦争ばかりで、今も省みることなく戦争を行っている国に、少なくとも「反省」をしていただきたいのは、日本だけではないでしょう。
まして自分が育てた悪党が大きくなったからと戦争を仕掛けるような国に、世界の警察官など勤まるはずもなく、また正義などあろうはずもありません。

沖縄の上陸戦、東京・大阪など大都市の大空襲、広島・長崎の原子爆弾投下は人類史上における犯罪のひとつであり、それを彼らが認めることが本当の意味で平和の一歩になるのではないかと信じています。

といいながらも、建国の歴史が戦争と虐殺から始まっている国家に、それをしてしまうと国家としての礎が・・・ともなり兼ねないので、望むことが難しいのもわからなくはありません。

しかし、それでも省みていただきたいのは、彼の国が日本に与えたる影響が大きかったからこそなのですが・・・

需要と供給

現在、コンピュータシステム関連の業界ではビッグプロジェクトといわれているのがいくつかある。

その中でも最も大きい部類のシステムで、人集めが難航しているのは聞こえてくる。
そして先日もそこからのオファーが届いたわけであるが、営業会社が違うとはいえ半年以上も集めていて、まだ足りない状況というのはどういうことなのだろうかと考えてみる。

私のところにくるのはPM、PMO、PLといったもので、主にマネジメントに関連する部分であるが、コンピュータシステムの場合仕様への理解が必要となる。
そのためシステムに対する理解がなければならないため、システムを良く知ったエンジニアもしくはコンサルタントが集められる。

数年前のビッグプロジェクトで赤いところが大失敗しているのは、費用を安くするために外国に発注したのが失敗のもととなり、それを引き取って日本でやったのだが単価が低すぎで優秀なエンジニアは寄り付かなかったことが原因。
私にもオファーがきたのであるが、固定単価で一見良いように見えるが、実態は毎日23時過ぎまでかかっての仕事で、時給にするとたいしたことがないのを内部にいた仲間から聞いていたので単価があがらなければ行きませんと営業には言った。
その時も複数度にわたりオファーがあったのだが、単価があがることがなかったのがたいへんに残念だった。
※そのプロジェクトは成功した、終了したとは残念ながらいえない状況が続いている

そして今回のビッグプロジェクトであるが、いつまでもデフレーションでエンジニア余りの時の単価でやろうとしているのかということだ。
しかも赤いところと一緒で、毎晩のように遅くまで残業が続くのが目に見えているプロジェクトで、赤いところよりも安い単価でやるなんてのは本気ですか?と思ってしまう。

営業会社には「単価が変わらない限り請けるつもりはありません」と言っているのだが、それでも他のところから届いたりする。

今はエンジニアやコンサルタントが足りないというのに、まともな仕事をしてほしいと思っているところが、いつまでも安い単価で人材を得ようとするのが間違っている。

まあもっともSIerにも責任があって、その安い単価で引き受ける会社があるから成り立っているのだろうが、残念ながら今は特に優秀なSEとプログラマが足りないため、人を集めるには現実としてお金が必要だ。

なのに、まるでリーマンショック後の落ちた時の単価並みで引き受けさせようとするなんて、人をなめるのも大概にしたほうがよい。

特に私達のようにフリーランスや零細企業でやっている者は、評価=お金という部分もあるし、サラリーマンよりも良いパフォーマンスを期待されるからこそそれなりの単価でやってきている。

実力がないと判断されれば、明日からでも斬られる覚悟で臨まなければならない。

そんな人たちが多いエンジニアやコンサルタントの世界に、いつまでも安い単価の頃のイメージでやっているのは間違いで、特に金融系なら需要供給曲線程度は知っているのだろうから、それが何を示しているのかをよく考えてみるべきだ。

「ゆとり」とは

私の仕事は基本的にお客様のところでの作業が多いので、いろいろな場所にお伺いします。

そして社会人となってから30年近くを見ていますが、世の中が「ゆとり」と言い出してあれから20年くらいが経ったのですが、余計に働いている人が多いような気がしてなりません。

私はブラック企業なんてのを言っている人をなんだかなあと思うわけですが、今の碌を得るためにどれだけの価値を生み出せているのかと感じてしまいます。

言い方は悪いかもしれませんが、今もらっている給与はある意味その人の労働価値を表しているわけです。
それが即その人の評価というわけではありませんが、労働対価というのはその人の労働に対する価値を表しているので、おおはずれしているとは思っていません。

よく中途半端な人ほど仕事はしたくないけれどお金はほしいと言う様に感じるのですが、お金がないと嘆くならなぜ空いた時間に仕事をしないのだろうかと感じます。
時間が空いているならお金を稼げば思ったとうりとは行かないかもしれませんが、少なくともその時間分の対価は増やすことができます。

まして起業をしたいのでお金を必要としているというのであれば、今の価値が少ないのであれば時間を多くして働く以外にお金を増やすことはできません。

世の中が「モーレツ」と言っていた頃?もしくはその後から勉学に対してであったり、働き方に「ゆとり」を求めるという動きがありました。

皆さんもご存知のとおり「ゆとり教育」というのはすでに破綻をし、そもそものゆとりの考え方の違いというのが世の中に示されました。
知識を持つことこそゆとりができることであり、時間的なゆとりを教育に持ち込むと、学習に対するゆとりがなくなります。
そのため「ゆとり教育」は失敗し、見直しがされているのです。

では一般がいうゆとりとは何かと考えると二つの側面があると思われます。

一つは時間的なゆとりです。
時間を自由に使うことができるような働き方をする、趣味に時間を割くことができるような時間を自由にするということです。

もう一つは生活のゆとり・・・はっきり書けば金銭的なゆとりです。
金銭的なゆとりがあれば、生活空間もゆとりができますし、海外旅行だ、余暇だといろいろなチャレンジが可能となるわけで、実際に金銭で余裕ができるということです。

しかし残念なのは両方を得ようとするのはいいのですが、それに対してのアプローチをしていない、もしくは短期的にそれらを得ようとするのが間違いであると思うのです。

例えば金銭的な余裕を得ようとするのであれば、働く場所を考えなければならないでしょう。
いわゆる一流企業というところに勤め、数年間の修業の後四年目くらいから急激に給与水準が上がっていき、その後は成果を争って勝ち残った人がどんどん給与を上げていくということです。
もしくは肉体労働で時間を無視して働き続けお金を得ることであったり、技能を磨くことで付加価値を生み出し金銭的な対価を大きくすることとなります。

ただしそこに時間的な余裕が生まれるかというと、最初の頃はほとんど生まれてこないのが事実です。

朝晩関係なく働き、残業も毎日のようにし、自分と家族の金銭的な幸せを目指し、とことん働き詰めるのです。

そして「偉くなる」もしくは「絶対的な成果をみせる」ことで、ようやく時間的なゆとりを得ることができるようになります。

さて、時間的な余裕を最初から得ようとするのであれば、一時期流行ったようなノマドワークスのような方法や、フリーター、一番すごいのはニートになるなんてのもあります。
時間的な余裕があるということは、最初のうちは普通に考えて対価が少なくなるのは当然です。
余程世の中から必要とされているような仕事についている人は別として、基本的には対価が低くなるため金銭的なゆとりはなくなる人がほとんどでしょう。

外資系コンサルの人たちなんかは、偉くなってからようやく「少し」時間的な余裕ができるわけですが、最初は本当に働き詰めでどんどんふるい落とされていきます。

勤続○年で一ヶ月の休暇をもらおうと、留学のチャンスを得ようと、それまでは本当に時間関係なく働く人が多く、だからこそ金銭的なゆとりを得ることが可能となります。

その中で時間的な余裕を得るためには「絶対的な評価を得る」ことが近道となるでしょう。

その人がいることで企業にメリットをもたらす人、そこにいるだけでお金を生み出せる人になればいいわけで、こうした仕事が優秀で時間もお金も「ゆとり」のある人を見ますが、皆さん共通しているのは努力の人だということです。
若い頃は馬車馬のように働き、そこで認められたからこそ今そうしていられるわけです。

それを一朝一夕に得ようとするから問題なのですし、簡単に得ようと思うからすぐに失敗したと思うのです。

私はフリーになってから20年を過ぎましたが、良い時も悪い時もありました。
今はそれほど良いと思っていませんが、しかし必ず好転すると信じてとことん仕事をしてみるのです。

おかげで時間的な余裕は少なくなっているかもしれませんが、それでも時間をやりくりしているため、時間的な余裕があるように見られます。

ゆとりを得るためにはまずはとことん努力をすることが必要だと思っています。

あと10年で60歳となるため、そこに時間的、金銭的にもゆとりを得るために、まずは今努力をしなければなりません。

甘いことを言う前に、考えながら走る・・・それが凡人のやり方に他ならないでしょう。

フランチャイズとは

コンビニエンスストアについて、あまりにもひどい嘘を流す人がいるので、コンビニエンスストアの簡単な説明をします。

コンビニエンスストアを展開するのはフランチャイザー(本部)で、フランチャイジー(店舗側=店長など)と契約をして店舗運営をします。
それ以外に本部が運営する直営店というのがあります。

フランチャイジーは
・土地を持っていて、その土地に店舗を建設し運営する人
・本部が店舗を建設して、そこに店長として入り運営する人
などというのが存在します。

それぞれによって経費負担(電気代や水道料金など)の率が変わり、例えば本部が50%と店舗が50%などのように率を決めることをします。

それとフランチャイジーの場合、在庫の責任がどこになるのかというのがあります。
店舗にあるのか、本部にあるのか、それとも両方で持つのかなど、契約によって変わってくることになります。
通常フランチャイジーの場合、在庫は店舗側が持つことになります。

その際の仕入に関しては、当然ながら本部としては保証されていなければなりません。
その担保はどこにあるのかといえば、売上金ということになります。

例えばあなたがお金を持っていて、店舗の運営を任せるとして、全部お金を預けるようなことをしますか?
もしするというのでしたら、よほどお金が余っているのか、人をただ信用だけしているのか、馬鹿なのかのどれかだと思います。
普通の考え方であれば、そこに担保となる保証されたものが必要ですから、本部は店舗の売上を担保に在庫仕入を行うのです。

ですから一度売り上げたお金というのは本部に振込み、そこから報酬などの形で本部から店舗または店長に支払われることになります。

悪質なデマに「店長の借金が膨らんで、5000万円を超えると自殺すると本部が言っている」などというのがありますが、こうした本部と店舗の関係に必要以上の借金がどこに発生するのか、ぜひ聞いてみたいものだと思っています。

また、一部のフランチャイズでは最低補償額があり、新規で開店してからの数年間、売上の最低補償をしてくれるようなところもあり、収入が全くなくなってしまうようなことはありません。

しかし、これらのフランチャイズに全く問題がないとは言いません。

たとえば再販問題などがありますし、お弁当の廃棄についての問題というのもあります。
在庫がテンポにあるわけですから、一度仕入れてしまった場合には処分は店舗側の責任となります。
それらが問題になるというのは否めない事実です。

それから悪質なデマの中に「フランチャイズ店の近くに直営店を作って安売りをしてつぶす」なんていうのがありますが、本部はできるだけ直営店を作りたがりません。
なぜなら運営に人とお金が必要だから、フランチャイジーが必要なのだからです。

つまり看板料としてフランチャイジーから本部運営費を得るために、仕入の価格を上乗せしたり、本部への委託費などを徴収して本部運営をするわけです。
そうしなければフランチャイザーとして成り立つわけがありません。

考えるのに全く難しいことではありませんが、例えばコンビニエンスストアの商品を個人商店で仕入れようと思ったらどうでしょうか。
数千点の品揃えを一個単位で仕入れるなんていうのは不可能に近いということがわかります。
また季節や天候、周囲の住環境などから売れ筋商品動向であったり、イベントの企画などを本部は持っているわけですから、店舗がよりよい経営ができるようにアドバイスをしてくれるのです。

ただし、安易に考えていただきたくないのは、店舗運営はそんなに甘いものではないということです。

一つは休みを簡単に取ることができません。
長期休暇なんてもってのほかですし、店舗で何か起これば24時間運営のお店であればいつでもかけつける必要があります。
自分の思うとおりの店舗運営をすることができるとは限りませんし、赤字経営になってしまうことだってあります。

そうしたリスクを考えないで「フランチャイズはバラ色」などと考えるほうがどうかしているわけで、個人事業主や会社として店舗運営をするのは、大変な労働になるのは当然のことです。

私の友人の中にもフランチャイズチェーン店を運営して大成功をしている人もいれば、まったく鳴かず飛ばずで閉めてしまった人もいます。

これは商売なのですから、全員が成功する保証は100%ではありません。
ですがノウハウを持っている本部との関係をうまくすることで、成功することも可能だと思いますし、なによりも本人の心構えだと思います。